湊川の戦い
湊川の戦い(対楠木正成)
十一月十五日午前八時頃、俺の乗る船が湊川(兵庫県神戸市)に到達し、足利・楠木連合軍と対峙した。
他方、陸からも脇屋義助を大将とする大軍が山陽道を東進し、戦場に接近しつつあった。
海からの大船団は「呉と魏が天下を争った赤壁の戦いを凌ぐ」かの如くに見えたが、尊氏も正成も新田方の大軍に対して少しもひるまなかったという。
水軍を用意できなかった足利軍は、足利直義を将に一族三十人、総勢五千余騎を経島に、斯波高経を将に一族二十人、総勢三千人を灯炉堂の南の浜にそれぞれ布陣させ、陸地からの敵に備えさせた。総大将の尊氏は諸将への軍令を出すため、和田岬に二万五千の兵で布陣した。一方、楠木軍は他家の軍勢を入れず、五百余騎で湊川西の宿(湊川の西側、本陣の北西にあたる会下山)に布陣し、陸地から攻めてくる敵に備えていた。
さて、海上で足利・楠木勢の布陣を見た俺は、どう攻めるのが良いか師直に質問した。
「拙者に船団を任せてもらえるなら、生田の森に上陸して、尊氏軍の退路を絶って見せよう。そうすると尊氏本陣は東に動くだろうから、その隙に義貞殿は尊氏の本陣である和田岬を占領して下され」
「それじゃあ、その作戦で行こうか」
早速、師直は大船七百艘を東進させて生田の森への上陸を開始した。
うーむ、上手い具合に足利軍は動揺しているな。ここは、師直に助太刀するか。
ということで、和田岬に陣取る尊氏本陣に大砲数十発を撃ち込んでやった。
ズドドドーン。ドガーン。
尊氏率いる足利軍本隊は、大混乱しながら東方(兵庫県西宮市)へと逃げ去った。
こうして、俺は簡単に和田岬を占領し、同時に湊川西に布陣する楠木軍を包囲することも可能になったのである。
では、東進する義助軍には楠木軍に向かって総攻撃させるとして・・・。
俺は楠木軍の退路を絶ちつつ、何とかして正成を降伏させることが出来たら良いなあ、何てことを思っていた。
◇楠木正成視点◇
くそっ、完全に包囲されたか。
「もはや逃れられぬ運命ぞ。正季(正成の弟)、木っ端武者にはかまうな」
「おうっ」
義助の兵ども、菊水の旗を見て戦う甲斐のある敵と思えばこれを取り囲んで討ち取ろうとしたけれども、正成・正季兄弟は戦う甲斐のある敵がいれば組んで落ちては首を取り、相手に取って不足な敵は太刀を振り回して蹴散らした。
正成と正季は、各々分かれて義助軍に突撃すること七回に及んだ。
これは、ひとえに脇屋駿河守義助を討ち取らんがためなり。
この時、義助は楠木勢に追い詰められ、もう少しのところで討ち取られそうになったという。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「義助を討たせるな。栗生顕友・篠塚重広・畑時能・由良具滋の軍は楠木勢の背後を突け」
くっ、楠木勢の攻撃が激しすぎて、正成に降伏を促すことも出来ん。
おまけに乱戦だから、大砲を撃てば味方にも当たってしまう。
「楠木勢を包囲して、確実に兵を減らすのだ」
こうして、俺は正成包囲網をどんどん縮めていった。
楠木勢は次第に数を減らし、残りはわずか七十三騎となり、湊川の東にあった民家の中に逃げ込んだ。
よっしゃ、今こそ降伏勧告のチャンス。
俺は、メガホン(円錐型の筒)を使って民家の中にいる正成に呼び掛けた。
「正成殿、貴殿が朱子学信者で、帝に忠誠を貫くためここで死のうとしているのは分かっているが、人間死んではおしまいなのだよ。どうか、ここは生き延びて世のため人のために尽くす生き方を選んではくれないか」
正成は、民家の中から俺に向かってこう叫んだ。
「我が望みは、七度生まれ変わろうと同じ人間に生まれて、朝敵を滅ぼすことにある。罪業の深い悪念ではあるが、これがわしにとっての義だ」
「ちょっと待て、正成殿。本当に死ぬ気なのか。死ぬことなどいつでもできる。俺は貴殿を助けたい。貴殿はこれからの時代に必要な人材なのだ」
「そこまでわしのことを買ってくれるのは喜ばしいことだが、わしは朱子学に殉じると決めたのだ。フフッ、国が平和で君主が立派であれば、良き武士の忠義も武勇も発揮できぬ。逆に、思慮の浅い君主のために命を捧げることが出来たなら、その者こそ真の忠臣と言えるのではないか。わしは、主上のために命を捧げよう」
正成はこう言い残すと、正季と刺し違えて自害した。残りの腹心たちも、皆自害して果てたのであった。
智仁勇の三徳を兼備し、人としての正しい道を守るために死した例で正成に勝るものは未だかつて誰もいなかったわけだが、バカ王のために死ぬことでしか忠義を示せない朱子学は、何と非生産的な学問(いや宗教か)であろうか。
改めて、俺は朱子学を潰す決意を固めるのだった。
湊川の戦い(対足利尊氏)
楠木正成が自害したので、俺の軍は義助の軍と合流して尊氏率いる三万余の軍勢に攻め掛かった。
「足利軍に大砲を撃ち込めー!!」
スドーン、ドガーン。
浮き足立つ足利軍であったが、尊氏の号令で軍を立て直し、新田軍に突撃して混戦に持ち込んだ。うーむ、これでは大砲が使えんが、単純に兵数だけで見れば新田軍は十万近いからな。
三万余の足利軍が崩壊するのも時間の問題であろう。
事実、徐々に足利軍は押され始め、丹波路へ逃れる者が続出した。
尊氏は少しでも多くの味方を逃すため、殿に残って新田軍の前に立ちはだかった。
「義貞、天下の騒乱は止むことなく、民の苦しみが絶えぬことも久しい。これは、大覚寺統と持明院統の争いとは言いつつも、君と余の争いに他ならない。ここは、我らの一騎打ちにて全てのケリをつけようではないか」
「尊氏殿、よく俺の前に立つことが出来たな。そもそも俺の手を振り払って朝敵にしたのは貴殿であろう。俺は、貴殿と共に足利幕府を盛り立てていくつもりだったのだぞ。もはや、お前の言うことなど聞く気にもならぬ。あと、尹子殿を返せ」
俺は尊氏に向かってこう言い放つと、忍者隊に焙烙玉を投げ込ませた。
ビュンビュンビュン・・・ドガーン。
「おのれ義貞、臆病者め。飛び道具を使うことしか能がないのか」
ビュンビュンビュン・・・ドガーン。
「兄上もお引き下され。ここは危険にございます」
「直義か。お前も義貞を挑発しろ」
「かつて漢の高祖(劉邦)が項羽に一騎打ちを申し込まれた時、お前と相手するのは罪人で十分だと言って取り合わなかったと聞いています。いくら挑発したところで、奴は我らの誘いには応じぬでしょう。早く兄上も撤退してください」
「ううむ、無念だ」
こうして足利軍は京へ撤退し、湊川の戦いは新田軍の勝利で幕を閉じたのであった。




