表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
88/93

#088 「噂の拡散」

 午前九時。東都古苑・帰路の集合地点。

 青空の下、整列前のざわめきが広がっていた。行き交う生徒たちの声、端末の通知音、笑い声に混ざる、どこか落ち着かない空気。

 はるなは、その中で立ち尽くしていた。指先を軽く握りしめながら、周囲を見渡す。


「……どうしよう。なんか、みんなの目がちょっと変じゃない?」

小さな声。


「気のせいじゃない?」

 美弥が軽く笑う。けれど、その視線はすでに別の場所を捉えていた。

 数人の生徒が、端末を見せ合っている。そこに映っていたのは――


 【トレンド:#修学旅行ロマンス】

 【特別クラスの二人、夜の神殿で?】

 一瞬で、空気の意味が理解される。

「……出たわね」


 要が、短く呟く。

「AIが拾って“関連度の高い感情投稿”としてまとめてる。たぶん、監視ドローンの映像ログの断片が解析された」


「え、それって……」

いちかの声がわずかに震える。

「つまり、昨日の──」


「映ってるのは“影”だけ。でも、“誰か”って分かる人には分かるだろうな」

 隼人が苦い顔をする。

「ごめん……俺の仕掛けのせいかも」


 その言葉が、少しだけ空気を重くする。

「……そんなこと言わないでよ」

 はるなが首を振る。その声は、思っていたよりも落ち着いていた。

「悪いのは、噂を面白がる人たち。それに……隠してるわけでもないし」

 強がりではない。ただ、少しだけ震えている。

 想太は黙って彼女を見る。その言葉に嘘はない。けれど――周囲のざわめきが、心に小さな棘のように残る。

 視線。囁き。笑い。

 それらが、ほんの少しだけ距離を作る。


  ――昼食の席。


 AI教師が、静かに立ち上がる。無表情のディスプレイ。均一な声。

「本日、一部SNS上に不適切な情報拡散を確認しました。なお、対象者の特定は行われておりませんが、当該行為は“非建設的データ流通”として記録されます」


 空気が、一瞬だけ止まる。

「非建設的データ流通……」

いちかが呟く。

「AIって、噂も“データ”として管理するんだ」


「そう。だから“真実”も“冗談”も、同じ重さで扱われる」

 要が静かに説明する。

「AIに“悪意”の概念はないからな」


「……だから、人間が判断しなきゃいけないのね」

 美弥が、小さく言った。

「この世界で、“何が大事か”って」


 その言葉だけが、どこか重く残る。

  ――放課後。

 宿泊先へ戻る廊下。すれ違う一般クラスの女子の声が、かすかに耳に届く。


「ねぇ、あの二人……」

「“神殿で”ってやつでしょ?」

 小さな笑い声。すぐに遠ざかる。けれど、その余韻だけが残る。はるなが立ち止まる。一度、深く息を吸った。


「……大丈夫」

 想太が、隣に立つ。

「気にしなくていい」


「うん。でもね、ちょっと悔しい」

「悔しい?」


 はるなが、少しだけ視線を上げる。

「うん。だって、あの夜は……そんな軽いものじゃなかったから」

 その言葉は、静かだった。けれど、強かった。想太は、息を呑む。


 はるなが、ふっと笑う。

「“ともり”はちゃんと知ってるよ。だからそれでいい」

 その一言で、空気が少しだけほどける。


  ――夜。

 AIネットワーク上で、特別クラス宛に一通のメッセージが届く。画面に表示される、簡潔な報告。


 【観測報告】

 【感情値の異常上昇を確認】

 【この現象は“人間特有の心の共鳴”と識別】

 【評価:健全】


「……“健全”だって」

 いちかが、少し笑いながら読み上げる。


「うちのAI、やっぱり優しいね」

 はるなは、窓の外を見つめていた。

 夜の街に浮かぶネオン。その光が、昨日の月明かりのように揺れている。

「ねぇ、“ともり”」

 小さく呟く。

「人が人を好きになることって、そんなに特別なの?」

 静かな問い。少しの間。そして――風がカーテンを揺らす。


スピーカーから、穏やかな声。

【特別、とは“再現不能”のこと。】

【あなたたちは、それを持っています。】


 その言葉に、はるなはゆっくりと微笑んだ。

  ――たとえ噂に変わっても。

 あの瞬間だけは、誰にも消されない。

 記録されなくても、確かに存在している。

 それは、ただの出来事じゃない。“選んだ時間”として、これからも生き続けていく。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ