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巨星墜つ

鎌倉陥落


建武三年正月

新田家の領地は日本各地に広がり、新田家に臣従する領主も増え続けていたため、京の壬生寺(義貞の本陣で仮の御所でもある)は俺への挨拶を求める人であふれかえっていた。

正月の間は、今まで顔を合わせたこともない人とひたすら言葉を交わしていた記憶しかないな。

なお、安藤聖秀による鎌倉攻めは正月が過ぎてから開始されたのだが、多少の抵抗はあったものの、寝返る者が続出したことで新田軍の勝利に終わった。あくまで新田家と敵対する道を選んだ者たちは北陸にいる尊氏の下へ逃げたのだが、真冬に移動したせいもあって凍死する者が続出したという。


◇岩松経家視点◇

鎌倉陥落により、義貞の勢力範囲は日本の半分にまで及ぶこととなったか。

くそっ、今のままでは新田家当主になるどころか、岩松家の存続すら危ういではないか。

こうなっては、尊氏殿だけが頼りだ。

待ってろ義貞。例えどんな手を使ってでも、岩松家を新田宗家にして見せよう。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇


とりあえず鎌倉を落としたことだし、味方も増えていることから、暫くは軍事行動を控えてもいいんじゃないかな。

というか、今や俺は事実上の天下人ということで、天下を差配しないといけないんだよ。

これ以上領土を増やしたら、仕事が回らなくなってしまう。

全くもって、忙しいことこの上ない。

とりあえず、政治は義助・義顕を筆頭に据えて、その下に高師直、土岐頼遠・佐々木道誉・渋川義季ら降伏してきた武将たちを配置して何とか回している状態だ。

えーと、この後は建武式目制定のための会議かよ。

それで、朝廷はどうしましょうだと?二条良基や世尊寺行尹に全部任せてしまえ。

それに、俺は二条城も造らなければならないんだよ。

職人は新田荘から呼び寄せるとして、人夫は京周辺で集めればいいか。

竹筋コンクリート製の巨城を造るのに必要な物といえば・・・、砂・砂利・水・石灰岩と石炭か。

石炭は九州から大量に運び込むとして、京の周辺にある石灰岩産地といえば、やはり鞍馬山かな?それとも質資(京丹後町)かな?

余談だが、鞍馬山の石灰岩はフズリナ(古生代に全盛期を迎えた有効虫)を大量に含んでいるぞ。ああ、顕微鏡で化石を眺めていたい。

あとは・・・、図書寮はどうなっているのだろうか。

一応、俺は二年間図書頭をやっていたから、図書寮に思い入れがあるのだよ。

そこで、近くにいた忍びに調べさせると、本の管理は卜部兼好や児島高徳らが暇を見てやっていたとのこと。

それでは、正式な役職に就けてこのまま図書寮を任せてしまおうと思って二人を呼び寄せたのだが、兼好には断られてしまった。

なんでも、『人の下で働くのが苦手だから、僕は隠者をやっているんだな。僕の望みは、僕の周りの人が幸せでいることであって、立身出世をすることではないんだな』だってさ。

無欲なのか、それとも分を知っているのかはよく分からんが、もし求められて仕事を任せられる機会があるなら、それを掴んだ方が良いんじゃないかな。そう、人間は高みに上ってこそ見える景色があると言うしね。まあ、俺の意見だから合っているのかどうか分からんけど。

一方、児島高徳は吉野に行きたいと言い出した。

理由を聞くと、吉野朝(以降は南朝とする)が正統だからだそうだ。

何故南朝が正統なのか。それは、南朝は前代から正式に帝位を引き継いでいるから正統なんだってさ。

だけど、児島殿は朱子学に詳しいんだよな。であれば、徳ある王者こそが正統なんじゃないかな。

その点を高徳に指摘すると、高徳は『楠木正成みたいに忠臣として名を残したい』なんてことを言い出した。高徳曰く、忠臣とは立派な君主の下では目立たず、バカ王が世に出て初めて彗星の如く世に煌めく存在になるんだってさ。

つまり、色々と問題のある南朝に尽くした方が、忠臣として死ねるというわけか。

「なあ児島殿。珍しい書物を読みたくないかな?」

「ううっ義貞殿、私を物で釣らないで下さい」

「俺は、唐国だけでなく、天竺や南蛮の書物も取り寄せることが出来るぞ」

「唐国以外の書物ですと。おおっ、何と魅力的な・・・」

「俺は、文筆活動に専念できる環境を整えることも出来るぞ」

「参りました。義貞殿に仕えさせてください。いずれ、鎌倉末からの戦乱の時代についても本として記録に残したいと考えております。その名も『太平記』です」

「ハハハ、平和物語か。児島殿も皮肉屋だな」


巨星墜つ


以前から体調を崩していた後醍醐帝は日に日に衰え、ついに臨終も間近と思われたため、周囲の者たちは最期のお言葉を伺った。

帝は、苦しそうに息を継ぎながらこうおっしゃった。

「妻子も珍宝も王位すらも臨終に際して身につけることは出来ないとは、如来の金言であって朕が常日頃心掛けていることである。ただ、死後永遠の妄執になるであろうことは、朝敵義貞の一門を滅ぼして、天下を泰平にしようと思うこの一事だけである。朕の子孫が我が命に従わないなら、それは決して正当な天皇ではないし、仕える臣も忠臣ではない」

帝は、こう遺言を残すと、左手に法華経の第五巻を、右手には御剣をとって、二月十六日の丑の刻に崩御されたのだった。

涙は枯れ果てても、帝を失った悲しみは尽きることは無い。旧臣や后妃がその別れを悲しんだだけでなく、心ない草木や吉野の山奥に住む人・卑しい山奴に至るまで、帝徳を慕って悲しみにふけるのであった。


◇三位内侍(阿野廉子)視点◇

先帝が崩御されたのは悲しいことであるが、ついに我が子義良が皇位についた。

これで、わらわは国母となった。この国はわらわの物じゃ。

だが、それを邪魔する者がいる。新田義貞め、どうすれば奴を排除できるのか。

奴は既に日本の半分を制しており、味方も多い。

国内の南朝軍を糾合して義貞を誅するのは、もはや困難といえよう。

やはり、大元国に使いを出して、援軍を求めるより他あるまい。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇


後醍醐帝崩御の報は、直ちに京へと伝えられた。

その報を聞いて、ある者は『これで戦乱は収まる』と思い、また別な者は『後継の後村上帝がいる限り戦乱は収まらぬ』とこの世を憂いたりした。

そういえば、祟り神は後醍醐帝に対して思うところがあるんだったな。

後醍醐帝の崩御に祟り神はどう反応するのか。

気になった俺は、祟り神を呼び出して確認することにした。

「祟り神殿、貴殿には生前いいように使われた後醍醐帝を見返したいという気持ちがあったと思うが、今や俺は事実上の天下人です。十分見返すことが出来たと考えて良いのではないですか?」

『確かに、この点についてはおぬしに感謝している。我の無念が晴らされつつあるせいか、我は御霊の力に目覚めつつあるぞ。見てみよ、この浄化の力を』

祟り神が御霊の力を振るうと、俺の屋敷内にいる病人や怪我人はたちどころに回復するのであった。

「凄いっすね。これなら、戦で怪我人が出ようが疫病が蔓延しようが、無敵じゃないですか」

『そうじゃな。ただ、後醍醐帝については一つだけ後ろめたい気持ちがあるのじゃ。いくら北朝の帝を盛り立てようと、やはり本物の帝は後醍醐帝なのではないかとな』

「ふーむ、やはり後醍醐帝は実力で皇位を保持していたわけですからね。まあ、『家門と家領を一括安堵して嫡男に継承させる方針を打ち出したこと』や『土地給付の強制執行』など、帝の政治にも多少見るべき点はありましたが、帝のせいで南北朝時代という戦乱の世がもたらされたのも事実ですし、実際の帝はぜいたくな暮らしを好み、皇統を自身の子孫で独占しようとした、私利私欲の人・・・」

『これ、あまり帝を悪く言うでない。そんなことをすれば、おぬしに天罰が落ちるぞ』

「その考え方、完全に怨霊信仰っすね。吉野で憤死した帝は強い怨霊になっているはずだから、悪口を言えばどんな悪いことが起こるか分からないってことですかな。だから、後醍醐帝は名君で、覇者(武家)から政権を取り戻した建武の新政は正しいという評価になるわけですね。これじゃあ、この国に正しい歴史認識など期待できないということになりますな」

『徳業よ、おぬしは一体何を考えている』

「俺は、常にこの国を強くすることを考えております。そのためならば、怨霊や神ですら殺して見せましょう。祟り神殿が御霊の力に目覚めたのならちょうど良い。俺の力と合わせれば、玉藻の前を倒せますか?」

『いいや、まだ足りぬ。神殺しをするのであれば、この国の大魔王に御出馬いただく必要があろう』

「へー、大魔王っていうとあのお方か。あの方をお呼びするには、どうすれば良い?」

『我らと玉藻の前が派手に戦っていれば、あのお方は放っておいても自ら出てくるであろう』

(ふむ、徳寿丸(義貞次男義興)と宣子(義貞第三夫人)に期待するのは当然として、それ以外にも何か欲しいな)


とりあえず玉藻の前は置いといて、俺は南朝に朝敵扱いされたわけだから、また新たな戦が始まるんだろうな、とは思っていた。

良くも悪くも、後醍醐帝という重石を失ったわけだから、追い詰められた南朝が何をしでかすか分かったもんじゃない。

特に、新田一族を滅ぼせと遺言した上で、『朕の子孫が我が命に従わないなら、それは決して正当な天皇ではないし、仕える臣も忠臣ではない』と言っているから、帝の遺言に従う限り、南朝の子孫や臣は、何が何でも新田一門と持明院統を滅ぼさねばならないことになるわけだ。

そんな俺の下に、上州屋清兵衛(世良田の商人ね)からある報がもたらされた。

「えー、なになに・・・。高麗で多数の兵船が建造されている、か」

あれ、数十年前にも、これと同じようなことがあった気が・・・。

そうだ、元寇だ。

たしか、この頃の元は内部抗争に明け暮れていて、日本遠征などできぬはずなんだけどな。

いや、1333年にトゴン・テムルが皇帝に即位することで後継者争いは収まったから、外征にまで手が回るようになったのか。

でも、弘安の役(1281年)で大半の軍船を失ったから、元や高麗は木材不足になっていたんじゃないのか。

うーん、あれから五十年経ったから、森林資源が回復したということなのかな。

いずれにせよ、こうなったからには一刻も早く北陸の足利軍を壊滅させねば。あっ、まだ冬だから大雪のせいで北陸に進軍できない。

しょうがないから、今は情報収集や城づくり・大砲づくり・造船等に精を出すとするか。

北陸攻めに向けて、多数の兵船を琵琶湖に浮かべてやる。

吉野周辺には多数の忍びを配置し、春になったら日本海に船団を派遣するとしよう。


◇バヤン(大元国右丞相)視点◇

フフフ、ついに大元国の最有力者となったが、この程度で満足せんぞ。

わしは、いずれチンギス・ハーンを超える実力者となり、世界を征服する者だ。

そのためにも、まずはクビライ・ハーンですら実現出来なかった日本征服を成し遂げてみせるぞ。

そうすれば、大陸沿岸部で猛威を振るっている倭寇も退治できるし、仮に失敗したとしても政敵の追い落としに利用できて、まさに一石三鳥ではないか。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇


◇南朝視点◇

「神国日本に蒙古の軍隊を呼び寄せるなど、果たしてやって良いことなのか」

「汚らわしい外国の軍を自ら呼び寄せるなど、ご先祖様に申し訳が立つまい」

「だが、今のままでは新田軍に敗北するのも時間の問題ぞ」

「先帝(後醍醐)の遺言は『朝敵を滅ぼせ』だからな。外国と手を結ぶのもやむ無しか」

(いや、流石にこれはやりすぎだ。わしは北朝に降るぞ)

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

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