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時は六月末。夏の暑さはまだ遠くても、じめじめとした湿気と共に私達の元へと忍び寄ってきていた、そんな頃。
前回の花瓶の件が一件落着で収まってから少しが経ち、生活はただただ平和だった。花山院と出くわせば会釈ぐらいはする事もあるけれど、「この後ちょっといい?」なんて呼び出される事もない。西門は私と目が合う度に不機嫌そうに顔を背けていたけれど、まあ悪い事じゃないだろう。あえて悪い事を挙げるとするならば、食堂事件(※花瓶の時に透子ちゃんへの悪口を王子&武士に聞かれてしまった時の事)の時以来、二人の会話や透子ちゃんへの悪口を避けてくれていた助さん格さんが、再びその熱気を取り戻しはじめていた事だ。
理由が何故かは分かっている。中間テストの結果が廊下に貼り出されたからだ。無情にも(私からしてみれば、本当に無情だ……)成績が優秀な順に並べた名前の中で、学年一位の欄に輝いているのは「花野井透」の名前であった。
「あの冴えない男が我らが王子&武士を抑えて一位なんて……あり得ませんわ~~っ!!」
「落ち着いてっ、菜々緒さん! 気をしっかり持つのよ!」
「今までは花山院さまと西門さまのワンツーフィニッシュでそれは美しい一種の芸術作品のようでしたのに……天上天下王子我独尊、王子の上に人を立てないで下さりませ……っ」
なんて助さん格さんのショートコントに、もう一周回って吹き出すのを堪えるのに必死だった。花山院は釈迦なの? 原作でこの人達こんな事言ってたっけ? なんか私が知ってる二人より三割増しぐらいでバカなんだけど……これ、私が影響してたりしないよね? ね?
正直家柄など関係なしに入学してくる程の実力があるのだから、透子ちゃんが成績優秀であるのは当然だ。実際花山院も西門も気にしている様子はなく、男三人(と言っても内一人は女子だけど)でじゃれていた。この世界の原作『わたとげ』ファンの私からすれば、かなりオイシイ場面である。ああ、私、この世界に転生出来て良かったかもしれない……。
なんて思っていたのは一瞬だけだ。笑いながら透子ちゃんの頭を小突いた西門が顔を上げた途端、微笑ましく見守っていた私と目が合った。直ぐにいつものコッペパンの間に入れた切り込みみたいな深い皺を刻んだのなら、不機嫌そうに私から顔を背けた。
……なんなの!? 元々好かれてるなんて百歩間違えても思っていないけど、“花瓶”の件からよりいっそう態度が悪いんですけど。別に透子ちゃんにもあんたらにも危害もヘイトも向けてないんだから、せめて軽く会釈でもして返すぐらいの心の余裕を持って欲しいものです。
さて。まあそんな試験後の精神的ひと悶着もすっかり過ぎ去り、七月が目前に迫った今、私にはまずしなければならない事が二つあった。
ひとつは、六月末日の今日だからこそのイベントだ。夏越の祓に家族で出向く事になっている。土曜日なので午前中で授業が終わるから、運転手の人にお願いしてこのまま向かってもらう予定だ。鞄に勉強道具を一色詰め込みつつ、スマートフォンを開くとすぐに目に入るメッセージの通知。弟からだ。
『授業終わった? 姉さんの車で中等部まで迎えに来て』
ほ~~~ん。なになに? お姉ちゃんと一緒に行きたいってこと? ニヤニヤしながらその旨をいつものお嬢様言葉で返すと、すぐに既読が付いて返ってきた返事がコレ。
『姉さんは効率って言葉知らないの?』
あ~~~~~~~~~可愛くない! でも可愛い!!
白鳥エリカの弟である白鳥棗は、武士に並ぶ私の推しキャラだ。日本人形さながらのストレートヘアが自慢の白鳥エリカの弟であるにもかかわらず、ぴょんぴょん跳ねる今時の癖っ毛。エリカだとちょっと性格が悪そうに見える猫目も、中学二年生の幼い見た目だと美少年を象る要素の一つになる。身長も透子ちゃんとどっこいぐらいだしね。167センチだったかな……。原作だと最初はお姉さま至上主義でありながらヒロインである透子ちゃんの優しさに触れて、最終的には白鳥エリカを裏切って透子ちゃんの味方につくんだよね。
だから正直私からすれば怖い存在でもあるんだけど、どういうわけかそもそもお姉さま至上主義であった時代がないので、今のところ可愛がる以外は放置している。おかしいな……原作だともっと「姉さんの言う事は~~? ぜった~~い!」って感じの小悪魔キャラだったし、この生意気な口調は透子ちゃんにのみ発動していたはずなんだけど……。まあ私は生意気年下男子への性癖があるから、こんなバカにされる扱いでもキュンときてしまうし、これはこれで“姉弟”って感じで嫌いじゃない。前世では弟いなかったし、棗と話す時は、いつもちょっと楽しい。
迎えに来てくれた車に乗り、今回はいつもの帰宅ルートではなく中等部へと向かってもらう。運転手さんにも話が行っているのだろう。すんなり到着した。
運転手さんによって扉が開けられるや否や、私の膝の上に革の鞄が投げ捨てられる。ちょっと。重いし痛いんですけど!?
「棗、鞄は投げるものじゃありませんわよ」
「ああごめん。随分がっしりしっかりした椅子だなあと思ってたら姉さんの足だったんだね」
くう~~~~~~!! 普通なら腹が立つに決まってるんだけど、前世で『わたとげ』を読んでいた時、ひたすらヒロインに対する憎まれ口に悶えていた記憶が、イライラの最中でもキュンを呼び起こすから素直に怒れない……。ていうか、推しが西門と棗ってエムなのかな、私……。ろくな反論も出来ないまま見つめていると、棗は鼻で笑った後に「変態」と言った。私のときめき中枢イカれてるんじゃない? こんな暴言でときめきたくないよ。
それはさておき、夏越の祓である。
それなりに続く名家であるからこそ、白鳥家は四季折々の神事やお参りを欠かさない。受験(と言ってもエスカレーターなので名ばかりだけど……)の時はもちろん、父の会社で大きな計画が始まる時などもお祓いをしてもらっているみたい。酉の市に提灯を出したりね。私はこの世界で初めて酉の市に行ったので、有名企業の名前がたくさん並ぶ提灯の壁を見てとても興奮した。前世が都心じゃなかったって事もあるけど、こんな世界もあるのかとびっくりしたんだよね。それとも私が知らなかっただけで、みんな知ってる常識なのかな? ウチの会社は全然やらなかったからな……。
そんな訳で、年に二回の大祓の儀式には家族で出席するようにしている。特に高等部に入学してからというもの、なんだか私の元には災厄と破滅が纏わりついているような気がする。半年分の穢れをしっかり払ってもらわなきゃ!
先に到着していた両親と合流した。二人はもう人形に名前を書いていたみたいなので、私と棗も続く。安倍晴明の式神みたいなイメージの、白い人の形をした紙は季節も合わさるとお願い事を書くのに適しているように思ったなぁ…。本当はこれで自分の身体を撫でて穢れを移すんだけどね。移した穢れを流すのに、願い事なんか書いたんじゃ願いまで流れてしまうと知った時はショックだった…。
然るべき手順を踏んで茅の輪を潜ってゆく。茅の輪って言うのはその名の通り、茅で編んだ輪っかのこと。正面から入って左回り、右回り、左回り……と8の字を描くようにして三回この輪を潜ってゆく。神社によって作法が違うところもあるみたいだけど、白鳥家が普段赴く神社では基本的な形を取っているみたい。こうすることで、半年間に溜まった穢れや病気なんかを落として、残す半年を無事に過ごせるように……という神事なのだ。六月末に一回、あとは大晦日に年越しの祓がある。次は半年先か~。今日で祓った穢れがすぐに溜まるなんて事がないように、心穏やかに過ごしてゆきたいものです。
切麻を身体に掛けてお祓いを済ませればほとんどが終わりだ。正直なところ、茅の輪を潜ったからといって劇的に心が晴れやかになるわけではない。気の持ちようって事だろう。でも、毎年夏越の祓から帰った時の私が、穢れをさっぱり落としたかのようにご機嫌なのには理由がある。
車でそのまま向かったのは、銀座にある実松屋という和菓子屋さんだ。明治の頃から続く老舗の和菓子屋さんで、本店は京都にある。顔見知りのオーナーさんに両親が挨拶をした後、二階の席へと案内された。
ひんやりとした室内で出された温かい玉露をいただいていると、程なくして私たちの前に、三角形のお菓子が置かれる。これぞ(超個人的)夏越の祓のメインイベント・水無月である。白いういろうの上に煮た小豆が乗せられた和菓子なんだけど、京都の方では夏越の祓にこれを食べる風習があるそうで、我が家は毎年神社にお祓いに行ったあと、実松屋の水無月を食べるのがきまりなのだ。光を反射してきらきら光る姿は、氷を模して造られたという謂われにもぴったりの涼やかさ。おまけに老舗だけあって甘さが上品で、とっても美味しい。一口食べると、ほろほろ甘さもほっぺも崩れてゆく感覚がたまらな~~い!
「やっぱり実松屋さんでこれをいただかないと、夏のはじまりを感じられませんわね」
「大変光栄です。また来年も席を取っておきますので、是非またお越しください。おや、エリカ様。もしよろしければ新作のお菓子もいかがですか?」
「あ、いえそんな……でもせっかくですし、お勧めがあればいただこうかしら?」
「姉さん。いくら美味しいからって二口で全部食べ切ったの……? 引くわぁ……」
「二口でなんか食べていません! せいぜい四口ぐらいよ!」
「エリカさん。声を荒げないで、他のお客様のご迷惑よ」
「うっ……すみません……」
フードファイターになった記憶はありませんが!?
とはいえ、甘い物好きなせいか棗も今日は機嫌がいい。棗の憎まれ口なんて可愛いもんだし、なんて平和なんだろう……。と舌鼓を打っていたら、ヒアルロン酸をたっぷり注入した母の頬がピクリと動くのが見えた。
なんだ? と思って振り返った事を、私は後悔した……。




