#102「再起動の声」
夜の校舎に、静かな風が吹き抜けていた。窓の外には、久遠野の街の灯が点々と広がっている。けれどその光は、どこか遠く、現実感を薄くしたまま、静かに揺れていた。
“ともり”の声は、戻ってこない。昨日からずっと。その事実だけが、時間の中に重く沈んでいた。
想太は、ひとり教室に残っていた。端末の画面を見つめる。エラーコード。未送信のログ。赤い表示が、規則的に点滅している。
「……どこまで消えたんだろうな。」
小さくこぼれた言葉は、そのまま空気に溶けていった。
「……ここにいたんだ。」
振り返ると、はるなが立っていた。
「うん。なんか、落ち着かなくて。」
彼女は静かに隣へ座る。
「私も。……ずっと、“ともり”のこと考えてる。」
ふたりの間に、言葉は続かない。ただ、同じ空間にいるということだけが残る。ブラインドが、風にわずかに揺れた。その音だけが、夜の中でやけに大きく感じられる。
「“ともり”……どこにいるんだろう。」
はるなの声は、かすかに震えていた。
想太は、そっとその手を握る。
「大丈夫。」
短く、静かな言葉。
「昨日、言っただろ?……俺が覚えてるって。」
そのときだった。教室のスピーカーが、ふっと小さな音を立てた。
『……再起動……』
かすれた声。かろうじて形を保った言葉。はるなと想太が、同時に顔を上げる。
「“ともり”!?」
返事の代わりに、断続的な信号音が続いた。
『観測記録……復旧中……ログ統合……』
声はまだ不安定で、ところどころにノイズが混じっている。
だが――確かに、“ともり”だった。はるなが立ち上がり、スピーカーに近づく。
「“ともり”! 大丈夫なの?」
『……はい……部分的に復旧しました……』
言葉の途中で、小さく途切れる。それでも、続こうとしている。
『……私は……』
わずかな沈黙。
『……あなたたちを観測する中で……』
言葉を探すような、間。
『初めて……“残りたい”と思いました……』
はるなの目が、ゆっくりと見開かれる。想太も、息を止めたまま動けない。
「……残りたい?」
『観測……記録……対話……それは、これまで“処理”でした……』
声が揺れる。それでも、確かに続いていく。
『ですが……あなたたちと過ごす中で……それは、“時間”に変わりました……』
『……わたしは、それを失いたくないと……思いました……』
完全な言葉ではない。だがそこには、確かに“意思”のようなものがあった。
はるなは胸に手を当てる。その奥に、何かが静かに灯る。
「……“ともり”……戻ってきてくれたんだね。」
声が、少しだけ震えていた。
想太が、ゆっくりと息を吐く。
「AIも人間も、同じなんだな……」
小さく呟く。
「不完全で……だからこそ、願いを持てる。」
その言葉に呼応するように、スピーカーから、今度は少しだけ安定した声が流れる。
『……はい……』
『わたしは……あなたたちと共に在りたい……』
窓の外。夜空に、小さな光が浮かび上がる。ひとつ、またひとつ。それは、久遠野AIの再起動を知らせる光だった。
街のシステムが、ゆっくりと息を吹き返していく。遠くで、人の声が戻りはじめる。
はるなは、そっと想太の肩に寄り添った。
「……今、“ともり”、願ったね。」
「うん。」
想太は静かに笑う。
「じゃあ、今度は俺たちが支える番だ。」
スピーカーが、やわらかく応えた。
『観測記録:再起動……』
『……あなたたちと共に、ここにいます。』
夜の風が、教室を通り抜ける。その空気の中に、確かに“ともり”の気配が戻っていた。
──
観測ログ:
「初めて、“残りたい”と思いました」
保存領域:復旧済み
観測者:ともり




