012
西門からの無言の「アホ」という攻撃に耐えながら温室に辿り着くと、花山院は相変わらずのアフタヌーンティーセットを前に優雅にお茶を楽しんでいる最中だった。
けど、今回は他にお客がいるらしい。
「あら、確か生物の……」
「入生田先生だよ、温室で虫を探してたみたい。カズも行っちゃったし誘ってみたんだ」
「へえ」
授業でしか見掛けた事はないものの、なかなか変わった先生だという事は私も存じ上げている。
そもそも、のちの紳士淑女ばかりが集う学校である。教鞭をとる教師陣も基本的には名家が集う大学を出ていたり、〇〇家の誰誰さんからのご紹介、というパターンの方が多いのだ。私は教職を取っていなかったから詳しくは知らないけど、教師の採用に関しては公立校に比べると私立校は学校側の裁量が大きいと聞く。生徒たちをそのまま大人にしたような教師陣が集うのも無理はない。
その中で入生田先生は、どちらかというと“庶民”に近い人だった。癖の強い髪は野放し。サヴィル・ロウで仕立てたスリーピーススーツを身に着けるわけでもなく、いつもよれよれのカーディガンやニットに野暮ったいスラックス。たまに白衣を上に纏っている事もあるけれど、そういう日は大体前日と同じ服だという事を、生徒のほとんどが知っていた。
まあそもそも、生徒達のお茶にすんなり同席しているところも含めてイレギュラーだよなぁ…。私は結構嫌いじゃないけど。学者肌って感じで、生き物のスペシャリストというあだ名もあるとかないとか。
「おひゃはひてまふ」と入生田先生の声が乱れたのは、リスみたいに頬をいっぱいにして何かを頬張っているからだ。何が減ってるんだろう? 林檎のジャムで食べるスコーン? それとも苺たっぷりのタルト? 私はすかさずハイティースタンドへと視線を走らせた。
「あ、ちゃんと白鳥さんの分のタルトはあるからね」
「あらありがとうございます。でも食べたいなんてわたくしは一言も……」
「要らないのか」
「残すともったいないおばけが出ますからいただきますわ」
もったいないばあちゃんだっけ? 記憶が定かでないのとこの世界に通じる話か分からないので、突っ込まれる前に入生田先生のお隣にお邪魔して、無事に残っていた苺のタルトとお茶をいただくことにした。西門は胡散臭そうな目を向けながら、私の真正面である花山院の隣へ腰を下ろす。
「それで、先生は園芸部の顧問をされているんですよね」
「はは。まあ顧問と言っても部員は一人、もう廃部が決まっているようなものだけれどね」
「まあ、それは残念ですわね」
そもそも園芸部なんてあったんだ……という驚きは、紅茶と共に胃の奥へと流し込むことにした。私もそうだけど、部活に入る暇がない生徒の方が多いんだよね。下手すると箸より重いものは持てない人種が揃っているのに、スコップを駆使する園芸部が存在していた事に驚くのは自然な事だろう。おまけに専属の庭師もいる。どう見ても園芸部の世話は必要としていないように思えた。
「僕はまあ、昆虫採集も兼ねて引き受けたようなものだから。でも、顧問をする事で花にも詳しくなったし、大っぴらに土いじりが出来るようになったから、中々有意義な三年間だったよ」
「この学園だと、わざわざ先生が整える必要はねぇからな……」
「一昨日も園芸部の活動はされていたんですか?」
スコーンのお代わりを勧めながら花山院が尋ねた言葉に、この奇妙なお茶会の真意が読めた。なるほど。入生田先生に情報を聞きたくてお茶に誘っていたのか。打算的だなあ。花山院の印象がどんどん変わってゆく……。
先生は林檎のジャムを塗りたくりながら、一昨日ねえ、と記憶を探るように首を傾げた。
「一昨日……というと火曜日だろ? ウチの活動日は月・水・木なんだ。とは言っても、来る来ないはもう部員に任せているけどね。僕自身は放課後、採集も兼ねて裏庭の花壇をいじっていたけど」
「その時、花壇に変なところとかありませんでした?」
「変なところ……」
前のめりになって尋ねたせいか、入生田先生にはピンときたらしい。
「ははーん。さては君達、A組の花瓶が割れた件について調べているね?」
「………………」
「花壇でピンとくるという事は、先生方の間でもその辺りまで分かっている、という事ですか?」
私が堀った墓穴を新たなヒントにしてくれる花山院に私は心の中で天を仰いだ。
夕方になって伸びてきた髭の感触を確かめるみたいに、入生田先生は顎を撫でながら唸り声を上げていた。どう言ったものか、と、そんなところだろうか。
温室の硝子越しに見える景色が鮮やかな橙を帯びる頃まで、先生は口を開かなかったけれど、いざ開いた時、先生の目は私へと向けられていた。
「白鳥さん、ひとつ聞きたいんだけど」
「はい?」
「君がこの件について調べているのは、白鳥家の意向としてかい?」
「いいえ。わたくしの汚め……興味というか、気になって仕方がないと言いますか……」
「それなら、花瓶を割った犯人を見つけたら、君はどうするつもり?」
橙の光のせいか、ハイティースタンドの影が黒くはっきりと見えていた。それが印象に残ったのは、入生田先生の強情な癖毛から覗く瞳が不思議な煌めきを宿していて、ついそれから逃れるように視線を逸らしてしまったからだろう。
けれど、中身はただのポンコツアラサーOLでも、今の私は白鳥エリカなのだ。
きゅっと顎を引き、隣にいる入生田先生に身体ごと顔を向けた。
「わたくしとしては、騒ぎ立てるつもりはありません。お祖父さまにもそう説明して、納得していただいています。もっとも白鳥家やわたくし、第三者への悪意が原因で故意にあれを壊した、という事であれば事情は変わりますが、それでもわたくしが犯人を捜しているのは、犯人を槍玉に上げる為ではございませんわ。ただ……謎を謎のままにしておけない性分ですの」
そもそも、私はただ私の身の潔白を証明したいだけなのだ。それは伝えなかったものの、私を疑う西門と花山院を一瞥しておいた。正直な話、この二人が私を疑う事を止めてくれれば、別に犯人なんて見つからなくてもいい。同じ事が二度三度と続いたらその時は白鳥家への怨恨と見て、大人が対応する事になるだろうしね。私は夢見る乙女じゃない。ミステリーは大好きだし、名探偵になりたいと思った時もあったけど、純粋にそれを願って行動するには年を取りすぎているのだ。
入生田先生は、暫し呆けた後、薄い唇を歪ませた。程なくして、それは笑みに変わる。
「あなたがそういう人で安心したよ」
「はあ……」
「あの、入生田先生、この件で何かご存知なんですか?」
「はは、ご存知も何も」
その瞬間、私も、花山院も西門も、取った反応は全員同じだった。
ただひとり、このひとを除いて。
「あの花瓶を割った犯人は、僕なんだ」




