013
「………え!?」
あまりにも予想外なところからもたらされた答えに、私は思わず目を剥いた。
先生が犯人って、いったいどういうこと!?
驚いたのは、何も私だけではないはずだ。花山院や西門も、目を見開いては顔を見合わせていた。入生田先生といえば随分と落ち着いていて、どちらかと言えば先生こそが謎解きの場面でのエルキュール・ポアロ(もちろん、別にホームズでもエラリイ・クイーンでもいいんだけど)みたいに、全てを分かっているみたいだった。
「あの……いったいどういう事か、説明していただけますか?」
「もちろん」
先生は頷くと、一度紅茶で喉を潤してから話し始める。いつもの、授業中のようなトーンで。
「謝罪の前に、まず一つずつ整理しようか。そもそも僕が花瓶を割ってしまったのは、不慮の事故」
「故意じゃなかった、って事っスか」
「ああ。僕は花瓶から花を取り出そうとしていたんだ」
「花を……取り出す?」
「正直なところ、恥ずかしい話なんだよ」
そう切り出した先生は、また顎を指先で撫でた。
「僕が園芸部の顧問だという事は先ほど言ったよね」
「え、ええ……」
「元々、植物への造詣は生物教師としての知識しかなかったんだ。僕の興味はもっぱら虫に向いているからね。だけど顧問をする事で部員に色んな事を教えてもらったし、すっかり好きになってしまったんだな」
「それがどう通じるんですか?」
「僕は毎朝裏庭を見て回るんだけど、その時にうっかり転んで、花壇に尻もちをついてしまったんだよ。もう分かるかな? 君達が掘り起こしていた、例の花壇だ。――そう、1年A組の前にある、チューリップのね」
入れ替えられていた花のエリアは大体花壇の半分程。大人の男性が座り込んでしまったのならそう齟齬のない範囲だろう。
「思いっきり座り込んだから、茎が折れて花も歪んでしまったんだ。だけどそのままにして逃げる事も出来なかった。愛着もあったし、この学園は花壇の花も整えているだろう? このままにしていったら捨てられてしまうんじゃないかと思ってさ。そこでちょうど目に入ったのが、君達のクラスにあった大きな花瓶だ。これ以上この花達が生きられないとしても、それならせめて見て愛でてもらいたかった。それに、庭師のおじさんもそうだけど、僕や園芸部の生徒も大事に世話をしていたからね」
「事情は分かった……が、さっきの花を取り出す、の話は? 愛でてもらうために花瓶に移したなら、わざわざ取り出す必要はないと思うんスけど」
「球根の処理をしていなかったからね。根を切るために一度取り出そうとしただけだよ」
なるほど。まああの花瓶は壺と間違えられるほど大きいし、中には水も入っていた。大人の男性でもうっかり手が滑って……という事は、ない話じゃないだろう。
ただ私は、先生のその発言が少し引っ掛かった。“根を切るため”――先生はそのためだけに他のクラスの教室に忍び込んだのだろうか? それに……。
先生は一度紅茶で喉を潤した後、おもむろに椅子から立ち上がった。そして次の瞬間、私に向かって腰を折った。
「白鳥さん、今回は僕の不注意で本当に申し訳ない事をした。ごめん。それに、中々名乗れなかった事も。あの花瓶がどのぐらいの価値があるのか僕には分からないけど、何年かかっても弁償したいと思っているし、学校も辞める。君やお祖父さん、白鳥家が出した結論に全て従うつもりだ。…………ただ、ひとつだけ、お願いがある」
「お願い、ですか?」
「ああ。この件は公表せずに……君達の中だけに秘めておいてくれないか」
◇ ◇ ◇
先生が去った後、空っぽになったティーカップとその椅子を眺めながら、私達は考え込んでいた。そう。私だけじゃない。花山院も、西門もだ。誰も先生の後を追おうとはしなかったし、かといって、ここから去ろうともしなかった。
気付けばだいぶ時間が経っていたようで、もうハイティースタンドの影は周りと同化して先程より明瞭ではなくなった。私もそろそろ運転手が迎えに来る頃だろう。
「まあ……犯人が見つかったなら、いいのかな」
沈黙ばかりがこの場の支配者となっていたところで口火を切ったのは花山院だった。
「でも公表しないでおいてくれって言われただろ。それだと花野井の疑いは晴れないと思うけど」
「外部から入った人が割ったとか、他の理由なら幾らでも挙げられるんじゃない? 何なら監視カメラにそういう人が映ってた、ぐらいは僕が口添えしてもいいし。そもそも僕達の目的は、犯人を罰する事じゃないからね。それに関しては白鳥さんも異論はないんだよね?」
私は頷く。先生はああ言ってくれたけど、弁償も辞職も必要ないとは思っている。元々イジメだとか悪意の線を追っていたわけじゃないし、その点に関しては先生の言葉に嘘はないだろう。仮に先生が白鳥家やA組に恨みを持っていたとしても、大の大人が選ぶ復讐方法としては幼稚すぎる。
花山院や西門としては透子ちゃんへの、そして私としては二人からの疑いを晴らせれば別にいいわけだし、犯人を捜そうとしたのはそれが理由だ。花山院が架空の犯人をでっち上げてくれるならそれに乗っかる事だってやぶさかではない。
ただ、ひとつ気になる事。
――なぜ花を取り出そうとしたのかしら……
不意に話し声が止んで、伏せていた睫毛を上げるとこちらを見る二人の目とかち合った。思わず心の声が漏れていたらしい。
「さっき先生が言ってただろ。球根の処理をしようとした、って」
「ええ……でも、それだけのために教室に忍び込むでしょうか? 先生なら放課後校内を歩いていても特に違和感はないはずですし、もし本当に水切りをするつもりだったのであれば、人気のない放課後を選べばいいのではありませんか?」
「それは……確かにそうだね」
「まあ水切りって結構面倒だからな。持たせたいなら水中で切るとか手順もあるし」
さすが花屋の息子、西門。私も昔、母の日にカーネーションを買った時に水切りの仕方は母から教わった。白鳥エリカになってからは毎日新鮮な花が花瓶に生けられているけれど、白鳥エリカの母がその方法を知っているかは定かでない。十円玉入れるとかね。
花屋の息子なら、次に私が続ける言葉の意味もきっと分かるだろう。
「それに、チューリップのように球根がある植物は、水耕栽培もありますでしょう?」
「そうなの? カズ」
「……ああ。お前らの家にあるかどうか分からないけど、口の小さい瓶とかに水だけ入れて栽培するんだよ。根が張る様子が綺麗に見えるから、使用済みの瓶使ってやる家は結構あるって聞いた。まああの花瓶だとデカすぎて無理だったと思うけどな。球根の位置を水面より上げてやらないといけないから」
「ん? じゃあ取り出そうとしたのも別に間違ってはいないんじゃ」
「いえ、わたくしが言いたいのは、花がただ捨てられる事も嫌だと……花の事を好きだと仰っていた入生田先生が水耕栽培という手があるにもかかわらず、花の命をわざわざ縮めようとした事が気になるんです」
いくら踏み潰して茎が折れてしまったといえど、その命が失われたわけじゃない。葉が枯れなければそのまままた次の年に花を咲かせる場合もある。けれど根を切ってしまったら、だいたいその花の寿命は一週間程度だろう。この学園にわざわざ庭師を雇い入れているぐらいだから、折れた花を放置していたら見栄えのために処分されるかも、と危ぶむ気持ちは分かるけれど、かと言って先生がわざわざ球根を処理する理由はないように思うのだ。だいたい愛情があればこそ、少しでも長く生きて欲しいと思うもんじゃないの? と思うのは私の思い込みなのかな……。
ギッ、と椅子を引く音がした。二人が立ち上がったのだ。もうそろそろ限界か。私も腕時計で時間を確かめてから後に続く。道中、ダメ元で「お二人は気になりませんの?」と尋ねてみた。
「まあ花を取り出した理由がもし別のものだとしても、事実が変わるわけじゃないしね」
「正直俺は架空の犯人でっちあげるより、先生が犯人ってちゃんと言った方がいいと思うけど」
「そうするとわたくしの意思にかかわらず、先生は職を辞する事になってしまいそうで……」
「じゃあやっぱり外部の犯行説だね。まあ僕達も白鳥さんが犯人じゃないと分かってホッとしたし、それなら外部犯説を推す事も現状最良の手だなと思うよ」
「最良……そうですわよね」
―――でもそれは最良であって、真実ではない。
胸の中のモヤモヤが象られてそんな言葉になったのは、二人と別れ、静かな車内でのことだった。




