冤罪
直義と共に軍を率いて上洛した俺は、入京する直前に義助・義顕を呼んで一つの袋を渡した。
「この中に新田家の行動指針が入っている。これから俺は、直義殿と共に尊氏殿の弁明をしなければならないが、相手はあの主上(後醍醐)だ。政治は上手くいっていないが、傑物であることには変わりない。この後どうなるのか俺にはさっぱり読めぬので、もし俺に何かあったら、この袋を開いて中に書いてある通りにするがよい」
「兄者、その様な弱気なことは言わないで下さい。某に兄者の代わりは務まりませぬ」
「そうです、父上なくして新田家は成り立ちませぬ」
泣き言をいう二人に対し、俺はこう答えた。
「いつまでも俺を頼りにするな」と。
そうそう、俺一人いなくなったら崩壊する組織では、どうしようもないからな。
早い所、義助と義顕には独り立ちしてもらわなきゃいかん。
もちろん、俺だって死ぬ気は無いよ。
いざとなったら、怨霊の力でも神の力でも何でも使って生き伸びてやるさ。
いずれにせよ、弁明の使者は軍隊を引き連れたまま京に入ることはできないから、義助・義顕とは暫しのお別れだ。
「必ず、生きて我々の下に帰ってきてください」
「ああ、分かってるよ」
そして、俺と直義は少数の護衛を連れて帝のいる御所へと向かったのであった。
建武二年九月某日
御所に参内した俺と直義は、とある部屋に通された。
「少し失礼する」
こう言って直義が部屋を出てから間もなく、結城判官(親光)と名和伯耆守(長年)がやってきて俺にこう伝えた。
「新田左馬助義貞、そなたを大逆罪で逮捕する」と。
「ちょっと待て。俺は帝に刃向かおうなどと思っておらぬぞ。直義殿はおらぬか」
すると、後ろの扉から直義が現れて俺にこう言った。
「義貞殿、そなたは帝の忠臣であろうとする兄上をそそのかして、鎌倉で幕府を開かせようとしたではないか。これを大逆罪と言わずして何と言えよう」
直義の身体から、禍々しい黒い靄が湧き出していた。こいつも、以前の尹子殿と同様、怨霊に操られているのか。直義よ、そんなに俺が憎かったのか?
「尊氏殿が上洛するのを止めろと言ったのは直義殿ではないか、などと言った所でもう遅いか・・・。直義殿の振る舞いは、全て俺に幕府開設を発言させるための罠だった、ということだな」
「理解が早くて結構。そうだ、お前は私の罠に引っかかったのだよ。主上、義貞に処分を下して下さい」
そして、後醍醐帝・三位内侍・キツネの怨霊が俺の前に現れた。
うーむ、こうして面と向かって主上や三位内侍と相対するのは初めてだな。
「ホホホ、罪人である大塔宮を匿っているのもそなたであろう。いい気味じゃ」
三位内侍は、見た目だけは十代後半と言って良いくらいの若さと美貌の持ち主だが、自分の邪魔になる人間にはとことん冷たくなるタイプか。仲良くなりたくないな。
そして、キツネの怨霊。お前は何を企んでいる。
その前に、祟り神を呼び出すか・・・。あれ、出てこないな。
『おぬしに憑りついている怨霊は随分と小者じゃな。儂の力で封じることなど造作もないことよ。折角だから、儂も自己紹介するとしよう。儂の名は『玉藻の前』じゃ。天竺・唐土で数多の国を滅ぼしてきたが、それにも飽きたので、儂の力でこの国を平和で豊かな国に出来るか、色々試してみることにしたのじゃ』
「ふん、怨霊の言うことなど誰が信じるか。お前は、ただ人々が争って世の中が滅茶苦茶になるのを見て楽しみたいだけであろう」
『どうとでも思うがよい』
一方、後醍醐帝は俺の量刑を周囲に確認した。
直義はすかさず『古より、大逆罪は死刑と決まっております。六条河原にて磔が相当と存じます』と答えると、後醍醐帝は『そうせよ』と周囲に命じた。
「何か言いたいことはあるか」
こう後醍醐帝が問うので、俺はかねてから主上に聞きたかったことを質問することにした。
「主上、あなたは何を考え、この国をどう導こうとしているのか」
後醍醐帝は俺の問いに対し、こう答えた。
「朕は、民が平和と豊かさを享受するために何をすれば良いか、ずっと考えてきたのだが、良い案は思いつかなかった。しかし、廉子が教えてくれたのだ。唐国(中国)には朱子学という良い学問があることをな。朱子学によれば、王者が徳を持って統治にあたれば世の中は丸く治まるという。そして、徳ある王者といえば、この国には朕しかおらぬではないか。一方、武力を以って統治する幕府は武断政治であり、将軍が覇者であるのは紛れもない事実。覇者が王者より劣るのも事実であるから、幕府開設を主張するおぬしは、民のことを考えぬ大罪人だ。自身の罪を認め、さっさと刑を受けるがよい」
ふーむ、主上は玉藻の前に操られているというわけではないのか。いや、玉藻の前が廉子を通じて後醍醐帝に朱子学の知識を教えたのは、朱子学が日本を弱体化させ、日本人を長きに渡って苦しめることになるのを知っているからであろう。俺は騙されんぞ。
「主上、政治に正解などありません。徳有る者が統治すれば世は丸く治まるというのは幻想です。政治は、皆でよく考え、話し合って一つひとつ政策を決めていく以外の道はないのです。堯・舜ですら、本当に『博く民に施して能く衆を救えている』のか気がかりだったと孔子も論語に書いているではありませんか(雍也第六の三十)」
「大唐国(中国)が国を挙げて振興している学問に誤りがあるわけなかろう。そんなことも理解できぬ男など、朕の政権にはいらん。早う、この者を六条河原へ連れていけ」
後醍醐帝は周囲にそう命じると、三位内侍と共にこの場から立ち去った。
ちくしょー。俺もピンチだけど、都の外で待機している新田軍も攻撃を受けているんだろうな。義助・義顕、上手く切り抜けてくれよ。
俺が御所で拘束された頃、新田軍は足利尊氏から降伏勧告を受けていた。
「義貞は大逆罪で間もなく処刑される。生き延びたければ、余に降伏せよ」
ちなみに、尊氏が新田軍を奇襲しないのは、義貞を罠にはめたという後ろめたさがあるからだよ。
当初は、『そんな馬鹿な』『有り得ない』という感じで、何かの冗談ではないかと思っていた新田軍の諸将も、俺(義貞)が捕らえられたのは事実であることを確認すると、途端に浮足立った。
「父上を死なせてはならぬ。早く、京へ攻め込むのだ」
いきり立つ義顕を、義助は制した。
「多分兄者はこうなることを予想して、某たちに袋を渡したのであろう。ともかく、袋を開けて中身を読むぞ」
義助は袋を開いて、中身を取り出した。
「えーと、なになに、『新田軍は播磨まで撤退し、船で九州に渡り、上洛軍を編成せよ』『元弘没収地返付令を出せ』『光厳上皇に使者を出し、京都回復の院宣を貰え』と書かれているな」
「父上を救うのが先ではないのですか」
「そもそも、某は田舎領主の次男で、天下国家を語ることなどできぬ。ただ兄者に言われたことをやるだけだ」
「では、私が京に残って父上を救います」
「お前は新田家の大事な跡取りだ。そんな危険な真似などさせられぬ」
「父上を見捨てるのですか」
「少しはお前の父親を信じたらどうだ。このような事態も想定して、某たちに道を示しているではないか。ほら、見てみろ。元弘没収地返付令の原稿もあるではないか。こいつは、瓦版にして日本全国にばら撒くとして・・・。兄者なら、今回の危機も未来の知識とやらで乗り越えるであろう。某たちは、それを信じて言われたことをやり遂げようではないか。兄者が心配なら、忍びを多数残していくとしよう」
「父上、信じておりますぞ」
こうして、義助・義顕は光厳上皇に対して世尊寺行尹を使者に出すと、新田軍を率いて播磨へと撤退した。
ちなみに、播磨の赤松円心はすんなりと新田軍に味方してくれたよ。
前々から、南蛮船とかの件で俺が円心と色々交渉していたのもあるけど、最大の理由は帝から恩賞を貰えなかったことをひどく恨んでいたからだね。
円心は、俺が後醍醐帝と敵対する限り味方で居続けるであろう。逆に、尊氏が後醍醐帝と敵対すればそちらに付く可能性もあるから、注意しないといかんな。
◇尊氏と直義◇
「どうして新田軍を無傷で播磨へ撤退させたのですか。兄上なら、新田軍を壊滅させることもできたでしょう」
「少なくとも、義貞は余らの幕府開設に協力的であった。にもかかわらず、この仕打ちはひどすぎるのではないか」
「兄上は甘すぎます。新田軍には義助・義顕がおります。奴らが九州で兵を集め、弔い合戦と称して京に攻め上ってきたらどうするのです」
「その時こそ、正々堂々新田軍を迎え撃ってやる」
「もし戦うとしても、民衆や武家に支持されぬ朝廷軍として戦うことになるのですぞ。大丈夫でしょうか」
「昔から、おぬしは『政道』余は『軍事』と役割分担をしてきたではないか。いくさで余に勝てる人間などおるまい」
「だと良いのですが・・・」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
義貞の処刑
結城判官(親光)と名和伯耆守(長年)に抑え込まれた俺は、謀叛人として市中を引き回された後に六条河原へと引き出された。
「義貞殿、処刑前に何か所望することはあるか?それとも、辞世の歌でも読むかね」
と名和長年が言うので、俺は
「紙も筆もいらぬ。のどが渇いたので白湯を所望する」
と答えた。
「「今から首を斬られる奴が、白湯を所望だとよ。ちゃんちゃら可笑しいじゃねーか。白湯は無いが柿はある。これを食せ」」
という警護の者に対し
「柿は痰の毒であるからいらぬ」
と俺が返すと、
警護の者は『ガハハハ』と笑い出した。
「これから首を刎ねられる者が、己の体調を気遣ってどうする?」
ってね。一方俺は
「お前らがそう思うのはもっともだが、俺のように大義を抱く者は、最期の瞬間まで命を大切にするものだ。それは、何としてでも願いを叶えたいという強い思いがあるからさ」
と答えてやったよ。もちろん、死ぬ気など更々ないけどね。そうそう、死んだら終わりなんだよ。自分の思いを世の中に知らしめたければ、どれだけ辛く苦しくても生き続けねばならぬ、というのが俺の結論さ。
(祟り神殿、顕現出来ますか)
『ああ、あのキツネ・・・いや玉藻の前の封印は解かれたようで、今は大丈夫じゃ』
(それじゃあ、今から救援の方よろしくお願いします)
そう、俺は今まさに磔にされて、槍で串刺しにされようとしているのであった。
祟り神は多数のネズミを操って六条河原へと誘い込み、磔台に俺の身体を縛り付けているロープを引きちぎらせた。
周囲の警護人は、ネズミの大軍に襲われて大混乱しているぞ。
さーてと、ようやく自由の身になったぜ。
『鬼切よ、来い』と念じると、俺の手元に鬼切が戻ってきた。たじろぐ警護人たち・・・。
そこへ、外部から多数の焙烙玉が投げ込まれてさく裂した。
六条河原は大混乱となった。
俺も煙に巻かれて身動きが取れなくなっていたが、俺の袖を引いて『こちらへどうぞ』と案内する者がいたのでその者に従うと、案内された先では忍びの佐助が待ち構えていた。
「殿、ご無事で何よりです。今は、一刻も早くこの場から逃げましょう」
「おう、新田軍は播磨に撤退しているはずだ。その後を追うぞ」
そして、俺と忍びたちは播磨を目指して逃亡を開始したのだった。




