第五夜:『指先の抜舌(ばつぜつ)』
私たちは、歴史上もっとも「言葉」を安売りしている時代に生きています。
指先ひとつで世界中に声を届けられる特権。しかしその便利さと引き換えに、私たちは言葉に宿る「霊力」への畏怖を忘れてしまったのではないでしょうか。
古来、日本には「言霊」という信仰がありました。発した言葉は現実となり、自分自身に還ってくるという考えです。
『沙石集』に記された、他者を嘲笑い自滅していった人々の姿は、現代のSNSという鏡に映し出される私たちの姿そのものかもしれません。
今夜お届けするのは、匿名の闇に隠れて言葉の刃を振り回した女が、自らの「口」に裏切られる物語。
画面をスクロールするその指を、少しだけ止めてお読みください。
女の娯楽は、画面の向こう側にいる「誰か」を引きずり下ろすことだった。
SNSに流れてくる他人の幸福そうな写真や、些細な失敗を見つけては、匿名のアカウントから冷酷な言葉を投げつける。
「死ねばいいのに」「消えろ」「目障り」。
放たれた言葉は、彼女の手を離れた瞬間に鋭い礫となり、顔も見えぬ相手の心を切り裂く。彼女にとって、それはただのストレス解消であり、文字という記号を消費するだけの、無害な遊びのつもりだった。
だが、ある夜から異変が起きる。
深夜、投稿ボタンを押すたびに、自分の口の中に「鉄の味」が広がるようになったのだ。
鏡を見れば、舌の表面に身に覚えのない小さな傷が無数に刻まれている。
最初は口内炎かと思った。しかし、誹謗中傷の言葉が過激になればなるほど、傷は深く、えぐれるように広がっていく。
やがて、彼女は一言も発することができなくなった。
痛みに耐えかねて救急車を呼ぼうとしたが、スマートフォンの画面を操作しようとした指先が、まるで凍りついたように動かない。
それどころか、画面から透明な「細い糸」が無数に伸び、彼女の指に、腕に、そして無理やり開かされた口の中へと這い入ってきた。
翌朝、女は自室のパソコンの前で息絶えていた。
第一発見者が悲鳴を上げたのは、その死体の口元があまりに凄惨だったからだ。
女の口からは、本人のものとは思えない「何千人分もの舌」が、溢れんばかりに詰め込まれていた。
そして彼女自身の舌は、根元から綺麗に消失していた。
まるで、自分が他人に浴びせた言葉の数だけ、誰かの苦しみを無理やり喉の奥まで押し通され、引き換えに自分の「声を出す権利」を奪い去られたかのように。
【住職解説】
言葉は一度口に出せば、あるいは画面に放てば、二度と取り消せない「業」となります。物語の女は、匿名の言葉を単なる記号と扱い、他者を傷つけました。その結果、精神的な孤立と自らの痛みとして還ってきたのです。
仏教では、人間の行いは「身・口・意」の三業に分けられ、特に「口(言葉)」の業は深く影響します。放った言葉は他者の心に刻まれ、また自分自身をも傷つけます。言葉は命を養う薬にもなり、命を奪う刃にもなります。
今、あなたが指先で打ち込もうとしている言葉は、誰かの心を温める灯火でしょうか。それとも、自分を蝕む鉄塊でしょうか。画面の向こうにいる相手の心に思いを馳せ、言葉を「供養」する心を持つことこそ大切です。
※本稿は、著者が住職として経験してきた事象を背景に、仏教的教訓を伝えるために再構成した「フィクション」です。
次のお話しは火曜日の夜にお届けします。




