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正直なところ保健室に逃げようかと思ったけれど、全ては五時間目のために頑張りました。ひとつ授業が終わる度に助さん格さんが私のところまでやって来て、土曜日の西門の事を聞きたがるのがとんでもなく憂鬱だったけど。昼食はその話で持ち切りになると読んだ私なので、今日は学食ではなく購買で買って済ませる事にした。助さん格さんはだいぶ渋ったけど、「ちょっと……用事が、ね?」と言いながら西門の方をチラッと見たら送り出してくれた。別に西門と用事とは言ってませんけどね。
購買でベーコンエピとシナモンロールを買い、ついでに飲み物も買っておく。今日の気分はキャラメルラテ。場所は距離的に迷ったけれど、誰にも見られたくない事を思うと温室しかなかったので、人に見られないよう気を遣いながら向かった。五時間目のために早く戻らないといけないから、さっさと食べないとね。
しかし残念なことに、開け放してある温室の扉から中に踏み入ると、人の声が聞こえてきた。
うわ。しかもこの声は、聞き覚えがある………。
「それで、お前は五時間目どうすんだよ」
「パーカ着て出ようかとも思ったんだけど……」
「却下」
「……だよねえ」
「大人しく見学しとけ」
こっそり草木が生い茂る衝立の影から覗くと、声から予想した通りそこにいたのは透子ちゃんと西門だった。おまけに覗いたタイミングが、西門がちょっと笑いながら透子ちゃんを小突くところで、『わたとげ』ファンとしての私の心臓がギュンギュン鳴って苦しい。
二人が話している内容には察しがついた。なぜなら私が楽しみにしている五時間目は、透子ちゃんには鬼門になると分かるからだ。
カレンダーが七月になると同時に、花山院学園で封切りになる授業。
それは水泳である。
水泳の授業と言っても、普通の学校の水泳とは少し違っていて、どちらかというとプライベートプールで遊んだり余暇を楽しむといった色合いの方が濃い。お嬢様が多いからさすがに日焼けに来る生徒はいないだろうけど、ノンアルコールのカクテルが配られて、ハイビスカスの花を髪に差して水の中で揺れる。間違っても能力別におたまじゃくしとカエルとイルカ組に分けられて泳ぎの練習をしたりとか、そういう事は行わないのだ。しかも水着だってスクール水着という指定もない。そんなわけで、私は土曜日ゲンナリした気持ちを振り払うように、可愛い水着を選ぶことに命を注いだ。前世なら大して好きではなかったけど、白鳥エリカは悪役というだけあってまあ水着になれる体型だし、水着選びもちょっと楽しかった。
一方で、水泳は男女の差が如実に出るので………男装している透子ちゃんは出られない。まあ水着も自由だから確かにパーカ羽織れば出られない事もないとは思うけど、それでも万が一の可能性を考えたら出ない方が得策だろう。幸い、令嬢令息の中には化粧が取れる事を嫌がったりといった諸事情で見学を選ぶ生徒も一定数いるし認められている。透子ちゃんが見学するのにそう大きな障害はないだろう。
まあそれはさておきとして、私は今この場をどうするかだよなあ……お腹空いたんだけど……。
ひとまず透子ちゃん達が話しているところから、間に大きな花壇を挟んだところにある通りへと移動した。温室は中心に常緑樹など大き目の植物が固まって植えられているため、植物の緑に隠れるようにしゃがみながら進めばまあ視界に入る事はない。制服だけ目立つ汚れがない事を祈っておく。
木に凭れ広げたハンカチの上に座りながら、小さくちぎったベーコンエピをつまんだ。二人の話はまだ続くみたいだけど、こっちに来るような気配はない。盗み聞きは申し訳ないけど、まあこの二人のプライベートは大体前世の記憶で知っちゃってるから許して欲しい……。
あと正直、プールの話自体は原作にもあったんだけど、プール開きの日に二人がこんな会話をしている場面は原作でも読めなかったんだよね。プールの回は、見学している透子ちゃんがふらついた(もちろん演技だけど)白鳥エリカに背中を押されてプールに落ちる、というもの。透子ちゃんの見学理由が「水にトラウマがある」という事だったので落としたみたいだけど、王子がいの一番に駆けつけてお姫様抱っこで助け出すんだよね~! しかも人工呼吸で二人の関係が一歩前進する、というお約束要素たっぷりのドキドキ回。それを目の前で見る西門は可哀想だけど、正直、とっても楽しみにしている。
「なんだよ。そんなに水泳の授業好きだったのか」
「そういうわけじゃないけど……西門とか花山院とかと遊べたら楽しいだろうなって思っただけ」
「……別に、今回は一応俺も見学するし、遊ぶぐらい授業中じゃなくたって」
「うん。でも、休日は二人共忙しいじゃん。西門は道場があるし……花山院も」
「お前も、だろ」
ベーコンエピの最後のひとかけを口に突っ込んでいると、二人の声のトーンが落とされた。西門の言う「お前も」っていうのは、透子ちゃんが休日、お兄さんのお見舞いに通っていることや、お兄さんを傷つけた犯人を捜すために走り回っていることを指しているんだろうな。こうして会話を聞いていると、透子ちゃんと心の距離が近そうなのは西門なんだけど、それでも今日これから起きるハプニングなどで花山院との距離が近付いてしまうんだよなあ……。
あれ? でも私が透子ちゃんを蹴落とさないといけないのか? それは嫌だ。そもそも近付く気もないし、私は水の中でクラスメイトとビーチバレーに勤しむ気満々でボールも用意してある。
でも、もし私がやらないなら。透子ちゃんをプールに突き落としたりしないのなら。
透子ちゃんを取り巻く恋愛事情は、どうなってしまうのだろう―――?
◇ ◇ ◇
結果として、私はその疑問の答えを知る事はなかった。
なぜなら、私の目の前にはもう一つの事件が横たわる事となったからだ。
その事件は、更衣室で起こった。




