新田荘への帰還
鎌倉入り
建武二年八月十九日、足利尊氏は鎌倉に入り、事実上の征夷大将軍として早速論功行賞を行った。
史実だと、尊氏は新田一族が拝領した東国の所領を闕所として配下に与えてしまったのだが、今回の東征には新田一族も参加しているからな。そういうことはできまい。
どうするんだろうなあと思っていたが、そんな俺に岩松・小山・渋川の三人が目通りを希望しているとの報告を受けた。
何でも、三人は北条勢にやられそうになったところを金山城に避難することで九死に一生を得たそうで、俺に礼を言いたいのだそうだ。
とりあえず、取次の侍にOKを出すと、暫くして三人がやって来た。
岩松経家は、『義貞殿の助言により助かることができた。感謝する』と言って頭を下げた。
小山秀明も、経家と同様頭を下げている。
一方、渋川義季は新田荘の繁栄ぶりを盛んに褒めていた。
なんでも、新田荘では水運を使って日本各地から資材が集まり、次から次へと立派な城壁や櫓が建てられているとのこと。農業や商業の取引量も、他領と比べて段違いに多いそうだ。
そんな義季に対し、俺は『安藤聖秀殿の手腕が優れているのでしょう。俺一人では何も出来やしませんよ』と言っておいたよ。
義季は、俺の傍に座っている義顕に目を移した。
「貴殿は義貞殿のご子息か?何歳かな?結婚はしておられるのか」
義季の問いに対し、義顕は
「はい、新田義貞が嫡男、新田義顕に御座います。年齢は十八歳です。特に結婚を約束している女子はおりませぬ」と、答えた。
「ふーむ、我が命を救ってもらったお礼に何をすれば良いか考えていたのだが、義顕殿に婚約者がおらぬのなら、我が娘を妻に貰ってはいただけないか。少々年下ではあるが、あと十年もすれば似合いの夫婦となるであろう」
義季の発言を受けた義顕は、俺の方を向いて目配せした。要するに何とかしてくれということだね。
義季の娘って、確か有名人じゃなかったかな。
そうだ、室町幕府二代将軍足利義詮の正室幸子殿ではないか。
「渋川殿の娘御となると、今何歳になられるのか」
「四歳に御座います」
「義顕、渋川殿がこうして申し出てくれたのだ。渋川殿の娘御を、そなたの正室として迎えるがよいぞ」
「おおっ、義貞殿。ご子息と娘の婚姻を認めていただけるか。これで我が家も安泰でござる。義顕殿、娘を頼みましたぞ」
「・・・ご期待に沿えるよう、努力いたします」
(ちょっと父上、わたしは幼女の相手などできませんぞ)
(だがな、渋川殿の娘御は将来将軍の妻になるぐらいの女傑だぞ。おぬしには勿体ない妻ではないか)
(なんですか?それも例の未来の知識によるものですか?まあ、決まってしまったものはしょうがないので、渋川殿の娘御を正室にするのは認めましょう。でも、第二夫人は同世代の娘にして下さい)
(ああ、実は第二夫人にも当てがあるのだ。善法寺通清殿の娘で紀良子という女子だ。ちなみに生まれるのは四年後だ)
(いったい何なんですか。私をそれほどまでに幼女趣味にしたいのですか)
(でも、優秀な子供(三代将軍義満)が生まれそうだからしょうがないであろう)
(どうせなら世尊寺尹子殿が良かったのに・・・)
(何か言ったか)
(いえ、何も言っておりませぬ)
こうして、俺は息子の嫁を千寿王(足利義詮)から奪うことに成功したのだった。
◇岩松経家視点◇
何かがおかしい。
義貞は、中先代(北条時行)の乱が起こることを知っていたのではないか。
そして、乱に備えて新田金山城の防備を強固なものにしたのではないだろうか。
今のままでは、未来の知識とやらで義貞が生き伸びてしまう。
それすなわち、我が岩松家が新田家嫡流になること能わずということではないか。
何とかしなければ・・・。
そうだ、義貞は北条時行と通じていたことにして、反逆罪で打ち滅ぼしてしまおう。
そのためには、直義殿と策を練らねばならんな。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
新田荘への帰還
中先代の乱を平定して一息ついたある日のこと。
未だ全員の論功行賞が済んでいないので、尊氏・直義や文官たちは忙しそうにしているが、俺は多少時間に余裕が出てきた。
俺には、かねてからやりたいことがあったのだが、比較的時間に余裕のある今こそ、それを実行する絶好の機会。
ということで、今までどれほどやりたくても出来なかった新田荘への帰還を、この機会にすることにしたのだった。
鎌倉を一時離れることについては、一応尊氏の許可を得ておいたよ。
後で難癖をつけられて、尊氏と戦争になるのは嫌だからな。
そんなわけで、俺・義顕・義助と護衛十数名は、鎌倉街道を今の高崎市付近まで北上してから東山道を東に進み、ついに懐かしの新田荘へと帰還したのだった。
ちなみに、義治(義助の嫡男)がこの場に居ないのは、蝦夷地で拠点作りをさせているからだよ。
いやー、新田荘に戻って何に驚いたかといえば、いきなり竹筋コンクリート製のでかい城壁に出迎えられたことかな。
なんか、新田荘の至る所が工事中で、竹筋コンクリートの建物も珍しくないようだし、日本でここだけが明治維新を迎えているかのようだ。
俺たちが新田荘の変わりように驚いていると、安藤聖秀や家族たちが金山城の方から走ってくるのが見えた。
二年ぶりの家族との再会。俺たちも走り始めていた。
「義貞様。会いとうございました」
保子(義顕の母)が俺に抱き付いてきた。
「「保子様ばかり、ずるうございます」」
「「父上―」」
知子と宣子、加えて徳寿丸(義興)と太郎(義宗)も抱き付いてきたので、俺は五人を支えきれず後ろに倒れてしまった。
「皆は息災だったか」
「「「義貞様が京に上って二年余り。寂しくない日など一日もありませんでしたが、こうして義貞様と再会することができました。これに勝る喜びはありません」」」
「本当に皆には苦労をかけて申し訳ない。だが、日本の改革は未だ道半ばだ。これからも、様々な事件や出来事が起こるであろう。良いことも、悪いこともな。だが、俺はそれらを全て乗り越えて、必ずや日本を豊かな強い国にして見せよう。そのためには、皆の協力が必要不可欠だ。本当に苦労ばかり掛けて申し訳ないが、これからもよろしく頼む」
「「「何をおっしゃっているのですか。私たちは、義貞様という船に乗った運命共同体です。義貞様の目指すところに我々もついていきます」」」
「義貞殿、言われた通り新田荘を改造してみたのだが、いかがかな」
「おお、聖秀殿。手紙のやり取りだけでは不安に思っておりましたが、それは杞憂ということが今回の帰還で良く分かりました。俺の想像以上に、聖秀殿は上手くやっておりますぞ」
「せっかくなので、田畑に工場、城の内部も見て下され」
「「「私たちの作っている温泉街も見て下さいね」」」
「「父上、私たちとも話をして下さい」」
「分かった、分かった。とりあえず、聖秀殿。案内を頼む」
「心得てございます」
「あー、そういえば・・・」
俺は、小声で聖秀に大塔宮のことを質問した。
「藤房殿とあのお方はどうしている」
「お二方は修行僧として長楽寺に居ります。秘密が漏れぬよう、忍びたちに警護させております」
と、聖秀は俺の耳元でささやいた。
「上手くやっているなら何よりだ。とりあえず、今は新しく生まれ変わった新田荘の見学を楽しむとしよう」
こんな感じで、俺たちは新田金山城へと向かいつつ、新農法を取り入れた田畑や養蚕、醤油・砂糖製造工場などを見て回ったのだった。
実際、俺には知識はあるけど、実践経験は皆無なんだよね。
だから、俺は『こういうやり方がある』と知識を提供して、実際に実践するのは専門家というのが、一番うまくいくやり方なんじゃないかな・・・、ということにしておこう。
醤油や砂糖製造工場では、製造・販売全般を上州屋の息子たちが取り仕切っているようだった。この調子で、日本全国の料理革命を進めて欲しいね。
金山城には、でかいコンクリート製の櫓が無数にあって、その上には青銅砲が鎮座していた。
敵が大軍で攻めてきたところで、近づく前に大砲で一方的に攻撃できるし、被害を無視して城壁に迫ろうとしても、利根川や渡良瀬川が天然の堀となって行く手をはばむ。堀を越えても、高い城壁をよじ登ることなどできまい。まさに、難攻不落の城を作ってしまった。
「いやー、凄いねえ。聖秀殿なら、この城をどう攻める」
「遠巻きにして兵糧攻めをしつつ、城兵の結束を崩して内部から崩壊させるしかないでしょうな」
「俺がこの城を攻めるのであれば、大砲を多数用意して、朝昼晩関係なしに弾丸を叩き込み続けるぞ。だが、そうするには気の遠くなるような戦費が必要であろう。この城に信頼の置ける兵が籠ったなら、誰にも落とすことはできまい。聖秀殿、良くやったぞ」
「義貞殿の満足のいく城が築けたようで、何よりです」
「伯父上ばかり殿と話をして、ずるいです」
俺と聖秀が話していると、保子が割り込んできた。
「「そうですよ。難しい話はここまでにして、私たちの作っている温泉にでも入って疲れを癒して下さい」」
こんな感じで、知子も宣子も俺たちに温泉を進めるので、俺たち一行は藪塚に建設中の温泉街に向かうこととなった。
金山城から北東に十キロほど進んだところに、藪塚温泉はあった。
台地と言うべきかな、その西斜面にちょっとした建物が立っていた。
まだ、娯楽施設は無いようだな。
「仕事が遅くて申し訳ありません」
いや、保子さん、別に責めているわけじゃないよ。
「これが湯殿です。浴槽には、三波川周辺(群馬県藤岡市)で採れる三波石(緑色片岩)を利用してみました。なかなか、風情があって良いでしょう」
ふむふむ、白い筋の入った濃い緑色の石は、とても美しいね。そういえば、この緑色片岩を使った作庭で有名なのは、上田重安だったかな。どうせなら、この温泉街では大々的に緑色片岩を使って、上田宗箇流など吹き飛ぶぐらいの浴場を造るのがいいんじゃないかな、なんてね。
えー、お湯の具合はどうかな。うむ、ちょうど良い温度だ。
「藪塚から湧き出る水は冷たいので、乗附村(群馬県高崎市)で採れる燃える石(亜炭)を用いて湯を沸かすことにしました。これで良かったのでしょうか」
顔色を窺う保子に対し、俺は『良くやった』と褒めてやったよ。
「やっほーい、温泉だ」
パパっと脱いだ服を籠に入れて、早速温泉に入ることとする。
湯に入る前に掛け湯でもするか・・・。
あれ、徳寿丸や太郎はともかく、保子と知子と宣子も一緒に入るの?しかも素っ裸で?
「「「義貞様は、何を当たり前のことをおっしゃっているのでしょうか」」」
そうだ、この時代は混浴が一般的だったんだ。男湯とか女湯なんてねーよ。
さて、どうしようか。
「えーい保子、湯帷子はないか」
「確かに、温泉街を作るということで湯帷子も取り寄せておりますが。布が肌にくっつくのが嫌なんですよね」
「いいから、みんな湯帷子着て。そうじゃないと、俺の目のやり場に困る」
「「「別に夫婦なのだから、今更肌を見られたところで大したことありませんよ」」」
「俺が困るの。男女混浴の時は湯帷子必須。これ、藪塚温泉街の決まりね。男女が別なら、湯帷子着用は無しで良いよ」
「まあ、義貞様がそう決めたのなら従います。知子様、宣子様、後で温泉街の規則を作って掲示しましょう」
そんなわけで、俺は湯帷子を着た皆と一緒に温泉を堪能したのだった。
長楽寺訪問
その日の夜のこと、俺は聖秀と共に世良田の長楽寺を訪れた。
長楽寺では、ろうそくの明かりの下で多くの僧が修行をしていた。
(ろうそくの明かりは暗いねえ。全てにケリが付いて平和になったら、石油ランプでも世に広めるとするか。幸い、多数の油田を持つ越後は新田家の領地だからな)
そんなことを考えていると、忍びの佐助が現れて俺を奥へと案内した。
「よう佐助、久しぶりだな」
「岩蔵(京都府京都市左京区)にて宮様の救出を命じられて以来ですな。とりあえず、こちらへどうぞ」
そうして連れていかれた奥の部屋では、藤房と大塔宮が仏道修行をしていた。
「宮様と藤房殿、ご無事で何よりです」
「おお、義貞殿。久しぶりじゃな」
藤房は、建武政権の職務から解放されたせいか、ストレスもなく楽しく暮らしているようだ。
一方、大塔宮は父帝に加えて直義からもひどい目にあわされたせいか、人生に疲れ果てた様子であった。
「宮様、遠くからお目にかかったことはありますが、こうして面と向かって話すのは初めてですな。新田左馬助義貞に御座います」
「私はそなたに助けられた身である。左様に畏まることは無い。そなたは、一修行僧に接するつもりで私に話しかければ良い」
「それでは失礼しまして、これから貴方はどうなさいますか。京に上って直義の非道を訴えますか?」
「いや、止めておこう。そもそもの原因は、私に尊氏暗殺を命じた父帝にあるのだ。それがばれると、私に大逆罪を押し付けて直義に身柄を引き渡したのだから、今更私が何か言ったところで、狂人としてどこかに幽閉されるだけであろう。ただ、私自身は父帝に背くつもりはない。であれば、このまま名を捨てて一修行僧として一生を終えたい」
「左様でございますか。であれば、当面は新田荘でお過ごし下さい。しばらくは窮屈な生活になると思いますが、世の中が平穏無事となれば、行きたいところに行ける様にもなりましょう。聖秀殿、二人が望む物は出来るだけ用意してやってくれ」
「承知いたしました」
「義貞よ、色々と面倒をかけてすまんな」
「無実の罪で人が陥れられるのを見るのは嫌ですからね。まあ、その代わりと言っては何だが、藤房殿には新田荘の仕事を手伝って貰うとするかな」
「こちらは、義貞殿に面倒を見て貰っている身だからな。その程度の仕事なら任せたまえ」
こうして、平和な世になるその日まで、大塔宮を新田荘で匿うこととなったのである。




