第31話 六枚ずつ
翌朝、ルアンは寝台から起き上がろうとして、腰のあたりに鈍い痛みを感じた。怪我というほどではない。昨日、慣れない姿勢で白鈴草を掘り続け、そのあと二人分の荷物を背負って歩いたせいだろう。
足元を見ると、昨夜洗った靴が窓際に置いてある。泥は落ちたものの中まで完全には乾いておらず、指を入れると革の奥がひんやりしていた。これで一日歩くのは嫌だったので、今日は古い方の靴を履くことにした。
階下へ降りると、マーサが床を掃いていた。ルアンの歩き方を見るなり、箒を止める。
「腰?」
「ちょっとだけ」
「昨日は何したのさ」
「薬草を掘ってました」
「薬草って腰までやるのかい」
「二十株あったので」
「何でもやりすぎるねえ、坊やは」
今回は自脈も使っていないし、無茶をした覚えもなかったので、少し不本意だった。けれど椅子へ座った時に腰がもう一度重くなり、ルアンは黙って朝食のスープへ手を伸ばした。
管理院へ着くと、ダグにも同じことを言われた。
「どうした、その歩き方」
「筋肉痛です」
「何やった」
「薬草採取」
「薬草に負けたのか」
「負けてないです」
ダグは笑いながら今日の点検表を渡した。幸い午前中は浅層の短い巡回だけで、重い交換部材を持ち歩く必要もない。ルアンが少し安心していると、それを見透かしたように「今日は走るなよ」と付け足された。
「走る予定ないですよ」
「予定がなくても走るだろ、お前は」
「それは状況によります」
「その言い方する奴が一番信用できねえんだよ」
最近、自分に対する周囲の信用が妙な方向へ下がっている気がする。
午前の仕事を終え、昼過ぎに探索者組合へ向かうと、セインとミレーナはもう受付の前にいた。ミレーナの爪の隙間には昨日の土がまだ少し残っている。かなり洗ったらしく手から石鹸の匂いがしたが、細い根を扱っていたせいか、指先には小さな擦り傷もいくつかできていた。
「遅い」
「仕事だったんだから仕方ないでしょ」
「俺も今来たとこ」
「セインは呼んでない」
ゴードが奥から布袋を一つ持ってきて、三人の前へ置いた。机へ下ろした時に、中で硬貨がまとまって触れ合う音がする。
「白樹療院から確認済みだ。二十株全部良品。報酬、銀貨十八枚」
「十八枚」
ミレーナの顔がほんの少し明るくなった。
ゴードが袋を開け、銀貨を机へ並べる。ミレーナは受け取る前に枚数を目で追い、それから一枚だけ手に取って表裏を確かめた。
「何見てんの?」
「削れてないか」
「銀貨って削れるの?」
「端を少しずつ削って、その銀を集める奴がいるのよ。見た目じゃ気づきにくいくらいにね」
「そんなことする人いる?」
「いるから見るの」
セインは感心したように銀貨を一枚持ち上げ、しばらく眺めてから元へ戻した。たぶん何を確認すればいいのかは分かっていない。
「道具代は?」
ルアンが聞くと、ミレーナは少し考えた。
「今回はなしでいい。籠も木べらも私の道具だし、布も洗えばまた使えるから。壊したものもないし」
「じゃあ六枚ずつ?」
「そうね」
ミレーナが銀貨を三つの山へ分ける。
六枚、六枚、六枚。
ルアンは自分の前に置かれた硬貨を見て、仕事として迷宮へ入って稼いだ報酬なのだと、そこでようやく実感した。
「フィナの分は?」
口にすると、ミレーナはすぐに答えた。
「あの子は白樹療院の勤務で来てたから、こっちとは別。昨日、療院にも確認したけど、外へ出た分の手当もつくって」
「そこまで聞いたの?」
セインが目を丸くする。
「働いたんだから、出なかったらおかしいでしょ」
「でも俺たちの依頼についてきたんだし、一枚くらい分けてもよくない?」
「それは違う。私たちが勝手に払ったら、療院が払うべき仕事までこっちが引き受けることになるでしょ」
「難しいな」
「難しくない。働かせたところが払うの」
セインはまだ完全には納得していない顔だったが、それ以上は言わなかった。
ルアンには、ミレーナの言っていることが何となく分かる。フィナに銀貨を渡すこと自体は親切に見えるが、それで彼女の仕事の値段を決めるのは、自分たちではないのだろう。
報酬を受け取ったあと、セインはそのうち一枚を指で弾いた。
「飯行こうぜ」
「いきなり使うの?」
「稼いだんだからいいだろ」
「別に駄目とは言ってないわよ」
「珍しいな」
「何が?」
「止めないんだ」
「食事に使う金まで止めたことないでしょ」
ミレーナは本気で心外そうだった。
結局、夕方に鉄鍋亭で食べることだけ決めて、いったん三人は別れた。セインは槍の革紐を交換しに行くと言い、ミレーナは市場で採取籠に使う新しい布を見たいらしい。
ルアンも一度月兎亭へ戻ろうとしたが、歩くたびに靴下の踵がずれるのが気になり、途中で衣料品を並べている露店へ寄った。
今履いているものは、かなり薄くなっていた。二足並んだ靴下の値札を見ると、一方は安く、もう一方はその倍近い。
「そっちはやめといた方がいいわよ」
背後から声がした。
振り返ると、別れたはずのミレーナが立っている。手にはまだ何も買っていなかった。
「なんで?」
「編み目が粗い。何回か洗ったら伸びると思う」
「こっち、高いよ」
「倍長く使えたら同じでしょ」
ミレーナは高い方を手に取り、指で生地を引っ張ってから裏返した。
「踵もこっちの方が厚い。迷宮歩くなら、私ならこっち」
「値切らないの?」
「値段は妥当だと思う」
「見ただけで分かる?」
「大体は」
店主が横で笑っていた。
「姉ちゃん、うちで働くか?」
「給料次第」
即答だった。
ルアンは少し迷った末、高い方を二足買った。財布から銀貨を出すほどではなかったが、普段ならたぶん安い方を選んでいただろう。受け取った靴下は思ったより厚く、手にすると確かに丈夫そうだった。
「ありがと」
「別に。安いの買って三日で穴あけられたら、見てるこっちが腹立つだけ」
「三日は早くない?」
「あんたならやりそう」
否定しようとして、迷宮で毎日歩く距離を考えると自信がなくなった。
露店を離れたところで、ミレーナは白樹療院の方向へ曲がった。籠に使う布を買う店がそちらにあるらしいので、ルアンも途中まで一緒に歩くことにした。
療院の前を通ると、中庭に白い布が何列も干されていた。傷口を拭くための布や寝台に使う敷布らしく、昨日の雨で洗濯ができなかった分をまとめて干しているらしい。その間で、フィナが大きな籠を抱えながら一枚ずつ布を広げていた。
「あ」
フィナもこちらに気づいた。
「こんにちは」
「仕事中?」
「はい。昨日洗えなかった分が多くて」
風が吹くたび、干したばかりの白い布が一斉に膨らむ。フィナは顔へ掛かりそうになった一枚を避けながら、抱えていた籠を足元へ置いた。
「昨日の脚、大丈夫?」
「私のですか?」
「うん」
「もう平気です。少し変な感じは残ってますけど」
フィナは自分の腿を軽く押した。昨日治療した探索者が傷を負っていた場所と同じだった。
「あの人は?」
「今日には歩けるそうです。でも療院の先生には、二日は無理するなって言われてました」
「ちゃんと聞く人だといいね」
「ルアンよりは聞くんじゃないですか」
横でミレーナが笑う。
「なんで僕が比べられるの?」
「実績があるからでしょ」
「それ、昨日も言われた」
フィナまで少し笑った。
ミレーナは笑いが収まると、ふと思い出したようにフィナを見る。
「そうだ。昨日の外勤、ちゃんと勤務扱いになってる?」
「え?」
「中層まで行った分。手当も出るって聞いたけど」
「はい。今朝、先生から聞きました」
「ならいい」
フィナが不思議そうに瞬きをした。
「それを聞きに来たんですか?」
「違うわよ。たまたま通っただけ」
「ミレーナ、昨日確認してたよ」
「余計なこと言わなくていいの」
肘で軽く押され、ルアンは半歩横へずれた。
フィナは少し驚いたようにミレーナを見ていたが、やがて小さく頭を下げた。
「ありがとうございます」
「私に言わなくていいでしょ。働いた分なんだから」
ミレーナはそう返してから、布を買う店の方角を確認した。
「じゃあ私、行くから。夕方、鉄鍋亭だから忘れないでよ」
「分かってる」
「時間もね」
「それはセインに言って」
ミレーナが歩き去るのを見送り、ルアンも戻ろうとしたところで、フィナが「あの」と呼び止めた。
「昨日、皆さんの仕事の邪魔になってませんでしたか?」
「全然」
「でも、帰りは荷物まで持ってもらって」
「あれは治療したあとだったから。それに、フィナがいなかったらあの人もっと大変だったと思うよ」
フィナは返事をせず、風に揺れる布の端を掴んだ。洗ったばかりの布から、石鹸と薬草の混じった匂いが漂っている。
「迷宮は、どうだった?」
ルアンが聞くと、フィナは少し考えた。
「疲れました」
「うん」
「足も痛くなりましたし、穴鼠も思ったより近かったです」
「うん」
「でも……」
そこで言葉を止め、干した布の皺を両手で伸ばす。昨日の中層を思い返しているのか、目線はルアンではなく白い布の向こうへ向いていた。
「思っていたほど、嫌ではなかったです」
ルアンは少し意外に思った。
「また行けそう?」
「それは、まだ分かりません」
フィナはそう言ってから、ほんの少し笑った。
「でも、白鈴草なら前より上手に掘れると思います」




