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中先代の乱その2

鎌倉を逃れた足利直義は、三河国の矢作宿で態勢を立て直すとともに、京へ時行反乱を告げる急使を立てたのだが、京ではなかなか征東軍が決まらなかった。

ここ不思議な所なんだけど、政権トップの後醍醐帝が軍事力を掌握せずに政権運営していたのである。

いわゆるケガレ忌避という奴なのだが、軍事という死穢に直接触れるようなものに、後醍醐帝は一切関わりたくなかったのである。もう少し詳しく言うと、日本には死穢(死によって発生するケガレ)が諸悪の根源であるという信仰があるので、後醍醐帝は軍事に関われなかった(関わる気がなかった)わけだ。

後醍醐帝からしてみれば、徳のある王者(後醍醐のこと)が日本の皇として君臨しているわけだから、日本人全員が納得してこの世は丸く治まるに違いない。北条の残党が蜂起して鎌倉を落とすなど、何かの間違いだと思ったのだろうね。

だが、現実に鎌倉は落ちている。

放っておけば、戦争の火種は日本各地に飛び火し、建武政権は崩壊してしまう。

この事態に、後醍醐帝は加持祈祷(これは言霊ね)以外の対案を持っていたのかといえば、実は何も持っていなかったのである。

ここら辺は、平和憲法を尊重して自衛隊を軽視する令和の人間とそっくりなので、日本人は本当に昔から変わらないとか、後醍醐帝を笑う資格は無いなどと思うけど、これは余談である。

ともかく、尊氏にとっては最愛の弟直義のピンチである。

すぐさま御所に参内して、北条討伐の将に自身を命じるよう後醍醐帝に迫ったのだが、後醍醐帝はなかなか首を縦に振らない。これは、北条討伐後に尊氏が鎌倉に居座って事実上の幕府を開設されたら、後醍醐帝が困るからである。

太平記によると、すんなり北条討伐の勅命が出て、それを受けるに際し尊氏は『征夷大将軍の位』と『関東八カ国の管理・支配権』を要求したと書かれているが、多分これはフィクションであろう。

結局、尊氏は後醍醐帝の了承を得ずに、無断で出陣したのである。

さて、ここで俺はどうしようか。

後醍醐帝の意向を無視して尊氏と一緒に北条討伐に向かうのか。それとも、このまま京に居残るのか。

俺は、京に居残るのは危険だと思うんだよね。史実通り、尊氏と後醍醐帝の争いに巻き込まれた場合、武家に支持されない後醍醐方として戦うことになるから、常に味方が少ない状態になるし、越前藤島での犬死に向かって一直線ということにもなりかねん。

ここは、大きく歴史を変えるに如くはなし。

ということで、新田軍も北条討伐に加わることにした。

「新田一族の諸君、このまま何もせずに北条家の復権を認めたならば、高時公を自害に追いやって鎌倉幕府を滅亡させた我らはどうなる。北条家の連中に皆殺しにされるぞ」

新田家の北条討伐軍参加の意義についてこんな感じで説明したら、新田一族は喜んで賛同してくれたよ。

俺は、尹子殿を壬生寺に預けると、京にいる新田家の一族郎党全てを引き連れて尊氏の後を追うのだった。

ここでおかしなことが一つある。

尊氏は勅命も得ず無断で出兵したにもかかわらず、後醍醐帝は尊氏に『征東将軍』という良く分からない称号を与えたのだった。

軍事力を嫌う立場の後醍醐帝であれば、『征東将軍』という尊氏に正当性を与えるような称号を贈るべきではなく、鎌倉で北条軍を破った後に命令違反として尊氏を罰すれば良かったのである。

だが、後醍醐帝にも優秀な所はあって、いくら軍事力を嫌ったとしても、今回の件については軍事力無しでは打破できぬことを分かっていたのであろう。実際、尊氏が負ければ建武政権崩壊だからね。

そんなわけで、征東将軍という正当性を得た尊氏は、途中で新田軍や弟の直義軍と合流するなどして、三河通過時の征東軍は五万余騎へと膨れ上がるのだった。

一方、北条側も三万余騎が鎌倉を出発したのだが、遠江・駿河・相模で連戦連敗し、鎌倉へと逃げ帰ることとなった。

その頃、新田軍を率いる俺は、何故か直義と一緒に行軍していた。

直義が言うには、今後の方針について俺の意見を聞きたいとのこと。

『俺の意見を聞きたいなら、まず自分の意見を言ったらどうだ』と俺が言うと、『それもそうか』ということで直義は己の意見を語り始めた。

「現時点で征東軍は北条軍を圧倒しており、鎌倉制圧までは間違いなく上手くいくことでしょう。問題はその後です。恐らく、主上(後醍醐)は兄上を京へ戻そうと画策するでしょうが、私は京に戻らず鎌倉の地で事実上の幕府を開設するのが良いと考えます」

「まあ、そのことについては俺も同意見だ。実際、尊氏殿は主上の許しを得ずに出兵しているから、のこのこと京に戻れば良くて監禁、悪ければ首を刎ねられるでしょうな」

「左様、鎌倉幕府を見ても分かる通り、幕府というのは征夷大将軍が開くものではなく、実力者が武士を集めて従わせることさえできれば、それで成立するものなのです」

「そうそう、ここ分かりにくいけれど、日本に軍隊は無いが、武士という軍事力は各地に存在するんだよね。それで、全国の武士を一つにまとめることが出来さえすれば、その軍事政権が何をしようと軍事力を持たぬ朝廷は何もできない、となるのは直義殿もご存知の通りさ。問題は、その軍事政権で直義殿はどんな政治をするのか、ということだ」

「私は、鎌倉幕府における得宗専制の時代を手本として政治を行いたいと考えている。やはり、秩序の回復や身分制度の徹底が重要でしょう。武士は質素倹約を旨とすべきであって、バサラ大名などは言語道断でありましょう。主君への忠誠を重視する朱子学を導入すべきだろうか」

うーん、直義の政治姿勢は保守・復古的で、バサラ大名や武装商人たちの意見は切り捨てるといった感じか。これじゃあ、新興勢力の反発は必至だな。

「なあ直義殿、人間には欲というものがある。皆、良い暮らしをしたい、金持ちになりたい、領地をたくさん欲しい、子孫を繁栄させたいといったことを思っているんじゃないかな。そして、この欲を上手い具合に導いて、世の中を良い方向に持っていくのが良い政治家であろう。俺は、望めば手に入れられる物が多ければ多いほど、良い社会ではないかと考えている。もちろん、その望みは社会にとって良い物事でなければならない、という条件はありますがね。ここらへん法整備が必要ですが、今は置いておくとして、俺は秩序の回復や身分制度の徹底よりも、統制コントロールされた競争を強化した方が、国としては強くなると考えております。かつて、俺は安藤聖秀殿に『選択肢が多ければ多いほど良い社会ではないか』と語ったことがあるが、その選択肢を掴むためには競争に打ち勝つことが必要ということも付け加えたいと思う。直義殿の政治は、日本国内で完結しておりますな。外圧が無ければ何とかなるかもしれんが、元寇はわずか五~六十年前の話ですぞ。元以外の国が日本を攻めてきた時、直義殿の政治体制で外圧を撥ね返せるのかな?あと、朱子学の導入は止めた方が良い。将軍が覇者で天皇が王者という理論が優勢になれば、政治の実権は武家から天皇家に引き渡すのが当然という流れになりかねませんぞ。そう、身分制度を絶対視する朱子学は、一見為政者にとって都合の良い学問に見えますが、その中に毒を含んでおるのです」

「少し話が大きくなってきてはいまいか。私は、日本を上手く治めるために保守的な体制を提案したのだが、義貞殿は異国を打ち払うために国を強くする話をしている。これでは、話がかみ合わず、有意義な議論が出来ぬではないか」

「大体、日本は神国でないし、言霊の国でもない。元寇の際は、たまたま敵の乗っていた船の上を暴風雨が通過したから敵船が沈没したのであって、神が日本を守ったわけでないし、加持祈祷が異国船を沈没させたわけでもない。元寇の時は運が良かったのだよ。だが、この強烈な成功体験のせいで、日本は神が守護する国という誤った印象イメージが広まってしまったのだ。直義殿に今後日本の政道を取り仕切るおつもりがあるなら、このことを肝に銘じるがよい。この日本は海に囲まれているから安全なのだ。もし海による防御力をものともしない敵が現れたら、直義殿はどう対処する」

「もしや、義貞殿が鎌倉で建造していた変わった船のことを言っておるのか」

「まだ時間的余裕はあるが、必ず地球の裏側から日本に向かって侵略者がやってくるであろう。最初は宣教師や商人として。そして、ひとたび日本に拠点が作られれば、そこに異国の軍隊が押し寄せてくるぞ」

「少し待って下され。理解が追い付かぬ・・・」

「今日の話はここまでとしましょう。まだまだ先の話故、直義殿も日本を豊かで強い国にすべく色々考えてみて下さい。ではまた」

そう言って、俺は直義との議論を終えたのだった。


◇足利直義視点◇

義貞と政治の話をして驚いた。

奴は、常に海外を見据えており、日本を外国に負けぬ国にするにはどうすれば良いかを考えている。

当代最高の政治家と自負する私ですら、日本の秩序を回復するために身分制度を徹底させれば良いぐらいのことしか考えていないというのに。

新田義貞、お前はいったい何者だ。その頭脳で何を考えている。

奴はあまりに異質すぎる。

やはり、あの頭脳が足利家と敵対する前に処分するのが吉だな。

それに、奴が大塔宮を匿っている可能性があると、師直が言っていたな。

義貞は、大塔宮という手札をどう活用するのだろうか。

やはり、『大塔宮暗殺未遂をばらされたくなければ俺の言うことを聞け』などと脅して、私を操り人形にしようと企むのであろうな。

であれば、私が大塔宮暗殺を試みたことを、即座にばらされることは無いのであろうか・・・。

もう、先手必勝で義貞を殺した後に、何らかの理由をでっちあげるので良いのではないか?

ただ、奴は『朱子学の毒』とか私でも初めて聞くようなことを言っていたな。朱子学の広まりが、武家政権にとって命取りになるか。うーん、奴を始末するのは、奴ともう一度話し合ってからにするか。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇


数度の合戦に敗れた北条軍は、相模川を渡ったところで踏みとどまり残兵をまとめて巻き返しを図るが、征東軍は高師泰率いる二千余騎が上流の浅瀬を渡り、赤松貞範(円心の子)は中の瀬を渡り、佐々木道誉と長井治部少輔は下の瀬を渡って北条軍に夜襲を仕掛けたため、北条勢は驚き慌てふためき一戦もせずに鎌倉へと逃げ帰った。

敗軍はわずか三百余騎。指揮官たちは全員自害したが、顔の皮は剝がれていたため人物を特定することはできなかった(ただし、北条時行は逃亡に成功したそうだ)。

遠江の橋本から始まって、箱根、相模川、片瀬、腰越、十間坂と北条勢は相次いで戦に敗れたため、結局北条家の再興はならず、関東の地は尊氏の下に制圧されたのだった。

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