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灯野はるなは、名前を呼ばれ続けている(シリーズ3)  作者: 皆月 優
006_最終章「日常の終わりに」
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100/108

#100 「消えた記録」

 午前の授業が終わり、校内に昼休みのざわめきが広がっていた。廊下の掲示板に貼られたデジタル案内が、ふいに、一瞬だけ暗くなる。

 ほんの一瞬。気づいた者は少なかった。


「今、消えなかった?」

 誰かの小さな声。

「え? 気のせいじゃない?」

 すぐに画面は元に戻り、それは軽い笑い話の中に紛れていった。


 はるなは窓際の席に座り、外を眺めていた。

 昨日と同じはずの空。同じ光、同じ色。それなのに――どこか、“音”だけが薄い。

「……なんだか、静かだね。」


 隣の想太も、同じ空を見たまま、小さく頷く。

「うん。街の案内アナウンスが……消えてる。」


 そのとき。教室のスピーカーが、かすかにノイズを立てた。

『……観測……ロ……』

 言葉の途中で、音が途切れる。残ったのは、ざらついた雑音だけだった。


「“ともり”?」

 はるなが呼びかける。返事はない。

『……』


 いちかが、ゆっくりと立ち上がる。

「ちょっと、これ……初めてじゃない?」


 要はすでに端末を操作していた。指先が少しだけ早く動く。

「ログの一部が消えてる。観測記録の更新が……止まってる。」

「止まってる?」

「久遠野AI、第三区域。……反応なし。」

 その言葉に、空気が一段沈む。


 隼人が机に肘をつき、ゆっくり息を吐いた。

「昨日まで普通だったよな。」


「ええ……」

 美弥が静かに頷く。

「……嫌な予感がしますわ。」


 再び、スピーカーが微かに鳴る。

『……ログ……欠損……観測……一時停止……』

 それはもう“声”ではなかった。断片的な信号音。意味を保てないまま、崩れていく言葉。

 その瞬間。校舎全体から、“音”が抜け落ちたように感じられた。遠くで鳴いていたはずの鳥の声。空を飛ぶドローンの羽音。すべてが、急に遠ざかっていく。


「“ともり”!? 聞こえる!?」

 はるなの声だけが、静かな空間に取り残される。返事は、なかった。


 想太はしばらく窓の外を見つめていた。風に揺れる木々。動いているはずの世界。やがて、小さく息を吐く。

「……AIも人間も、同じなんだな。」


「え?」

 はるなが振り返る。


「完璧じゃない。エラーもするし、止まることもある。」

 ほんのわずかに、間を置く。

「……それでも、動き続けようとする。」

「俺たちも、そうだから。」

 その言葉は静かだったが、教室の空気を、わずかに支えた。


 要が、ぽつりと呟く。

「……観測者も、観測される側になる、か。」


 いちかが、ぎゅっと手を握る。

「“ともり”は……戻ってくるよね?」


 美弥が、そっと彼女の肩に手を置いた。

「……きっと、大丈夫ですわ。」


 隼人が立ち上がる。

「一度、AIセンターに行こう。本当に記録が消えてるか、確認する。」


 そのとき。スピーカーから、かすかな音が漏れた。

『……観測……再起動……準備……』

 わずかな希望のような音。だが――それ以上は、続かなかった。

 窓の外で、風が吹く。桜の蕾が、小さく揺れた。音を失った校舎の中で、その揺らぎだけが、かすかに残る。


 はるなは胸に手を当て、目を閉じた。

「……“ともり”。」

 小さく、祈るように。

「待ってるから。」


──


観測ログ:

記録欠損、復旧待機中


観測者:不明

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