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第48話 古い地図

探索者組合へ戻った時には、昼をかなり過ぎていた。四人が受付へ近づくと、ゴードは最初にセインの左腕を見て、その次に裂けた防水布へ視線を移した。手元の書類を閉じると、椅子を顎で示す。


「何があった」

「赤爪猿(あかづめざる)が――」

「お前は座れ。順番に聞く」

「歩けますけど」

「座っても喋れるだろ」


セインは素直に椅子へ腰を下ろした。左腕にはフィナが巻いた布が残っており、帰り道で血が滲(にじ)んだ様子もない。ゴードはそれを確かめてから、新しい紙を一枚引き寄せた。


報告は、往路で何を見たかというところから始まった。四人が使ったのは中層手前の補給路で、旧資材置き場までの道では特に異常を感じていない。途中で岩鼠(いわねずみ)を見たこと、資材置き場にも変わったところはなかったことを、それぞれ覚えている範囲で伝えた。


帰りに最初の爪痕を見つけ、その直後に赤爪猿一匹と遭遇した。戦っている途中で後方から二匹が現れ、二匹を倒し、一匹は奥へ逃げている。


「三匹とも、同じ場所にいたのか」

「最初から三匹見えていたわけじゃありません」


ルアンは地図の上で指を動かした。


「一匹目は前から来ました。残りの二匹は、僕たちが戻ってきた方からです」

「来た道から?」

「はい。少し前に通った道です」


ミレーナが、赤爪猿のいた場所に古い爪痕や食べ残しが見当たらなかったことを付け加えた。長く居着いていたようには見えなかったが、いつ来たのかまでは分からない。ゴードは余計な判断を挟まず、それもそのまま紙へ書き込んだ。


フィナはセインの傷について訊(き)かれ、爪が掠(かす)めたものの深くはないと答えた。ルアンの右腕についても話すと、ゴードの目がそちらへ移る。


「そっちは?」

「怪我はしてません。右腕に力を通しすぎただけです」

「少し、ね」


横にいたミレーナがそう言い、裂けた防水布を受付台へ置いた。爪の跡は深く、巻かれた布の何層かまで切り裂かれている。


「これを二回受けてます」

「……なるほどな。今日はもう無理に力を使うな」

「はい」


ゴードがルアンの顔を見る。


「お前も素直になったな」

「今日、それ二回目です」


ミレーナが横を向いて笑った。


報告を書き終えると、ゴードは職員を一人呼び、紙を迷宮管理院へ回すよう渡した。逃げた赤爪猿についてセインが訊くと、「そいつを探すのも、お前らの仕事じゃない」と返される。セインは一度口を開きかけたが、そのまま閉じた。


ルアンも何も言わなかった。一人でできることと、一人でやるべきことは違うと、以前ダグに言われたことがある。ゴードが別の人間を動かすなら、今の四人が戻って確かめる理由はなかった。


帰ろうとしたところで、奥から来た職員がゴードへ何か耳打ちした。ゴードは紙から顔を上げ、四人を呼び止める。


「管理院からだ。ちょうどお前らに確認したいことがあるらしい」

「俺も?」

「その腕で倒れそうならここに残れ」

「倒れませんよ」

「なら来いってことだ」


外へ出ると、日は少し傾き始めていた。迷宮の中に長くいたせいか、地上の空気は思った以上に冷たい。ルアンは荷物へ括(くく)りつけていた外套(がいとう)を一度手に取ったが、管理院までは近いため、そのまま腕に掛けて歩いた。


管理院では、リサとダグが待っていた。机の上には大きな地図が広げられ、その周囲に何枚もの報告書が置かれている。二日前に見た時より紙の数は明らかに増え、地図にも小さな印がいくつも書き込まれていた。


「怪我は?」


リサが最初にセインの腕を見る。


「浅いです」

「フィナが見たの?」

「はい」

「じゃあ後で療院でも見てもらって。迷宮内の爪傷は、浅くても化膿しやすいから」


セインは何か言おうとして隣のフィナを見たが、その視線を受けて口を閉じた。


「……はい」


ダグが鼻で笑った。


四人はもう一度、今度は机の地図を使って遭遇場所を確認した。ルアンが補給路を指し、最初の一匹がいた場所と、後ろから二匹が現れた方向を示すと、リサはそれぞれに小さな印をつける。その作業を終えてから、机の端に置いてあった別の地図を手元へ引き寄せた。


「ちょうど今日、古い記録の確認も一つ終わったの」


新しい地図ではなかった。紙は黄ばみ、端には何度も開かれた跡が残っている。線の引き方も現在使われているものとは違い、文字もところどころ薄くなっていた。


ルアンはそこから浅層南西を探した。二日前、管理院で二人の探索者が言い争っていた場所で、一人は先月まで窪みなどなかったと言い、もう一人は前からあったと言っていた。現在使われている地図には、その窪みは描かれていない。


リサが古い地図の同じ場所を指した。


そこには、小さな窪みが描かれていた。


ルアンは新旧二枚の地図を見比べた。線の位置を間違えたのかとも思ったが、前後の曲がり角も、水路も、近くの広い空間も一致している。違うのは、古い方にだけ壁が内側へ浅く引っ込んでいることだった。


「この地図、いつのものですか?」

「六十二年前よ」

「今の地図には、この窪みはないですよね」

「ええ。少なくとも、ここ三十年の地図には一度も描かれてないわ」


ダグも腕を組んだまま、二枚を覗き込む。


「昔の測量が間違ってた可能性は?」

「ある。逆に、後の地図から書き落とされた可能性もあるわ」


リサは古い方の線を指でなぞった。


「現地で確認された窪みが、これと本当に同じ形かもまだ分からない。明日、この地図にある寸法を控えて、もう一度測り直すわ」


二日前の男は、先月にはなかったと言っていた。六十二年前の地図にはある。そして今の壁にも、窪みがある。


それ以上のことは、まだ決められなかった。


机の別の場所には、ここ数日で集まった報告が並んでいる。距離が長く感じた道、灯りの間隔が違って見えた場所、風の向きが変わった枝道、少し前にはなかったはずの通路。単独なら記憶違いや地図の誤差で済ませられる話も混じる中へ、今日の赤爪猿の報告が新しく加わった。


リサはその紙を束の上へ置いた。


「これからしばらく、探索者組合にも協力してもらうわ。道だけじゃなく、魔物の出た場所も細かく残してもらう」

「生き物の方も見るってことか」


ダグが言うと、リサは頷いた。


「道が変わっているのか、魔物が移動しているだけなのか、両方なのか。今は分けない方がいいと思う」


セインが地図の上へ視線を落とす。


「俺たちが今日会ったのも、ここの変化と関係あるのかな」


リサはすぐには答えず、赤爪猿のいた場所へもう一つ小さな印を書いた。


「分からない。でも、分からないから残すの」


ルアンはその手元を見ていた。地図の上にある印は、まだ線にはなっていない。東にも西にも、浅い場所にも少し深い場所にも散らばっていて、同じ種類の変化なのかさえ分からなかった。


ただ、報告しているのはもう四人だけではない。誰かが道を長く感じ、誰かが壁の窪みを見つけ、誰かが魔物の数を気にし、管理院が実際に距離を測っている。ルアンとダグが少し前まで壁だったことを覚えている場所には古びた道があり、六十二年前の地図には、今また見つかった窪みが残っていた。


「明日から忙しくなるな」


ダグが報告書の束を見る。


「今日も十分忙しかったわよ」

「お前は机にいただろ」

「その机の上に、誰がこれだけ集めたと思ってるの」


二人のやり取りを聞いて、セインが小さく笑った。張っていた空気が少し緩んだところで、リサも四人へ向き直る。


「今日はもう帰って。セインは白樹療院(はくじゅりょういん)へ寄ること。ルアンも右腕を休ませる」

「はい」

「二人とも返事だけはいいわね」

「今日はみんなそれ言うんですけど」


ルアンが答えると、今度はフィナまで笑った。


管理院を出る頃には、空の色が朝よりずっと薄くなっていた。冷たい風が建物の間を抜け、大門市場では店じまいを始める音がしている。セインとフィナは療院へ向かい、ミレーナは途中までルアンと同じ道を歩いた。


「明日、腕がまだ痺れてたら仕事休みなさいよ」

「分かってる」

「本当に?」

「今日は素直だって何回も言われたんだけど」

「今日だけかもしれないでしょ」


ルアンは少し考えてから、「それは否定できない」と答えた。ミレーナは呆れたように息を吐いたが、口元は少し笑っている。


市場を抜ける頃には、風がさらに冷たくなっていた。ルアンは腕に掛けていた外套を広げる。三年ほど着ているもので、買った時には少し大きかったが、今では肩まわりも身体に馴染み、袖口や裾には擦れた跡が残っていた。荷物を背負う側の肩も、よく見ると布が薄くなっている。


左腕を通し、続いて右腕を入れる。肩を上げたところで脇の下から乾いた音がして、ルアンの手が止まった。もう一度腕を動かすと、今度は布が裂ける音がはっきり聞こえた。


「……破れた」

「見れば分かるわよ」


ミレーナが足を止めて戻ってくる。ルアンが右腕を途中まで入れたまま身体を捻ると、縫い目ではなく、脇の下から背中へ向かって布そのものが裂けていた。反対側の脇も薄くなっており、強く引けば同じように破れそうだった。


「縫えば直るかな」

「縫うことはできると思う。でも、そこだけ縫ったら今度は隣が破れるわよ」


ミレーナは裂けた端を軽く持ち上げ、肩の方まで目で追った。


「縫い目じゃなくて、布そのものが弱ってる。肩もかなり擦れてるし」

「まだ着られると思ってたんだけどな」

「三年着たんでしょ?」

「うん。それくらい」

「なら、十分働いたわよ」


ルアンは外套を脱いで、裂けたところを見た。朝までは普通に着ていたし、今日一日で急に古くなったわけでもない。少しずつ薄くなっていた場所が、腕を通した拍子にとうとう耐えられなくなっただけなのだろう。


しばらく裂け目を見てから、ルアンは顔を上げた。


「外套って、買うと高いよね」

「そこ?」

「この前、冬服買ったばっかりなんだよ」


宿代と食費を残して、今月あとどれくらい使えるかを頭の中で数える。ミレーナはそんなルアンを見てから、もう一度外套の肩と脇を確かめた。


「……買い直すのは、まだ早いかもしれない」

「直せるの?」

「私には無理」


少し上がったルアンの顔が、そのまま元へ戻る。ミレーナはそれを見て、口元を緩めた。


「でも、直せる人なら一人知ってる」

「高い?」

「そこを最初に聞く?」

「大事だから」


ミレーナは吹き出したあと、「安くはない」と答えた。ただ、新しい外套を一着買うよりはずっとましで、明日の昼前なら店にいるはずだという。


それなら何とかなるかもしれない。ルアンは破れた外套を畳んで腕に掛け直し、ミレーナと並んで夕方の市場を歩いた。


明日は、この外套を持って店へ行くことになった。

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