表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
40/49

新田政権成立

後醍醐の還幸


北畠中納言顕家討死、そして奥州勢潰滅。

この報は、朝廷軍の士気を著しく低下させ、朝廷軍から新田軍への投降が相次ぐこととなった。

(うーん、ここが勝負所かな)

俺はそう思い、叡山に使者を差し向け、後醍醐帝と和議を結ぶことにした。

内容は、『①後醍醐天皇は譲国の儀式をもって三種の神器を光厳天皇に渡すこと』『②今後、皇位は持明院統と大覚寺統が交互に即位すること』『③諸国の国衙領は大覚寺統、長講堂領は持明院統の支配とすること』『④天下のことは朝廷にお任せする』といった感じね。

後醍醐帝は、次の天皇は光厳帝の弟(光明帝)だが、その次は自身の子に帝位が譲られるというので心が動いた様だった。

しかし、その和議の動きに待ったをかけた者がいた。足利尊氏である。

まあ、尊氏の立場では受け入れられないよな。何しろ、後醍醐帝と俺が手を結べば、尊氏は賊軍になってしまうのだから。

足利直義は和議に大反対し、自分の意見を聞き入れないのであればこの場で我が首を刎ねよと言い放った。

暫くして、尊氏が三千余騎を率いて参内した。

このままにしておけば、帝に危害が加えられるかもしれない。そう思った三位内侍は、後醍醐帝にある提案をした。

「こんな案はいかがですか?ゴニョゴニョ」

「ふむ、そうじゃな。尊氏、朕は退位しようと思う。春宮恒良親王に天子の位を譲って、汝らとともに北国に下すこととしよう。この君を補佐して、天下のことは尊氏・直義が取り計らうのじゃ」

「ははっ、承知つかまつりました」

こうして、恒良親王即位の儀式やら還幸の準備やらで、その日は慌ただしく過ぎた。

明けて、建武二年十二月二十五日。

後醍醐ら一行は京へ還幸する一方、足利尊氏ら一万騎は新帝となった恒良親王と共に越前国へと落ちていった。ちなみに、この時尊氏らが所持していた三種の神器は偽物と言われている。


京へ戻った後醍醐たち一行は、新田軍数万に取り囲まれた。

「まず、三種の神器をお渡しいただこうか」

「三種の神器は、譲国の儀式をもって光厳帝に渡されるのではないのか」

「そんなこと当方は知らぬ。我らはただ三種の神器を取り返してこいと命じられただけだ」

「ムムッ、無礼な」

「渡さなければ武力に訴えるまでだ」

こうなってしまっては致し方なしと、後醍醐帝は三種の神器を新田軍に渡したのだが、これも偽物だったらしいぞ。

ともかく、こうして三種の神器は光厳帝の下に戻ったので、光厳帝は弟で皇太子の豊仁親王に譲位することとなった。北朝第二代光明天皇の誕生である。

一方、後醍醐帝は京の屋敷に幽閉されることとなった。

これで後醍醐帝が大人しくなってくれさえすれば全て丸く治まるのだが、後醍醐帝は早速この状況に不満を持ったようだ。

脱出の機会を窺う様子を見せたので、警護人や忍びを大勢張りつけて厳重に見張っていたのだが、後醍醐たちには大怨霊玉藻の前が憑いていたんだよな。

とある日の夜のこと。玉藻の前は大きなキツネに変化し、後醍醐帝たちを吉野へと連れ去ったのであった。この時、本物の三種の神器は供の武士が肩に担いだという。

吉野に逃れた後醍醐帝は復位を宣言し、恒良親王の即位を完全に無かったことにしたのだった。

吉野の後醍醐帝は、義貞に不平・不満を持つ公家や武士たちに決起するよう多方面に勅使を派遣したが、皆長きに渡る戦乱に疲れ果て、後醍醐帝に従う者はほとんどいなかったという。

後醍醐帝は、戦死した北畠顕家の代わりに、その弟顕信を鎮守府将軍に任じて陸奥での再起をはからせることも試みた。

顕信は、義良・宗良両親王や父の親房を連れて伊勢大湊から大船団を出航させたのだが、途中で大嵐に遭い船団は潰滅。顕信、親房、義良・宗良両親王は、すごすごと吉野へ逃げ帰るのであった。


◇後醍醐視点◇

どういうことだ。朕が南面すれば、世は丸く治まるのではなかったのか。

にもかかわらず、朕は京を追い出され、この世から戦乱は無くならぬ。

廉子に勧められた朱子学が間違っているはずはない。

朕の聖徳が欠けているわけでもないというのに・・・。

ううっ、朕には何も分らぬ。

意気消沈した後醍醐は、これ以降急速に体調を崩していくこととなる。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇


新田政権成立


さて、これまでの間、多々良浜の戦い、湊川の戦い、青野原の戦いなどで戦勝を重ねた結果、新田家の領土は上州・越後・駿河・播磨だけでなく、九州・摂津・河内・陸奥と出羽の北部にまで広がった。明確に俺と敵対しているのは、吉野・北陸の尊氏・鎌倉周辺・九州の菊池氏といったところか。その他の土地の領主は俺に好意的だから、吉野の帝と北陸の尊氏を何とかすれば事実上全国制覇したことになるんだよね。

では、吉野と北陸のどちらを先に攻めるべきかといえば、やはり北陸かなあ。

吉野は、勢力的には大したこと無いが、大怨霊玉藻の前がいるから攻めにくいんだよね。

その点、尊氏相手なら普通に怨霊の力も使えるし、余裕で勝てるんじゃないかな。

でもなあ、尊氏を相手にしている最中に、吉野から京を攻められると厄介だな。

史実だと、後醍醐帝の死後南朝軍が京を回復し、北朝の光厳・光明・崇光の三上皇と皇太子の直仁親王を捕らえて賀名生に幽閉したりしているからな。

やはり、京の守りを固くしてから北陸攻めを敢行するのが良いかな。

ということで、京に難攻不落の城を築くことにしたよ。ちなみに、城の名前は二条城ね。

とにかく、深い堀と竹筋コンクリート製の高い城壁で囲むことで、鉄壁の守りを実現させることにするから、完成までに時間がかかるな。

そうだ、新田荘の安藤聖秀に鎌倉攻めをさせるとしよう。

あとは、事実上の新田政権が成立したわけだから、新政権の施政方針を示す式目(建武式目)も作らないといかんな。俺は、競争は大いに結構と思っているが、無秩序はいかんとも思っている。バサラ大名どもはエネルギーに満ち溢れているからな。奴らのエネルギーを良い方向に導くような式目を作らないと・・・。

とりあえず、法学者を集めて協議しながら制定するとしよう。


◇安藤聖秀視点◇

京にいる義貞殿より鎌倉攻めの命が下った。

味方も日々増えていることだし、此度の戦は簡単なものとなろう。

それにしても、義貞殿が事実上の将軍となり、全国統一も間近とは。

義貞殿には見所があると思ってはいたが、まさかここまで大きくなるとは思いもよらなんだ。

日本を統一したら、次はいよいよ国作りだ。

義貞殿、この日本を『今よりずっと自由が尊重される、平和で豊かな強い国』に作り変えて貰いますぞ。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇


◇玉藻の前視点◇

つまらんのう、つまらんのう。

このまま義貞が日本を統一すれば、この世から戦争が無くなってしまうではないか。

義貞のような異物は、日本に受け入れられるはずがないと思っておったのだがのう。

とんだ見込み違いじゃったわ。

儂は、まだまだ面白きものを見ていたいのじゃ。

こうなったら、異国の勢力を日本に呼び寄せて、争いを煽るしか無いかのう。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇


◇後醍醐と三位内侍(阿野廉子)◇

「主上、現状を打破する起死回生の策を思いつきました」

「ゲホゲホ、左様か。して、それは如何なる策か」

「国内に味方がおらぬのであれば、海外から呼び寄せるのです。元国に助けを求めるのは如何でしょうか」

「ゴホゴホ、それだけはやってはならぬことだ。日本は神国である。この国に、外国人(朱子学で言う野蛮人)など呼び寄せてはならぬのだ(朱子学では、外国人を呼び寄せること自体が大悪となります(攘夷思想))」

「しかし、それ以外で義貞に勝つ方法はありませぬ」

「廉子、駄目なものは駄目なのじゃ」

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ