第44話 四人の目
翌日の朝、七番倉庫には久しぶりに四人分の荷物が集まっていた。
ルアンが来た時には、ミレーナが木箱へ腰を下ろして鞄の中身を確かめており、セインは壁際で槍の穂先を布で拭いていた。ほどなくフィナも入ってくると、扉を閉めて冷えた両手を擦り、空いている木箱へ座った。
セインが三人を見回す。
「四人揃うの、ちょっと久しぶりだな」
「四日くらいでしょ」
「四日は長い」
「働いてればすぐよ」
ミレーナは鞄から顔も上げずに答えた。セインが「俺も働いてる」と言い返すと、今度は「それは知ってる」と返され、ルアンは荷物を壁際へ置きながら笑った。
ここ数日は、ルアンはダグと管理院の仕事へ出ていた。セインには探索者としての仕事があり、ミレーナには回収の仕事があり、フィナは白樹療院へ出ているので、誰かと顔を合わせることはあっても、四人の予定が揃う機会はなかった。
フィナがルアンを見る。
「管理院、大変なんですか?」
「ちょっと」
そこで答えを止めたものの、昨日のことまで思い返すと、ちょっとでは済まない気がした。
「……ちょっとじゃないかも」
「何があったの?」
ミレーナの手が止まり、セインも槍を拭いていた布を下ろした。あの日のあとに分かったことは、まだ三人には詳しく話していなかった。
ルアンは、ここ数日のことを順番に話した。浅層東側の通路が以前より狭くなっていたこと、中層南側では導灯と排水溝の間の距離が短くなっていたこと。昔あったはずの作業番号と壁のくぼみが見つからず、地図に記載されていない空洞まで確認されたことも伝えた。
三人は途中で何度か顔を見合わせたが、話を遮らなかった。
最後に、ルアンは昨日見つけた道のことを話した。
「五日前まで壁だったところに、通路があった」
セインが眉を上げる。
「見間違いじゃないんだよな?」
「ダグさんも覚えてた。僕、その壁に工具袋を置いたから」
「入った?」
「入ってない」
セインは少しだけ感心したように頷いた。
「えらい」
「なんでセインに褒められるの」
ミレーナが吹き出し、フィナも口元を緩めた。張っていた空気が一度だけほどけたが、フィナはすぐに昨日の通路へ話を戻した。
「新しく崩れてできた道じゃないんですか?」
「そうは見えなかった。割れた石も落ちてなかったし、奥には苔も水の跡もあった。床の端には砂も溜まってたよ」
五日前には確かに壁だったのに、昨日はずっと前からそこにあったような通路になっていた。ルアンが見たものだけを説明すると、ミレーナは膝の上で指を組み、少しだけ目を細めた。
「……嫌ね、それ」
怖いとは言わなかった。その短い言い方の方が、ミレーナには合っていた。
セインが槍を壁へ立てかける。
「今日、その辺行く?」
「行かないよ。あそこは管理院が調べてるから」
「だよな」
それ以上セインは食い下がらなかった。フィナも少し肩の力を抜き、「今日は普通の仕事にしましょう」と言った。
「最近、“普通”って言葉があんまり信用できないけどね」
「そういうこと言うから普通じゃなくなるのよ」
「僕のせいじゃないよ」
ルアンが抗議すると、ミレーナは鞄を閉じながら「じゃあ今日は余計なもの見つけないで」と言う。
「それは無理じゃない?」
「見つけてもいいですけど、触らないでくださいね」
フィナまで加わったので、ルアンは三人を順番に見た。どうやら自分だけ、仕事へ出る前から注意事項が一つ多いらしい。
四人は七番倉庫を出て、探索者組合へ向かった。
朝の大門市場では、少し前より冬物を扱う店が増えていた。厚い布や手袋、毛織りの靴下が軒先へ並び、食べ物の屋台から上がる白い湯気が冷えた空気の中で長く残っている。店先で温かい飲み物を両手に持つ人や、肩をすぼめて足早に歩く人の姿も増えていた。
探索者組合へ着くと、四人は受付でゴードに声を掛けた。今日は全員が一日空いているので少し長い仕事でも構わなかったが、朝から迷宮の異変について話したばかりでもあり、わざわざ未知の場所へ向かう依頼を選ぶ気にはならなかった。
ゴードが出してきたのは、中層手前の旧補給路に残っている案内札を三枚回収する仕事だった。補給路自体はいまも使われているが、途中にあった古い休憩所が閉鎖され、そちらを示す札だけが壁に残っているらしい。
「報酬は銀貨十六枚だ」
ミレーナは依頼票を受け取ると、先に経路へ目を通した。セインは最近その周辺で変わった魔物が出ていないかを尋ねたが、ゴードによれば特別な報告はなく、札の位置も記録に残っているという。
説明が終わると、ゴードがルアンを見る。
「お前は余計な道見つけても入るなよ」
「入りませんよ」
最近、自分だけ注意されることが増えている気がする。隣でセインが笑ったので、ルアンはそちらを見たが、セインは何も言わず依頼票を覗き込んだ。
四人は迷宮大門をくぐった。
地上の冷気は少しずつ薄れ、歩くうちに迷宮特有の湿った空気が肌へ戻ってくる。しばらく進んだところで四人とも外套を脱ぎ、邪魔にならないよう荷物へ括りつけた。
最初のうちは、四人ともよく喋った。
セインが朝食を二回食べたと言えば、ミレーナが「一回目が足りなかっただけでしょ」と返す。フィナは療院で寒さのため手を切ったり、指先を荒らしたりする人が増えたと話し、ルアンは月兎亭でもマーサが朝から湯を多めに沸かすようになったと答えた。
「冬になると、食べ物増えないかな」
「なんで増えると思うのよ」
「寒いから」
「理由になってないわよ」
セインが真面目な顔で首を傾げたので、フィナまで笑った。
そんな話をしながら歩いていても、四人の間隔は自然に決まっていた。セインが少し前を歩き、ルアンとミレーナが中央、フィナが後ろ寄りになる。狭い場所では声を掛けなくても一列になり、誰かが足を止めれば前後もそれに合わせた。
一枚目の案内札は、予定していた場所にあった。
壁へ二本の金具で留められた古い木札で、文字も矢印もまだ読める。ルアンが工具を出そうとすると、ミレーナが先に札の下へ手を伸ばし、金具の根元を覗き込んだ。
「待って。こっち、さびてる」
二本のうち一本は根元まで赤茶色に変色していた。力をかけすぎれば途中で折れそうだったので、セインが札を支え、ルアンが工具を浅く掛けて少しずつ緩める。ミレーナが横から金具の動きを見ている間、フィナは少し離れた位置へ立ち、前後の通路へ何度か視線を送っていた。
時間はかかったが、金具は折れずに外れた。
「一枚目」
セインが札を持ち上げると、ミレーナは「まだ二枚あるわよ」と言いながら外した金具まで布へ包んだ。捨てても構わないものらしいが、傷み方を管理院で見てもらった方がいいという。
二枚目へ向かう道も、地図に書かれている通りだった。
途中には緩い下り坂があり、石床の一部に水が流れていた。フィナは濡れた場所を避けて自分で足場を選んでいたが、ルアンが一度後ろを振り返ると、すぐにその視線へ気づいたらしい。
「大丈夫です」
「何も言ってないよ」
「顔が言ってました」
ルアンが眉を寄せると、前を歩くセインまで振り向いた。
「ルアン、分かりやすいんじゃない?」
「セインにまで言われたくないな」
ミレーナの笑い声が小さく響いた。
二枚目も問題なく外すことができた。残る一枚は旧補給路のもう少し奥にあり、そこまで行って戻れば昼を少し過ぎる頃になりそうだったので、四人は途中の広い場所で腰を下ろし、水を飲んでから先へ進んだ。
休憩からしばらく歩いたところで、先頭のセインが少しずつ速度を落とした。
何かが道を塞いでいるわけではない。通路にはいつもと同じように導灯が点き、足元にも大きな変化は見えなかったが、セインは前だけでなく壁際や岩の陰へ何度も視線を向けている。
「どうしたの?」
ミレーナに聞かれても、セインはすぐには答えなかった。さらに数歩進んでから立ち止まり、来た道を一度振り返る。
「……魔物、少なくない?」
言われてみれば、休憩を終えてから見たのは岩鼠が一匹だけだった。それ自体は珍しくないが、セインはこの辺りを何度か通っており、普段ならもう少し壁際で動くものを見る気がするという。
ミレーナは地面へ目を落とし、通路の端へ寄ってしゃがんだ。砂が薄く積もっている場所を指先で確かめ、そこから数歩先へ移動しながら跡を追っていく。
「足跡はある。岩鼠が何匹か。そんなに古くないと思う」
立ち上がったミレーナが示した跡は、どれも四人が進む方向からこちら側へ伸びていた。セインが「逃げてきたのかな」と呟いたが、ミレーナは首を振り、餌や水の場所が変わっただけかもしれないと答えた。
ルアンは近くの導灯を確かめた。
光の色も明るさも普段と変わらない。何か手掛かりがないかと壁や床にも目を移したが、そこから分かることはなかった。
少し後ろでは、フィナが手袋を外して片手を前へ出していた。指先を動かさずにしばらく待ってから、進行方向を見る。
「風があります。向こうからです」
ルアンは以前ここを通った時も同じだったか尋ねかけたが、フィナは先に首を横へ振った。
「前は、そこまで気にしてませんでした」
覚えていないものを、覚えていたことにはできない。ルアンもそれ以上は聞かず、四人は少しだけ間隔を広げて先へ進んだ。
それまでより会話は減った。
セインは前方と岩陰へ目を配り、ミレーナは足元や壁際に残る跡を見る。フィナは時々立ち止まって空気の流れを確かめ、ルアンは導灯や壁の形へ目を向けた。誰かが役割を決めたわけではなかったが、何度か一緒に仕事をするうちに、それぞれが見る場所は少しずつ分かれていた。
最後の案内札は、地図に記された場所に残っていた。
古い木札は壁へ二本の金具で留められ、矢印は左を向いている。その先には細い分岐があり、以前使われていた第二休憩所へ続く道になっていた。
「これで三枚目ね」
ミレーナが言い、セインが札へ手を伸ばす。
ルアンはその時、矢印の先をもう一度見た。
「待って」
セインは伸ばした手を止めた。ルアンは簡易図を開き、分岐から旧第二休憩所までの線を指で追う。
休憩所は閉鎖されており、いまは途中から立入禁止になっている。それでも分岐自体は昔からある道なので、入口から見える範囲を眺めることに不自然さはなかった。
ミレーナも札ではなく、分岐の床へ視線を移した。
「こっちにもある」
入口近くの砂には、小さな足跡がいくつも残っていた。ミレーナはその場へしゃがみ、先ほど見つけた跡と形や大きさを見比べる。
フィナが隣から覗く。
「さっきのものと同じですか?」
「同じ。岩鼠の足跡よ」
跡は分岐の奥から外へ向かい、そのまま四人が歩いてきた補給路へ続いていた。ミレーナは立ち上がって砂を指から払い、足跡が消えるところまで目で追った。
ルアンも分岐の中を見る。
入口からは二基の導灯が見えていた。一基目の先にもう一基があり、そのさらに奥で通路は緩く右へ曲がっている。
ルアンは簡易図と実際の道を何度か見比べた。
「……二基目、近い気がする」
セインも横へ立った。
「導灯が?」
「うん。でも、測ってないから分からない」
正確な距離を覚えているわけではなかった。ただ、普段の仕事で見慣れている間隔より、目の前の二基は少し詰まって見えた。
ミレーナが分岐の奥へ目を向ける。
「前からこうだったかは?」
「分からない」
ルアンはそこで言葉を止めた。最近の仕事では、感じたことと確かめたことを混ぜないよう何度も言われている。
その横で、フィナがもう一度手袋を外した。
入口から一歩も入らず、片手だけを前へ出す。しばらくすると淡い髪の毛先がわずかに揺れ、フィナは目を細めた。
「ここだと、さっきより分かります。奥からずっと風が来てます」
強くはないが、一度きりの流れでもなかった。
セインは槍へ片手を添え、口を閉じたまま奥へ耳を澄ませる。水の滴る音は遠くで聞こえていたが、分岐の奥から魔物の鳴き声や足音は聞こえてこなかった。
四人は入口に留まったまま、しばらくそれぞれの場所を見ていた。
ミレーナが見つけた岩鼠の足跡は、分岐の奥から外へ向かっている。フィナが感じた風も同じ奥から流れ、セインが気にした魔物の少なさは、この辺りへ近づくにつれて目立っていた。ルアンには二基の導灯が普段より近く見えるが、そこだけはまだ測っていない。
どれも、それだけで何かが起きていると決められるものではなかった。岩鼠が移動する理由はいくらでもあり、地下の風向きも場所や時間で変わる。導灯の間隔についても、ルアンの感覚以上のものはまだなかった。
セインが奥を見たまま口を開く。
「どうする?」
ルアンも分岐から目を離さず、少し考えた。
「入らない。札だけ外して、見たことを持って帰ろう」
「賛成」
ミレーナはすぐに答えた。フィナも手袋をはめ直し、セインは槍から手を離した。
判断が決まると、四人は本来の仕事へ戻った。
三枚目の金具はそれほど傷んでおらず、取り外しにはほとんど時間がかからなかった。ミレーナが札を布で包み、セインが三枚をまとめて持つ間も、ルアンは一度だけ分岐へ目を戻したが、入口から見える景色は何も変わっていなかった。
帰り道では、四人とも来た時より周囲を見る時間が増えた。
分岐から離れるにつれて、ミレーナが見つける岩鼠の足跡は次第に向きがばらけ始めた。補給路を横切る跡や壁際を往復した跡もあり、少し先ではセインが岩陰を走る一匹を見つけた。
「いるな」
「この辺はね」
ミレーナはしゃがまずに答えた。
フィナも、もう手袋を外して風を確かめてはいない。ルアンが見る導灯も、いつも仕事で見慣れている間隔に戻っていた。
分岐の近くだけが、本当に違っていたのか。それとも四人が朝から異変の話をしていたせいで、普段なら気に留めないことまで拾ったのか、今の時点では分からなかった。
ルアンはそのどちらとも決めずに歩いた。
昼を少し過ぎた頃、四人は探索者組合へ戻った。
受付へ三枚の案内札を置くと、ゴードは一枚ずつ表裏を確認した。ミレーナは外してきた金具も横へ並べ、一本目だけさびが進んでいたことを説明する。
「仕事の方は問題なしだな」
ゴードが札を脇へ置く。
ルアンは頷いた。
「それとは別に、気になった場所があります」
ゴードは机の上から地図を引き寄せた。すぐに理由を尋ねるのではなく、「どこだ」とだけ言って広げる。
ミレーナが先に分岐の位置を示した。
そこからは四人が、自分で見たものだけを順に話した。セインは近づくにつれて魔物の姿が少なく感じたことを伝え、ミレーナは岩鼠の足跡が分岐の奥から外へ向かっていたことを説明する。フィナは奥から弱い風が流れ続けていた場所を示し、ルアンは最後に二基の導灯が普段より近く見えたことと、距離は測っていないことを話した。
ゴードは聞きながら、地図の上へ小さな印を入れていった。魔物を最後に見た辺り、足跡を見つけ始めた場所、フィナが風をはっきり感じた位置、分岐の中に見えた二基の導灯。同じ道について話しているのに、四人の指が止まる場所は少しずつ違っていた。
「中には入ってないな?」
ゴードが顔を上げる。
「入ってません」
「本当だな」
「本当です」
ルアンが続けて答えると、ゴードは眉を寄せた。
「お前だけに聞いてねえよ」
後ろでセインが声を漏らして笑い、ミレーナも呆れたように息を吐いた。フィナは何も言わなかったが、口元だけが少し上がっていたので、ルアンは納得できないまま三人を見ることになった。
ゴードは地図を畳み、管理院へ報告を回すと言った。
「向こうで必要なら測りに行くだろ。お前らは今日は戻るなよ」
「行きませんって」
またセインが笑った。
報酬の銀貨十六枚を受け取り、四人は探索者組合を出た。地上の冷たい空気へ戻ると、迷宮の中で少し汗ばんでいた首筋が急に冷え、ルアンは荷物に括りつけていた外套をほどいて羽織った。
昼を過ぎていたので、そのまま何か食べて帰ろうという話になる。セインは迷わず鉄鍋亭を挙げたが、フィナが「今日は別のところでもいいんじゃないですか」と言い、ミレーナもすぐに賛成した。
「じゃあ、どこ?」
「毎回あんたに決めさせると、量しか基準がないのよ」
「量は大事だろ」
「味も大事です」
フィナまで加わると、セインは少し真剣な顔で考え込んだ。
「じゃあ、両方ある店」
「結局、多い店に戻ってるじゃない」
四人はそんな話をしながら、大門市場へ向かった。さっきまで一つの分岐を別々の場所から見ていたのに、地上へ出れば昼飯をどこで食べるかで意見が分かれている。
組合で広げた地図には、四人が見た場所へいくつもの小さな印が残っていた。ルアンはそれを思い返していたが、隣でセインが「肉が多ければどこでもいい」と言い出し、すぐにミレーナから「どこでもよくないでしょ」と返される。
前を歩いていたフィナが振り返って笑ったので、ルアンもつられて笑い、そのまま三人と市場の人混みへ入っていった。




