015
悪夢(と書いて西門と読む)の来訪をオホホ笑いで避けようとしたが避けられなかった。
なぜなら私も西門も向かう先は高等部の教室であり、なんならクラスだって同じなのだ。ううっ。ここがまだ中等部の敷地内だから助けを求められそうな誰かがいないのが口惜しい……。
西門は普段からそこまで口数が多くはないので、この無言が怒りや呆れからもたらされているのか分からない。が、咎められそうなので、先に私から口を開くことにした。
「どこから聞いてらっしゃったんです?」
「……お前の弟が呼び出されたとかなんとか」
ほぼ最初やんけ。私は絶望した。
「人の会話を盗み聞くなんて、西門さまは随分といい趣味をお持ちですのね」
とはちくりと刺さればよいなと思って口にした言葉であるが、呪詛返しされたのはこちらの方だった。
「お前こそ、人のいないところでよく喋る」
「うっ……」
「誤解されたくない、だったか。まあ花野井には黙っといてやるけど」
「い、言っておきますが、花野井さまのことを口止めしたのは迷惑がかからないようにですわよ。ただ納得させるためにガラスの仮面」
「ガラスの仮面?」
「ゴッ、ゴホゴホウェッホン、ちょっとした嘘を方便にしただけで、花野井さまに特別な好意を抱いているわけではありませんから!」
要らぬ誤解を招きそうだし、西門から透子ちゃんに近づく害虫だと思われて敵視されても断罪の危険性が高まるので解いておきたい。っていうか女の子だしね……ということは黙っておいた。透子ちゃんのことは好きだけど、私に百合属性はないよ……。
西門は、私の言葉の意味を少しばかり考えているようだった。はなから私が透子ちゃん(もとい、花野井透くん)を好きだなんて欠片も思っていなかったようでもあるし、その一方でその奇妙な間には安堵が滲んでいるような気もした。いやどんだけ好きやねん透子ちゃんのこと。
口を開いたのは、それからしばらくしてからのことだった。
「迷惑って何の」
「それは……西門さまも以前聞いたと思いますが、わたくしの母と弟は……、少しばかり家柄についての選り好みがあるというか……」
「ああ。まあ俺は別に言われ慣れてるし気にしてはねえけど」
おめ〜の話はしてないんじゃいっ。ということは黙っておいた。
「誰も彼もが西門さまほど強い心をお持ちとは限りません。本来わたくしがその過ちを正すべきですけれど、まだ若輩者のわたくしの意見はそこまで強くありませんし、それならば少しでも予防すべきではありませんか」
「予防……か」
口の中でその響きを、意味を確かめるように呟いてから、西門は足を止めた。
西門にしては珍しく、一歩後ろを歩いていた私を振り返る。意志の強そうな黒い瞳が、私を真っ直ぐに見下ろしていた。射抜かれるようなその瞳がおそろしい一方で、それでも心臓は跳ねるから、こいつが私の推しだと否応なしに思い出さされる。
「な、なんなんですの? わたくし、何か変なことを申し上げましたか?」
「……別に、変なことではねえよ。けど、」
「…………けど?」
「お前は何がしたいんだ、と思ってる」
「え?」
「俺達を見下すような素振りを見せたかと思えば、一方で俺、……花野井を守るようなことを言ったりするだろ。どのお前が本当なんだろうと思う。前も言ったけど、だから、戸惑う。俺の思うお前と、少し違ってて」
「…………」
風が流れ、木々の葉を揺らす音がやけに大きく聞こえた。
私は「白鳥エリカ」だし、「白鳥さん」と呼ばれれば違和感なく返事をするぐらいでもあるけれど、一方でこの自我は、私が「私」であることを知っている。ただ、「私」だけが、この世界で「私」を知っているのだ。
ただ今、西門のその言葉が、西門に「私」の端っこを掴まれたような感覚を私にもたらした。
プールに落ちて助けられた時と同じように、掴まれて、引っ張り上げられるような。
私は西門を見つめ返して、そのまま洗いざらいぶちまけてやろうかと思った。一瞬だけ。そうできたらいいなとも、思った。
「……わたくしのこと、どんな女だと思っていたんですの?」
そうしなかった私を見て、西門は一度視線を逸らしてから、言った。
「オホホの女」
「……………………」
ああ。少し前までの私のイメージがアホすぎる問題、早く解決しなくちゃ……。
◇ ◇ ◇
切り裂き魔のことも解決していないのにいろいろ考えることが多くて何もする気が起きなかったけれど、私は別宮さんの運転する車に揺られて習い事に来ていた。今日はお華のお稽古だ……。
こんな機会(どんな機会だって話だけど)でもなきゃ華道や茶道なんて習い事には一生縁がなかっただろうな〜と思うから、実際習い事自体は嫌いじゃない。だけど正座必須の環境が、白鳥エリカを保つのになかなかしんどいんだよね……そして考え事をするのにとにかく向いてない……。いいところの習い事だから、結局同じ学園の子も何人かいるし気を抜けないってのもある。いっそのこと七瀬先輩に習いに行くのはどうかなと思ったけど、七瀬先輩は生花の方が好きとおっしゃっていたしあんまり得策じゃないかなぁ。
憂鬱な気持ちを抱えつつ、車から降り立って古くも立派な門を潜ると、私より先に訪れていた華奢な影が振り返った。
「ごきげんよう、エリカ様」
「加乃さん。ごきげんよう」
そう笑って横に並ぶ女の子は、栗花落加乃ちゃん。いつ見ても色素の薄い茶色の髪を編み込みでまとめていて、やわらかく微笑む姿は私なんかより立派な淑女だけれど、これでも中学二年生。花山院学園中等部の制服を身につけている彼女は、棗のクラスメイトであり、私が通う栗花落華道教室の生徒兼ご息女でもある。
加乃ちゃん自体が物怖じしない性格だということもあるし、もうかれこれ数年の仲なので、さほど気負わず話しかけてくれる、私にとっては妹分みたいな存在だ。私が前世の記憶を取り戻してからはいい感じに緊張感が消えて(い、いいよね?)、人のいないところでは加乃ちゃん、エリカ姉、なんて呼び合う仲でもある。
そのまま石畳の道を二人並んで歩き始め、今日使うお花がどうとか話していたけれど、私はハッとして声を潜めた。そうだよ、加乃ちゃんてば棗のクラスメイトじゃない!
「ねえねえ、今日の棗のことなのですけれど、呼び出されたって本当?」
「ふっふっふ。エリカ姉ったら耳ざといんだから」
「じゃあ本当なのね! 全く棗ったら、家ではあんなにスカしてるっていうのに……今までもこういうことってわりとあったんでしょう? わたくし初めて知って驚きましたわ」
「まあ棗くんがエリカ姉に言わないのはわりと想像つくけど、ほんとに全然知らなかったの?」
「もちろん。藤吾くんから聞くまで全然」
「トウゴクン?」
玄関に上がりながら、まだ他の御令嬢の声が聞こえないのを確認してから、私は頷く。あんまりかしましいとはしたないと思われてしまいそうだから、石畳の道を歩くときに比べれば声色は低いけれど、それとは関係なく首を傾げる加乃ちゃんはなんだか不思議そうな顔をして黙っていた。
「ほら、いるでしょう。転入生の莇野藤吾くん。あのAZAMINOのご子息。棗とすごく仲良くしてくれてるみたいで、この間も家に来ていたのよ」
「えっ、莇野くんと!?」
「し、しーーっっ」
日本平屋の中に予想以上に声が響いて、加乃ちゃんは慌てて自分の口を掌で覆った。私も慌ててたけど、加乃ちゃんがこんなに驚くのはちょっと珍しい。
「いったいどうしたの?」
「いや、ちょっと意外で……だって学校じゃ莇野くんと棗くんって、全然喋ってるとこ見ないんだもん」
「え? 喧嘩してる……とかじゃあなくって?」
「ううん。全然。まあ莇野くんは人懐っこいから、莇野くんを毛嫌いする人以外とは普通に喋ってるけど……あ、」
「…………毛嫌い?」
素直な加乃ちゃんは、「あ」の一音だけで「言ってしまった」を表現する。視線だけで私が続きを促していることにすぐに気がついたようで、視線をうようよと動かしているけれど、結局耐えきれなかったらしい。潜められた声は、何も淑女の嗜みというわけじゃあないことを知っている。
「まあ新鋭ブランドだからね。そういうやっかみっていうか……差別的な見方があるのは、エリカ姉だって知らないわけじゃないでしょ?」
声が鈍く響く。そうだ。私は知っている。
だって、私の母がまさしくそうなのだから。




