006
「…………」
「…………」
「あ、暑かったり寒かったりしませんか? 空調動かしましょうか」
「いや、問題ない」
「そうですか」
「…………」
「…………」
ち、沈黙がおも~~~~~~~~~~~い!
いや本当に何をトチ狂ったのか西門が社交辞令に是と言ったせいで、白鳥エリカ、人生で一番気まずい時間を味わっています……。
もちろん言い出したのは私だって分かってるけどさあ!? 普通に電車で帰る人がいるのを知ってたら「一緒に帰る?」ぐらい聞くでしょうが!? しかもなんかよく分からないけどシャツまで借りてるんだぞこちとら……。あ~あなんか前世を思い出す。上司への「飲みましょうよ~」なんて社交辞令に決まってるのに飲みに連れ回された前世……西門大丈夫かな……あんたは思いやりに溢れて優しい男だって原作を読んだ私は思っていたけど、この機微を分からないようじゃろくな上司にならないよ。
「なあ」
「な、なんですか?」
思考が読まれたのかと思わず肩が震えた。普通の車なら気付かれちゃうところだけど、送迎用のリムジンは車内が広いから西門がこちらを見ていない限りは気付かれないだろう……。
と思ったのに、バッチリ見られていた。なんなんだよもう……。
はっ。もしかして!?
「あの、今日のことでしたら……花野井さまには悪いと思っておりますけれど、本当に事故ですわよ」
「はあ?」
「本当は助さ、菜々緒さんたちを止めようと思って近づいただけです。ただちょっとばかし足が縺れたといいますか、ほら、プールサイドで走ってはいけませんと言うでしょう? 守らなかったわたくしが悪いのですけれど、明日花野井さまにはお詫びに伺いますけれど、それでも花野井さまを落とすためにわたくしがわざと転んだと言い張るのでしたら……」
「おい、待て。誰がそんな事言ったんだよ」
「え? だって…………」
私が故意に落としたと疑っていて、その件について話すために車に乗ったんじゃ……。
さすがに口に出すことはしなかったけれど、考えは十二分に伝わっていたらしい。西門は大きくため息を吐いて、「違う」と答えた。
「そもそも俺があんたを疑ってるなら、わざわざ車に乗り込む真似なんてする訳ないだろ」
「まあ……言われてみればそうですわね」
「それに覚えてないのか」
「何がですか?」
「あんたが間抜けに足を滑らせたのは俺の目の前だぞ」
「……………………」
間抜けの言葉は余計だよこの野郎。羞恥で顔が熱くなるのをなんとかガラスの仮面を被って抑える。
あれ? でもそれなら、さっき何を言いかけたのだろう。
私は西門が切り出すのを黙って待っていたけれど、中々話し始めようとしない。寡黙気味ではあるものの、物事についてははっきり言い切るタイプの西門がここまで言いにくそうにするのは珍しい。この間みたいに、明らかな敵意というものも感じないし。
「あの………?」
「……授業」
「え?」
「授業、見学してた理由の件だけど。お前の水着が切られてたってのは本当か」
「それは……ええ、本当です」
ううっ、願わくばどの部分が切られていたかの詳細まで広まっていませんように…。
私の狼狽が“白鳥エリカ”であることを忘れた反応と顔に出てしまっていたのだろう。私を注視する西門と目が合った。その表情だけで「何?」と問われたので、ゴホゴホ咳ばらいをして誤魔化す。
「どうするつもりだ?」
「? どうするつもり……と言いますと?」
「偶然ついた、とは言えない切れ方なんだろ」
「あんな場所が偶然切れるなんてことがあれば奇跡や魔法すらも起こり得るでしょうね」
もっとも、転生なんてしてる私が言えた話じゃないけど。
「犯人に心当たりは?」
私は少し考える。考えるけど……。
「正直なところ思い当たりませんわ。以前の花瓶の件は覚えていらっしゃる?」
と、言うよりも忘れたとは言わせないけどね。あの冤罪騒動は解決したからいいものの、二人の間で勝手に犯人だと思われて話を進められたことは未だにわたしの心に深い深い傷を落としているのだから。
西門も思い出したのか、やや渋い顔だ。いや、これは元からか?
「あの時お二人に指摘されて思いましたけれど、こういう手でわたくしに喧嘩を売るのは得策ではありません。どんなにわたくしが恨まれていようとも、この学園では家の付き合いもある以上、家同士の問題にも発展しますもの」
まあ別に恨まれる心当たりもないけどさあ……悪役令嬢に転生しましたけど中身は庶民だもん。わりと慎ましく、誰にも迷惑掛けずに生きてるつもりだよ。透子ちゃんとだって上手くやってるし。
あるとすればスクールカーストの下位グループが下剋上しに来たとかだけど、たとえそうだとしてもこんな手は選ばないだろう。私の失敗を論う方が下剋上しやすいだろうしね。
「だとすると、お前の熱狂的ストーカー……」
「ええっ!?」
思わず声が上ずった。いやそれはそれで恐ろしいしゾッとするんだけど、白鳥エリカとして生きててこの方それらしい浮いた話がない私はこんなことでちょっとテンションが上がってしまった。不覚……。
案の定西門からは不審な目で見られた。ゴホゴホと咳払いをする。
「……は、ないか」
ないんか~~~~~~~い。ぬか喜びさせんなっ。
「ま、まあとにかく、見つけたいとは思っていますけれど……監視カメラがあるわけでもなし、おまけにプール専用の更衣室ですもの」
「目撃情報でもなければ、犯人なんて見つけようがない……か」
「ええ。これ以上トラブルが重ならない限りは私から行動を起こすつもりはありませんわ」
「……そうか」
正直、私はかなり事なかれ主義だ。こんな事される覚えはさっぱりないけれど、こういう事態の被害者全員に物覚えがあるとも思わない。そもそも私こと白鳥エリカが学園と、そしてこういったお金持ちコミュニティの中では圧倒的強者だから流せるけど、言ってしまえばこれっていじめと同じだ。いじめなんて切っ掛けは些細なことだし、何が引き金になったかなんて分からない。
まあ、私の回答を西門は半ば予想していたのだろう。諦めたように頷いて、一度俯いた。腿の上に肘をついて、丁度膝の間を睨みつけている。
……あれ? もしかして、もしかしなくても、この件について聞きに西門はついてきたんだよね。
でも、西門が心配しているのは、きっと私じゃない。
――――と、いうことは。
あれ。なんか。嫌な予感が背中を走る。
「……そ、そろそろ到着したかしら別宮さん!?」
「あと一、二分ほどです、お嬢様」
「まあ! それでは西門さま、そろそろお支度を整えた方がよろしいんじゃなくって?」
「整える程のモンもねえけど」
いえいえパンツの皺とか。ありますでしょう。何かほら。何かさあ。
もうこれ以上話を掘り下げないようにと余計な気を回してしまったのが災いしたらしい。もっとも、この話をするために白鳥家の車に乗り込んだのだとしたら、西門がその話題を忘れるはずなんてなかったのだけれど。
車が徐々にスピードダウンするなか、西門の「ところで」という声が響いた。
「今回の件、誰が疑われてるか知ってるか?」
「…………………」
「昼休みに姿が見えなかったやつらしいんだが」
「…………………………………」
「そういやお前も昼休み、どこにいたんだ?」
もう………私は日々慎ましく生きてるのに。
いったいぜんたい、なんでこんな仕打ちを受けなければいけないのですか、神様……。
西門は面と向かって「お前を疑っている」と言っているわけじゃない。
わけじゃないけど、こんなのほぼ死刑宣告を受けたも同然だ。そもそも透子ちゃんは西門と一緒にいたんだし(っていうか透子ちゃんは疑われてるのに西門が疑われてないっていうのはズルくない?)アリバイだって証明されるだろうけど、問題は私だ。私はあの時間ひとりきり。西門と透子ちゃんの会話をバラせばアリバイも証明されるだろうけど、そうなると透子ちゃんの男装をバラさなきゃいけなくなる。
結局私は、前回の花瓶の件(※「悪役令嬢と割れた花瓶」参照)同様、私自身の疑いを晴らすべく、真犯人を見つけるために尽力するほかない――――…。
いいですよ。わかりましたよ。こうなりゃヤケだ。
私の水着を切り裂いた真犯人、私が見つけてみせましょう!




