王立図書館での邂逅
私、レティシア・ド・グランヴェルの本日のお出かけ先は、王都の北側にそびえ立つ「テラニウス王立図書館」だ。
かつて前世の私が、深夜のオフィスで「リファレンスが足りない!」と叫びながらドキュメントの山に埋もれていたことを思えば、自らの足(ヨチヨチ歩き)で知識の殿堂へ向かえるなんて、まさに最高のご褒美と言える。
(……それにしても、大きいわね。サーバーラックが何万本入るかしら)
見上げるほどの巨塔。中に入れば、天井まで届く書棚が幾重にも並び、古書の香りと微かな魔力の残り香が漂っている。
「レティシア、足元に気をつけて。ここの床は数千年前の魔導タイルでできているから、君の可愛らしい足音が反響して、知識の精霊たちが驚いてしまうかもしれないよ」
パパ(アラリック公爵)が、私の後ろを「透明化魔法」で気配を消しながら(バレバレだけど)追尾してくる。その後ろには、山積みの白紙の魔導書を抱えたお兄様の姿もあった。
「レティシア、ここの検索システム(目録魔法)は旧式で使いにくいからね。僕が今から、君が望む本を自動で抽出する『シエル・サーチ・エンジン』をこの空間に上書きしてあげよう」
(お兄様、それはもはやハッキングだからやめてあげて)
「わぅん!」
私の足元では、子犬の姿になった神獣ルゥが、尻尾を振りながら誇らしげに周囲を威嚇(?)していた。通りかかる司書たちが「あんなに可愛いワンちゃんが……」と目を細めているが、彼らは知らない。その「ワンちゃん」が、一噛みで王宮の結界を食いちぎる存在であることを。
《解析。王立図書館のデータベースをスキャン中。……エラー:インデックスの整合性が著しく欠如しています。……提案:個体名:レティシアによる『一括最適化』を実行しますか?》
(……今はまだいいわ。まずはこの世界の『歴史』をじっくり読みたいの)
私が歴史書のコーナーへ向かおうとした、その時だった。
「……おい。そこの赤ん坊。ここは遊び場じゃない。知識を尊ぶ者が集う神聖な場所だ。犬を連れてうろつくな」
冷ややかな声が、書棚の陰から響いた。
そこに立っていたのは、私より少し年上……おそらく七、八歳ほどの少年だった。
プラチナブロンドの髪に、鋭いエメラルドの瞳。仕立ての良い服を着崩し、手には一際難解そうな古文書を抱えている。
個体名:ユリウス・ド・テラニウス
職業:テラニウス王国・第一王子
称号:【孤高の天才児】【魔導計算機】【実は重度の寂しがり屋】
状態:自分の理解を超えた存在を前に、本能的な防衛反応(虚勢)を示している。
(……あら。第一王子様? 陛下が言っていた『偏屈な息子』って彼のことかしら)
「ユリウス殿下! なんという不敬を……! こちらはグランヴェル公爵家のレティシア様ですよ!」
慌てて飛んできた司書が少年の前に跪くが、ユリウス王子は鼻で笑った。
「知っている。例の『奇跡の赤ん坊』だろう? だが、魔法が使えるのと知識があるのは別問題だ。一歳児にこの図書館の価値がわかるとは思えないね。ましてや、その得体の知れない犬……」
ユリウスがルゥを指差した瞬間。
「……ぐるるる」
ルゥの喉が鳴り、図書館中の魔力が一瞬で凍りつくように冷たくなった。
伝説の神獣としてのプライドが、自分を「犬」と呼ぶ不届き者に反応したのだ。
「ひっ……!?」
ユリウスの顔が、一瞬で青ざめる。
それもそのはず。彼の「天才」としての感性が、目の前の可愛い子犬の背後に、太陽を飲み込む巨大な狼の影を見てしまったからだ。
「ルゥ、だめよ。お友達でしょ?」
私はルゥの頭を優しく撫で、ユリウス王子の方へ一歩踏み出した。
そして、彼が抱えていた古文書……タイトルは『古代魔力式の最適化解法』に目を向けた。
(……あ、これ。式の書き方がすごく冗長。効率が悪すぎるわ)
前世のSE魂が、黙っていられなかった。
複雑に絡み合った数式を、私は脳内で一瞬にしてリファクタリングする。
Magic Output= ∫ Φ(x) dx →Simplified
私は、ユリウスが苦戦していたページの余白に、小さな指先を這わせた。
指先から微かな魔力が洩れ、紙の上に黄金の文字を刻んでいく。
「な……っ!? 何をしている、勝手に僕の本に——」
ユリウスが制止しようとしたが、その言葉は途中で止まった。
私が書き換えた「最適化コード」が、本に封印されていた魔法陣を起動させ、ページから眩いばかりの知識の光が溢れ出したからだ。
《解。古代魔力式の『デバッグ』に成功しました。……対象の魔法効率が 10^5 倍に上昇。……称号:【叡智の先導者】を獲得しました。》
「……嘘だろ。僕が三ヶ月かかって解けなかった『聖別式の解法』を、指先一つで……書き換えた……?」
ユリウス王子は、ページから溢れる光を呆然と眺め、その場に膝をついた。
彼のプライドが粉々に砕け散った瞬間……ではなく、彼の「知識への情熱」が、私という圧倒的な真実の前に、屈服し、そして心酔した瞬間だった。
「……レティシア、様。君は、一体何者なんだ……?」
「あぅー。おべんきょ、しゅき!」
私が営業用の笑顔を浮かべると、ユリウス王子の顔が真っ赤に染まった。
「……くっ。……僕の負けだ。……おい、そこの犬。いや、ルゥ殿。先ほどの無礼を詫びる。レティシア様の相棒として、君は相応しい威厳を持っているようだ」
(殿!? 殿って呼んじゃったよ!)
「わぅ!」
ルゥは満足げに鼻を鳴らし、ユリウスに「許してやるわ」と言わんばかりに尻尾を振った。
「レティシア、なんてことだ! 君は王室きっての天才児までも、一瞬で自らの軍門に降らせてしまうのか! パパは誇らしい……けれど、またライバルが増えてしまった!」
「……ふむ。ユリウス殿下、レティシアに教えを請いたいのであれば、まずは僕が作成した『レティシア様・絶対忠誠テスト』に合格してからにしてください」
お兄様が、どこからともなく取り出した紙を手に不敵な笑みを浮かべ、ユリウス王子に立ちはだかる。
(……もう、お兄様。王子様に何させてるのよ)
結局、その日の「お勉強」は、ユリウス王子が私の後を小鳥のようについて回り、私が手に取る本すべてに「その本はですね、レティシア様……」と解説(という名の自慢話)を始め、それをルゥが「うるさいわね」と威嚇する、という賑やかなものになった。
《通知。個体名:ユリウスとの『協力関係』フラグが成立。……王国の魔導技術開発における演算能力が、あなたの影響により飛躍的に向上することが予想されます。》
(……まあ、いいわ。一人でデバッグするより、チームで動いたほうが効率がいいしね)
私は、ユリウス王子が必死に説明してくれる古の魔法体系を聞き流しながら(システムさんの方が詳しいけれど)、新しい「お友達」ができたことへの温かい気持ちを噛み締めていた。
前世では、一人でコードを書き、一人でバグと戦うのが当たり前だった。
けれど、今は。
もふもふの守護者、重すぎる愛を注ぐ家族、そして、私を「先生」と呼んで尊敬してくれるライバルがいる。
(……この世界のソースコード、みんなで書き換えていったら、もっと素敵な未来になりそうね)
私は、王宮図書館の窓から差し込む夕日を浴びながら、
「明日は、この王子様を使って何を開発しようかしら」と、
少しだけSEらしい、そして少しだけ女の子らしいワクワクを感じるのだった。
もちろん、この直後、ユリウス王子が私の可愛さに中てられて「僕は彼女と婚約する!」と叫び、パパとお兄様によって王宮の彼方まで「物理的に」排除されるのは、この物語の日常茶飯事である。




