011
社会の窓全開(そしてち××ポロリ)のインパクトでつい思考が逸れていたけれど、これは立派な〈事件〉だ。考えてみれば、幸いこのナイフが向けられていたのは私たちの水着や衣類だっただけで、一歩間違えばそれが私たちの身体に向けられていてもおかしくはない。さすがに同一犯の犯行と見ているし、私の件と西門・カーテンの件の日が跨いでいることから、外部からの侵入の可能性は低いだろう。
前回の花瓶の時は、まだ、悪ふざけの延長だとか、ひょっとしたらうっかりだったのかもと思える余地があった。
だけど、今回は違う。
誰が、どんな目的でそれを行ったのか。
なんとなく、背筋が寒くなった。
そこはかとなくブルーな気持ちを抱えて帰宅した私だったけれど、私室に入る前に明るい声に呼び止められた。
「お姉さん、どないしてん? なんや冴えない顔しとるけど」
棗の友人、藤吾くんである。
「あら。藤吾くん! また遊びにきてくれたの?」
「来るなっつっても来るんだよこいつ」
「せやかて棗はぼくんち遊びには来れへんやろ」
莇野邸ってそんな遠かったっけ? とはいえ電車で移動するわけでもなし、どうせ車なんだから変わらないとは思うけど……と考えて、そこで思い出した。白鳥エリカはもちろんのこと、弟である棗もまた、筋金入りの箱入りなのだ。
一人で外出とか、出来ないんだろうな……。自家用車があるとはいえ、一人で出かける機会なんて滅多にないし……。前世が大先輩の私が電車の乗り方とか教えてあげようかな?
「棗、一人で出かけるのが嫌ならわたくしが一緒に……」
「姉さんついにボケちゃった? 違うよ莫迦」
「!! 姉に向かって莫迦とはなんですか莫迦とわっっ」
「そやで棗。ほんまはお姉さんのこと大好きやんかあ」
えっ? そうなの!?
期待を込めた眼差しを向けると、棗はとろけるような微笑みを浮かべた後に、
「へえ。俺が? 姉さんを? 大好き? さすが藤吾は冗談のセンスがあるね」
くっっっっっ、こ、こいつ~~~~!!!
私が白鳥エリカじゃなかったら今すぐこぶしでこめかみぐりぐりの刑だよ! 目上のものとは言わないけど、少なからず人生の先輩なんだからもうちょっと敬意を払え! さすがに今のはムカチンときちゃったんだから!
そんな恨み節を引き攣った「オホホ…」の影に隠していたせいか、「で?」と藤吾くんが重ねた疑問符には、同じ言葉をそっくりそのまま繰り返すという愚行に出てしまった。何の話?
「……冴えない顔してたけど、なんかあったのかって聞いてんでしょ」
「そうでしたの?」
「さっすが棗。ぼくと棗、ツーカーやもんな」
「ツ、……阿吽とかもう少し教養のありそうなこと言えないのかよ」
「わはは。堪忍堪忍。で? お姉さんなんやあったん?」
「え? ええと……」
う~~~ん、さすがに年下のうら若き少年たちに話すのは気が引けるよな……。私、中身換算したらこの子たちよりだいぶ年上だし……。ただ取り繕うにしても、私の頭じゃ言い訳を考えるのにも時間がかかる。
私が俯いていると、不意に影がかかった。
視線を持ち上げると、藤吾くんの綺麗な顔が私に近づく。指先が伸ばされて、頬に触れた。
だ、ダメよ弟の前で~~~~~~! それに私、(中身は)キミよりうんと年上でっ……
――と思っていたところで、頬を何度も撫でられる感触に、ハテナが浮かぶ。
「うん。いい色や。やっぱ女の子のほっぺは可愛くないとな」
「えっ?」
何がなんだか戸惑っていると、小さなコンパクトを目の前に差し出される。開いて鏡で自分の顔を見てみると、頬が僅かに色づいていた。
「これって……チーク?」
「そ。ウチの新色や。かわええ色やろ?」
「姉さん気付いてなかったの? こいつ、AZAMINOの息子だよ」
「あ、AZAMINOの!?」
AZAMINOというのは、数年前に海外のスーパーセレブがハマっているとのことで急激にファッションメイク業界へ台頭してきた化粧品会社の超新星だ。ちょっとお高めだけど、その質もいいとのことで芸能人がよくSNSに挙げているのを目にしている。私はまだ年的に使ってないけど、使ったことないのにこんなに詳しいのは化粧品にとっても詳しいインフルエンサーだから…………ではなく、最近読んだ雑誌に香水が発売されたとのことで特集されていたからだ。エル・フロールシリーズってこんな細部でも花が忍ばせられているのかよ……、と思ったんだよな。
確かに言われれば莇野と名前を聞かされていたし、そもそもこの花山院系列の学校に通っているということはお金持ちだろうなと思っていたけど、全然そのふたつが結びついていなかったので驚いた。
「とっっっても素敵な色ですわ! わたくし、途端に元気になりました」
「ほんま? めーーっちゃ嬉しい!」
「姉さんって単純だからね」
「ふふふ棗ったら一言余計ですわよ」
「元気になったついでに、ぼくらに話してみたらどうかな? ぼくらお姉さんよりは年下やけど、ひとに話した方がスッキリできることもあると思うで」
「……そうねえ……」
躊躇っていたものの、ついこの間、西門との誤解が既に棗と藤吾くんの知るところになっていたことを思い出した。校舎は違うとはいえ同じ学園なのだから、高等部の事件の詳細が正確さはさておき中等部へ届くのも時間の問題だろう。
花瓶の件同様、これが両親にばれるとなかなか面倒くさい。口止めも兼ねて、私はかいつまんで事情を説明することにした。それに、明るいほっぺにしてくれたっていうのに、大人の余裕で煙に撒くのは誠実じゃない。
「実はわたくしと西門さまの服が切り裂かれる事件があったのですが、今日、なんと教室のカーテンまで切られていて……」
「え?」
「……言っておくけど作り話じゃありませんわよ、棗」
「……まだ何も言ってないじゃん」
中身の血が繋がってないとしても何年お姉ちゃんやってると思ってんだ、あんたの驚いた表情はそののちに人を小馬鹿にした発言が続くって知っとるんじゃい! 少しは藤吾くんみたいに「へー」と大人しく頷くぐらいしてみなさいよ! ……いや、それは興味がないからなのか……?
「本当に本当なんですからね。上からこう、ザクッと切られていたんですから」
「ザクッと」
「………こう、縦長に………」
「逆に横に切るんは難しいかもしれへんなあ」
ぐぬぬ。なんだか私の語彙のなさがどんどん露呈していくだけのような気がする。まずい!
「なんならわたくしの見立てでは、犯人像も絞り込めています!」
虚勢という名のガラスの仮面を被って言った言葉は、存外二人には価値あるものとして受け取られたらしい。先ほどまで俯いていた棗は私を見つめ、藤吾くんに至っては瞳をきらきらと輝かせている。
よしよし。ちゃんと年長者の威厳を取り戻せたようだな。私は今のところわかっている、(たぶん)私と西門に恨みを持っている人物で、(たぶん)身長170センチ以上の人物があやしい、という薄い情報を限りなく濃く聞こえるように「ま。ほとんど目星だってついてますけどね」という余裕の表情と共にお送りした。
棗と藤吾くんはふんふん頷きながら……というのはさすがに誇張が過ぎるが、まあわりかし熱を持って聞いていた。私が話し終えると、棗は待ってましたとばかりに問うてくる。ういやつめ。
「その身長170センチ以上、ってのは確かなの?」
「どうかしら……正確に測ったわけではないから概算の話になるわね」
「誰かと比べてみたら? 棗とかぼくだったらどう?」
棗はたしか透子ちゃんより少し低いぐらいの165センチ。棗には悪いが、そこまで大きいほうじゃない(といってもまだ中学生だし、周りにモデルばりの頭身モンスターが多すぎるだけなんだけど)この身長だと、机の上で跳ねるなり机を重ねるなり何らかの工夫が必要そうだ。大丈夫。まだまだ成長期ですよ。仏陀さながらの慈愛の笑みで見つめたら「五月蝿い」と言われた。何も喋ってないのに!?
「目測でしかないからはっきり言えないけれど、藤吾くんは身長おいくつ?」
「ぼくは175センチぐらい。ぼくなら届くかな?」
「そうね。でもそれも背伸びしてようやく、ぐらいかも」
「そうかあ。ほな余裕そうなんは花山院サンとか西門サンとかレベルって感じかなあ」
「あのお二人は180センチオーバーの身長オバケですからね」
「身長オバケて!」
「姉さんってたまに語彙可笑しいよね……」
「えっ、そうですか!?」
「わっはっはははは、ええやんおもろいやん!」
腹を抱えて笑う藤吾くんを、棗が呆れたように見つめている。棗はにこりともしないけど、藤吾くんは楽しそうだ。
私はその様子を見て、ちょっとほっとしてしまった。
だって棗、私の前では愛想ないんだもん。原作での描写はそこまで多くなかったけど、基本的に白鳥エリカ至上主義だから周りに全然気を許してない感じだったんだよね。そんな棗の心を解すのが透子ちゃんなんだけど、私が別に透子ちゃんを目の敵にしてないから、そのイベントも起きそうにないし……
ってそうじゃん! 本来なら棗が成長するきっかけに透子ちゃんの存在があったんだよ!
あれ? もしかして私のせいで棗が大人になる機会が失われている……? ど、どうしよう。私のせいで棗がこのまま選民主義のカタマリになってしまったらそれこそ没落コースまっさかさまだよ! 基本的に透子ちゃんや西門花山院とは必要以上に関わり合わないというのが私のモットーだけど、こればっかりは棗はもちろん白鳥家、そして私が幸せになるためには避けて通れない道な気がする……。
なんとかして透子ちゃんと棗を引き合わせなくては。
え~~~ん! 面倒ごとが増えた………。




