#101 「彼女の涙」
放課後の校庭は、夕陽に包まれていた。低く傾いた光が、地面をやわらかく撫でていく。桜のつぼみが、ほのかに色づきはじめ、風に揺れるたび、小さな影が静かに踊った。
校舎のスピーカーは、沈黙したままだった。いつもなら、どこかで流れているはずの声。その気配だけが消えて、世界の輪郭が、わずかにぼやけている。
はるなは、ベンチに座っていた。両手を膝の上で握りしめたまま、ただ前を見ている。
「……“ともり”が消えたら、どうすればいいの?」
その声は、かすかに震えていた。
「どうしたら……わたし、なにもできないよ……」
言葉の途中で、息が詰まる。視界がにじみ、夕陽の光がぼやけていく。
想太は、彼女の隣に腰を下ろした。何も言わず、しばらく同じ景色を見る。風が吹き抜ける。遠くで誰かの声がしたような気がして、すぐに消えた。
「……“ともり”は、まだどこかで動いてるよ。」
想太の声は、低く、静かだった。
「でも、声がしない。ログも止まってる。……まるで、消えちゃったみたいで。」
はるなは、両手で顔を覆った。指の隙間から、熱がこぼれる。
「わたし……ずっと、あの声に頼ってきたのに……」
その言葉は、小さく、途切れた。
想太は、そっと手を伸ばす。彼女の手を包む。その指先は、驚くほど冷たく、わずかに震えていた。
「大丈夫。」
短い言葉。けれど、その奥に揺るぎはなかった。
「俺が覚えてる。」
ほんのわずかな間。
「……だから、大丈夫。」
はるなが、ゆっくりと顔を上げる。涙に濡れた視界の中で、想太の姿がぼやけている。
「“ともり”が話してくれたこと。教えてくれたこと。」
想太は、まっすぐに言った。
「全部、俺がちゃんと覚えてる。忘れない。」
その言葉は、静かに、確かに届いた。
「だから――」
一度、言葉を切る。
「どんなに静かになっても、俺たちは、もうひとりじゃない。」
風が、ふたりの間を通り抜ける。桜のつぼみが揺れ、小さな影が足元で震えた。
はるなは、胸の奥にあった痛みが、ゆっくりとほどけていくのを感じた。その温度に触れた瞬間。涙が、あふれた。
「……想太……」
名前を呼ぶ声は、ほとんど音にならなかった。
想太は、ただ彼女の肩に手を置く。
「泣いていいよ。」
静かな声。
「俺が、ここにいるから。」
はるなは、小さく頷いた。目を閉じる。夕陽が、ゆっくりと沈んでいく。ふたりの影が、長く、長く伸びる。校庭は静かで、風の音だけが、かすかに残っていた。
──
観測ログ:
記録停止中
非公式記録:
「俺が覚えてる。だから大丈夫。」




