↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
33/73

第33話 四人分の仕事

朝、窓を開けると雨は止んでいた。


何日も街の上に居座っていた雲はまだ残っているが、その切れ目から薄い光が落ちている。ルアンは洗って干していた仕事着の袖をつまみ、ようやく湿り気がなくなっていることを確かめてから着替えた。


階下へ降りると、月兎亭(げっとてい)の食堂には焼いたパンの匂いが漂っていた。休みの日くらい朝食を急がなくてもいいのに、いつもの時間に目が覚めてしまったせいで、まだ客は二人しかいない。


「今日は休みなんでしょ」


マーサがパンと豆の煮込みを置きながら言った。


「うん」

「じゃあ、どこ行くの」

「七番倉庫」

「休みなんでしょ」

「……うん」


同じ返事をすると、マーサは腰に手を当ててルアンを見た。


「坊や。休みって言葉、知ってる?」

「今日は仕事しないよ。少し試したいことがあるだけ」

「それを普通は仕事って言うんじゃないのかねえ」


ルアンはパンをちぎりながら首を傾げた。少なくとも給金は出ないので仕事ではないと思ったが、それを言うと話が長くなりそうだったので黙って食べた。


食事を終えて外へ出ると、石畳のあちこちに浅い水溜まりが残っていた。久しぶりに傘のいらない朝だからか、大門市場へ向かう荷車の数も多く、店先では濡れた天幕を外して干している商人もいる。ルアンは水溜まりを避けながら歩き、七番倉庫へ向かった。


倉庫の中には、数日前に整理した木箱が壁際へ積まれている。ルアンは荷物の間に少し広い場所を作り、軽く身体をほぐしてから右手を握った。


自脈(じみゃく)を使う感覚は、腕ならかなり分かるようになってきた。胸の奥にある魔力を細く引き出し、肩から腕へ通す。以前はそれだけで全身に力が入り、呼吸まで止めていたが、今は余計な場所へ力を入れずに済む時間が少しずつ増えている。


今日は、しばらく控えていた右脚への流れも、少しずつ確かめるつもりだった。


ルアンは壁に手をつき、息を吐く。腰のあたりで流れを曲げるイメージを作り、腿(もも)から膝へ、さらに下へと少しずつ魔力を送った。


足の裏が熱くなった。


次の瞬間、右脚だけが必要以上に強く床を蹴った。身体が前へ傾き、ルアンは慌てて壁へ両手をつく。積んであった空箱が一つ揺れたが、どうにか倒さずに済んだ。


「……難しいな」


腕なら動かす方向を目で確かめられるが、脚は体重まで一緒についてくる。もう一度やれば少し分かる気もしたが、右の爪先にかすかな痺(しび)れが残っていることに気づき、ルアンはその場に座った。


以前なら、もう一度試していたと思う。


痺れが消えるまで待てばいい。そう考えて、壁へ背中を預ける。


「お前、今すごい勢いで壁に突っ込んでなかった?」


入口から声がした。


顔を上げると、セインが立っていた。片手に紙袋を持ち、もう片方の手にはいつもの槍がある。紙袋からは焼いた肉の匂いがしていた。


「見てたの?」

「最後だけ。何してんの」

「脚にも通してみた」

「休みの日に?」

「休みの日だから」

「ダグさんに怒られそうな答えだな」


セインは笑いながら入ってきて、近くの木箱へ腰を下ろした。紙袋から肉を挟んだパンを取り出し、一口齧(かじ)ってからルアンの脚を見る。


「平気?」

「少し痺れたから休んでる」

「もうやらねえの?」

「今日はやめる」

「へえ」


セインが妙な顔をした。


「なに」

「いや。成長したなと思って」

「どういう意味?」

「前のお前なら『もう一回』って言ってただろ」


言われてみれば、その通りだった。


ルアンが答えずにいると、セインは満足そうにもう一口パンを齧った。褒められたのか馬鹿にされたのか分からなかったが、たぶん両方なのだろう。


ほどなくして、今度はミレーナが倉庫へやってきた。


「やっぱりいた」


入口から中を覗き、ルアンとセインを見つけるなり呆れた顔をする。


「二人とも、休みの日に他に行くところないの?」

「俺はこいつがいると思って来ただけ」

「僕は最初からここに来るつもりだった」

「どっちも大差ないわよ」


ミレーナは肩から下げていた鞄を木箱へ置いた。今日は回収用の大きな袋を持っておらず、髪もいつもより緩く結んでいる。仕事をするつもりで来たわけではないらしい。


「次の仕事、探すんでしょ?」

「うん」


ルアンは立ち上がり、脚の痺れが消えていることを確かめた。


「それなんだけど、フィナもまた行きたいって」

「フィナが?」


ミレーナがすぐに聞き返した。


セインは驚くより先に笑った。


「いいじゃん。じゃあ次も四人だな」

「ちょっと待ちなさいよ」


ミレーナがセインを止めた。


「本人が行きたいなら反対はしない。でも療院の仕事はどうするの。休みの日に来るのか、また外の仕事として来るのか、それで全然違うでしょ」

「そこはまだ聞いてない」

「装備もよ。この前は薬草を採りに行くだけだったから何とかなったけど、仕事が変われば必要なものも変わる。それに――」


ミレーナはそこで一度言葉を切った。


「フィナがいるからって、怪我しても治してもらえばいいって考え方は絶対なしだからね」


セインの表情から笑いが消えた。


「それはしねえよ」

「分かってる。でも四人で動くなら、最初に決めといた方がいい」


ルアンは二人の顔を見た。


ミレーナはフィナを連れて行きたくないわけではない。最初に聞いたのも足の速さでも戦えるかどうかでもなく、療院の仕事と装備のことだった。たぶん、次も一緒に行くなら前回と同じ扱いではいけないと考えているのだ。


「じゃあ、フィナが来ても無理しなくていい仕事を探そう」


ルアンが言うと、ミレーナは少しだけ眉を上げた。


「無理しなくていい仕事?」

「フィナがいるから受けられる仕事じゃなくて、フィナがいてもいなくても僕たち三人で受けられるくらいの仕事。その上で、四人で行けるやつ」

「……そうね」


ミレーナは少し考えてから頷いた。


「それならいいと思う」

「俺も」

「セインは最初から何でもいいって顔してたでしょ」

「俺は柔軟なんだよ」

「何も考えてないだけじゃなくて?」

「似てるけど違う」


三人で探索者組合へ向かうことになった。


雨上がりの街はいつもより明るく見えた。軒下から外へ出された商品が次々に店先へ並べられ、大門市場では濡れた木箱を拭く音や荷車を引く声があちこちから聞こえる。セインが途中で串焼きを買おうとしてミレーナに「さっき食べてたでしょ」と止められたが、それでも結局一本買っていた。


探索者組合では、ゴードが受付の奥で書類を束ねていた。


「珍しいな。今日は三人揃ってるのか」

「仕事探し」


ミレーナが言うと、ゴードは壁際の依頼札を顎で示した。


「好きなの見てこい。ただし昨日までの雨で入口近くは滑りやすい。斜路を使う仕事なら靴見て決めろよ」

「四人で行くかもしれない」


ルアンが付け加えると、ゴードの手が止まった。


「一人増えるのか?」

「フィナ」

「ああ、白樹療院の子か」


ゴードは少し考え、椅子から立ち上がった。


「だったら、これなんかどうだ」


依頼札の端から一枚を抜き取り、受付台へ置く。


内容は、中層へ入る少し手前に置かれている三つの備え箱へ、包帯や乾燥食、水袋などを運ぶ仕事だった。探索者組合が定期的に補充しているもので、途中で怪我をした探索者が使うこともあるという。


「荷物はあるが、道そのものは難しくない。三か所回って、古くなった物があれば持ち帰る。魔物が出ないとは言わんが、前にお前らが行った白鈴草の場所より少し手前だ」

「報酬は?」


ミレーナが札を見る。


「銀貨二十枚。四人なら五枚ずつ」

「荷物の重さは?」

「一人分に分けられる。水を持つ奴だけ少し重いな」

「期限は?」

「五日以内」


ミレーナは札を裏返し、細かい条件まで確認した。


セインは横から覗き込む。


「これならいいんじゃねえ?」

「悪くない。でも先にフィナの都合を聞く」

「そうだね」


ルアンも頷いた。


以前なら、仕事が見つかった時点で受けていたかもしれない。けれど四人で行くなら、一人の都合を後から合わせるのではなく、最初から四人で決めた方がいい気がした。


「今日は持ってくなよ」


依頼札へ手を伸ばしかけたセインを、ゴードが杖の先で軽く止める。


「本人に確認してから来い。明日までなら残しておいてやる」

「優しいじゃん」

「お前らが勝手に受けて、療院から苦情が来る方が面倒なんだよ」

「やっぱり優しくなかった」

「帰れ」


組合を出る頃には、雲の切れ間が少し広がっていた。


三人はそのまま白樹療院へ向かったが、仕事中のフィナを呼び出すのはやめた。受付で終わる時間だけ聞き、近くの市場を一回りしてから戻ることにする。


ミレーナはその間に革紐を二本買い、セインは今度こそ串焼きをもう一本買った。ルアンは靴屋の前で一度立ち止まったが、今履いている古い靴もまだ使えるので、見るだけにした。


「買わないの?」


ミレーナが聞く。


「まだ使える」

「底、減ってるわよ」

「もう少しは平気」

「またその話?」

「今日は買わないよ」


ミレーナが何か言いかけたところで、セインが笑った。


「こいつ、自分の装備になると急に財布固くなるよな」

「財布じゃなくて頭が固いのよ」


二人に言われ、ルアンは黙った。靴底を見てみると、自分が思っていたより端が薄くなっている気もした。


夕方近くになって療院へ戻ると、フィナはちょうど裏口から出てきたところだった。髪を結んでいた紐を外しかけており、三人を見つけると手が止まった。


「どうしたんですか?」


ルアンが答える前に、セインが手を上げた。


「次の仕事見つけた」

「え?」


フィナが目を丸くする。


「四人で行けそうなの」


ミレーナが続けた。


フィナは三人を順番に見たあと、最後にルアンへ視線を戻した。


「私も……一人に数えられてるんですか?」

「うん」


ルアンは頷いた。


「また行きたいって言ってたから」


フィナは何も言わなかった。ただ、少しだけ目を伏せ、それから小さく息を吐いた。


「行きます」


返事は、前よりずっと早かった。


「ただし」


ミレーナがすぐに口を挟む。


「まず靴を見せて」

「靴ですか?」

「靴からよ。あと鞄と外套。それから療院の休みも確認」

「はい」

「明日でもいい?」

「はい」

「あと報酬は四等分。前みたいに療院から手当が出る仕事じゃないから、自分の分は自分でもらうこと」

「……はい」


フィナは途中から少し笑っていた。


セインが横で肩をすくめる。


「もう完全に参加する流れだな」

「流れじゃなくて、本人が行くって言ったのよ」

「同じじゃね?」

「違う」


ルアンは二人のやり取りを聞きながら、フィナを見る。


この前は、三人の仕事にフィナが一緒についてきた。今度は最初から、四人で行く仕事を選んだ。


七番倉庫へ戻ったら、荷物を置く場所をもう一つ空けておこうと思った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。