第6話 312の世界を作ったのは、僕ではなかった
行き先表示には
OBSERVER。
観測者。
白いバスは
暗闇の中を走っていた。
窓の外には
何も見えない。
道路もない。
街もない。
ただ時々
白い光だけが
遠くを横切った。
運転席には高橋。
僕はその背中を
ずっと見ていた。
「どこへ行く」
高橋は答えない。
「お前の世界って
どういう意味だ」
しばらくして
高橋が口を開いた。
「正確には
俺の世界じゃない」
「じゃあ何だ」
「観測者がいる場所だ」
意味が分からない。
「お前が
観測者じゃないのか」
「違う」
高橋は即答した。
「俺も観測されてる」
その瞬間
窓の外が光った。
一つの景色が見えた。
会社だった。
営業部。
若い僕がいる。
高橋もいる。
次の光。
今度は病院。
医師の僕。
次は豪邸。
経営者の僕。
次は小さなアパート。
営業成績最下位の僕。
312の世界が
窓の外を流れていく。
「これは……」
「全部まだ存在してる」
高橋が言った。
「消えてないのか」
「まだな」
ORIGINへ戻れば
一つだけが現実になる。
あの話は
本当だったらしい。
「312って数字は
どこから来た」
僕は聞いた。
「なぜ312なんだ」
高橋は
しばらく黙っていた。
「実験の回数だ」
「何?」
「世界の数じゃない」
背筋が冷たくなる。
「四年前」
高橋が続ける。
「ある研究が行われていた」
「人間が選択する直前
脳内では複数の結果を
予測している」
「右へ行くか
左へ行くか」
「契約するか
断るか」
「話すか
黙るか」
「その可能性を
観測できないか」
僕は思い出した。
四年前の記憶。
スマホほどの装置。
「僕が参加した実験?」
「ああ」
「でも目的は
別世界への移動じゃなかった」
高橋が
バックミラー越しに
僕を見る。
「可能性の観測だ」
つまり。
パラレルワールドを
作る実験ではない。
存在する可能性を
見るだけの実験。
「最初は成功した」
高橋が言う。
「お前は装置を使って
別の人生を見た」
営業成績トップ。
さらに上。
役員。
社長。
成功した僕。
「お前は
それで満足しなかった」
記憶が戻ってくる。
研究室。
モニター。
そこには
無数の僕。
僕は研究者に聞いた。
『見るだけじゃなく
入れないんですか』
研究者は答えた。
『理論上は不可能です』
僕は何度も
装置を使った。
もっと成功した僕。
もっと金を持つ僕。
もっと幸せな僕。
そして。
312回目。
僕は装置を
勝手に持ち出した。
「バスの中で
起動した」
僕が言う。
「そうだ」
「それで事故が起きた」
高橋は答えない。
白いバスが
突然減速した。
前方に
巨大な建物が現れた。
地下施設のようだった。
入口の上に
文字がある。
PARALLEL
OBSERVATION
PROJECT
バスが止まる。
扉が開いた。
「降りろ」
僕たちは
施設へ入った。
照明が
一本ずつ点灯する。
古い研究施設。
誰もいない。
壁には
無数のモニター。
その一つに
僕が映っていた。
第1話の僕。
出勤バス。
白い光。
別の画面には
第2話。
さらに
第3話。
僕が経験してきた
すべてが映っている。
「誰が撮ってる」
高橋は答えない。
奥へ進む。
巨大な部屋。
中央に
一台の装置があった。
四年前に見たものとは
比べものにならない。
何百本ものケーブル。
そして
312台のモニター。
すべてに
違う僕が映っている。
「これが
観測装置?」
「ああ」
高橋が
操作盤へ近づく。
画面には
数字が表示されていた。
OBSERVATION
312 / 312
COMPLETE
観測完了。
「じゃあ
もう実験は終わってる?」
高橋が頷いた。
「四年前にな」
理解できなかった。
「だったら
僕が経験してるこれは何だ」
高橋が
僕を見る。
「結果だ」
その言葉と同時に
頭の中へ
記憶が流れ込んだ。
四年前。
バス。
装置を起動する僕。
白い光。
高橋が叫ぶ。
『止めろ!』
装置から
火花が飛ぶ。
バスが急停車する。
僕の身体が
座席へ叩きつけられる。
高橋が
僕へ手を伸ばす。
そして。
暗闇。
次に見えたのは
病院だった。
ベッドに
誰かが寝ている。
僕だ。
身体中に
管がつながれている。
医師の声。
『意識反応がありません』
日付。
四年前。
「僕は……」
声が震えた。
高橋が言う。
「事故から
目を覚ましてない」
息が止まった。
「じゃあ
今の僕は何なんだ」
「観測結果だ」
高橋は
静かに答えた。
「装置がお前の脳と
接続されたままになった」
「312回観測した
可能性の記録が」
「お前の意識の中で
動き続けてる」
僕は笑った。
笑うしかなかった。
「じゃあ全部
夢なのか」
「違う」
高橋が強く言った。
「そこが重要なんだ」
モニターを指さす。
312の世界。
「最初は
脳内シミュレーションだった」
「でも途中から
外部観測装置が」
「説明できない信号を
受信し始めた」
「何の信号?」
高橋が答える。
「観測したはずの
世界からだ」
理解できない。
「存在しない世界から
返事が来た」
モニターを見る。
312人の僕。
一人が
こちらを見た。
次の僕も。
さらに次。
全員が
カメラを見ている。
僕を見ている。
「観測したことで」
高橋が言う。
「可能性だった世界が
観測対象として固定された」
「つまり」
「本当に存在し始めた」
身体が震えた。
312の世界は
夢ではない。
僕の脳が
入口になった。
「だから
ORIGINへ戻ると」
「一つだけが残る」
高橋が頷く。
「観測を終了すれば
可能性は一つに確定する」
「残り311は?」
「観測されなくなる」
消える。
同じことだ。
僕は
椅子へ座り込んだ。
「じゃあ再分岐は」
「観測を続ける処理だ」
だから311回。
僕は世界を
消せなかった。
そのたびに
記憶を初期化し
観測を続けた。
すべてつながった。
一つだけ除いて。
「高橋」
僕は顔を上げた。
「お前はどうして
ここにいる」
事故で死んだはず。
候補でもない。
それなのに
すべてを覚えている。
高橋は
長い間黙っていた。
そして
操作盤へ手を置いた。
「俺は死んでない」
僕は立ち上がった。
「何?」
「社員証の死亡記録は
お前に見せるために
作ったものだ」
「なんでそんなことを」
高橋が
一つのモニターをつける。
病室が映った。
ベッドには僕。
その横に
男が座っている。
高橋だった。
今より少し若い。
眠った僕へ
話しかけている。
『また今日も
反応なしか』
別の日。
高橋がいる。
さらに別の日。
また高橋。
何年も。
「お前……」
「俺は事故から
生き残った」
高橋が言う。
「四年間
お前が目を覚ます方法を
探してた」
胸が詰まった。
「じゃあ今のお前は」
「外側にいる俺が
装置を通じて作った
観測用の人格だ」
だから。
高橋だけ
分岐しなかった。
現実側にいる
一人の人間だから。
「俺の役目は」
高橋が言う。
「お前をORIGINへ戻すこと」
「お前が
目を覚ますために」
ようやく分かった。
ORIGIN。
元の世界とは
成績最下位だった世界でも
成功した世界でもない。
僕が眠っている
現実そのもの。
「帰れば」
「目を覚ませる?」
「ああ」
「でも311の世界は」
高橋は答えなかった。
僕は
赤いボタンを見る。
再分岐。
また繰り返せば
彼らは残る。
でも僕は
目を覚まさない。
高橋が言った。
「今回は違う」
「何が?」
「312回目の統合で
お前は全部の記憶を持った」
「次に再分岐したら
脳が耐えられない」
つまり。
もう一度はない。
帰るか。
ここに残るか。
僕は
312台のモニターを見る。
妻。
娘。
患者。
友人。
知らない人たち。
すべての世界に
生活がある。
「選べない」
僕が呟く。
そのときだった。
警報が鳴った。
赤い照明。
モニターが
一斉に乱れる。
『外部接続を検出』
高橋の顔色が変わった。
「何だ?」
「分からない」
『観測者が
追加されました』
僕たちは
画面を見る。
OBSERVERS
2
高橋が固まった。
「ありえない」
「観測者は
俺しかいない」
その瞬間
312台すべての画面が
真っ暗になった。
そして
中央のモニターだけに
映像が出た。
病室。
眠っている僕。
高橋が座っている。
現在の映像らしい。
しかし。
病室の奥に
もう一人いた。
白衣の男。
顔は見えない。
男が
僕の生命維持装置へ
手を伸ばしている。
高橋が叫んだ。
「誰だ!」
画面の男が止まった。
ゆっくり
カメラを見る。
顔が映る。
僕は
息ができなくなった。
僕だった。
でも
312人のどの僕とも違う。
白衣の僕が
カメラへ近づく。
そして
こちらに向かって言った。
『やっと見つけた』
音声が
研究室にも響いた。
『313番』
高橋が
僕を見る。
「313?」
画面に
新しい表示。
『候補世界 313』
『未観測世界を確認』
その下。
『ORIGIN指定を解除』
白いバスの表示が
消えた。
もう
帰る場所がない。
最後に
一文だけ表示された。
『警告』
『あなたがORIGINだと
認識していた世界は』
数秒の間。
そして。
『312番目の世界です』
僕は
モニターを見つめた。
現実だと思っていた世界まで
パラレルワールドだった。
なら。
本当の世界は
どこにある?
画面の白衣の僕が
笑った。
『思い出せ』
『最初に装置を作ったのは』
『誰だった?』
そこで
すべてのモニターが
消えた。




