第28話 三人で行く仕事
白樹療院から戻った日の夕方、ルアンは七番倉庫の床に座り、自分の右腕を眺めていた。
診察では、自脈を使ってもいいと言われた。ただし限界まで試すのは禁止。痛みや痺れが出たら即座にやめること。治療師からは「半分くらいにしてください」と言われたので、十三秒の半分なら六秒くらいだろうと考えたら、そこまで正確に数えなくてもいいとも言われた。
どうすればいいのか、少し分からない。
それでも、使っていいという許可が出たこと自体は嬉しかった。ルアンは床へ置いた蝋燭に目を向け、右手を膝の上へ置く。魔力を通す場所を指先までに絞り、ゆっくり息を吐いた。
「一、二、三……」
指先が淡く光り始める。以前より魔力の流れを捉えやすくなっている気がしたが、四を数えたところで右腕の奥にかすかな熱が生まれたので、そこで止めた。
光が消える。
腕を曲げ伸ばししてみても、痺れはない。痛みも残っていなかった。
「四秒」
少し物足りない。もう一度試したい気持ちはあったが、今日は短時間だけ、と念を押されたばかりだ。右手を握ったり開いたりしながら迷っていると、倉庫の扉が勢いよく開いた。
「いた!」
「何?」
「仕事見つけた」
「早くない?」
入ってきたのはセインだった。その後ろからミレーナも姿を見せたが、こちらはセインほど嬉しそうではない。
「見つけたのはこいつ。まだ受けるとは言ってないから」
「いいじゃん、受けようぜ」
「依頼書を最後まで読んでから言って」
「読んだよ」
「報酬のところだけでしょ」
「一番大事だろ?」
「依頼する側にとってはね」
ルアンは思わず笑った。三人で迷宮へ行こうという話はしていたが、本当に仕事を探してくるとは思っていなかったし、最初に動いたのがセインだったことも少し意外だった。
「どんな仕事?」
「採取」
「何を?」
「白鈴草」
「それだけじゃ分からないでしょ」
ミレーナがセインの手から紙を奪い、ルアンへ渡した。
依頼主は白樹療院。中層東南部に生える薬草、白鈴草を二十株採取し、根を傷めずに持ち帰ること。採取場所は管理院の地図にも載っている区域で、危険度は中程度。報酬は銀貨十八枚と書かれている。
「三人で十八枚?」
「成功したらね」
ミレーナはそこを強調した。
「白鈴草は根が細いの。途中で切ったら買い取ってもらえないし、葉を潰しても減額。採るだけなら簡単だけど、持って帰るまでが仕事」
「知ってるの?」
「前に別の採取で見たことある。私は白鈴草そのものは採ったことないけど」
ルアンは依頼書を読み直した。危険度だけなら、自分でも行ける場所だ。地図を見ると、普段の導灯点検で近くまで歩いたこともある。
「ここなら行けそう」
「だろ?」
「魔物は?」
「灰角鹿と小型の穴鼠が出るくらい。群れに突っ込まなければ問題ない」
「お前は突っ込むでしょ」
「突っ込まねえよ」
「この前も似たこと言ってた」
「それは状況が違う」
ミレーナに疑わしそうな目を向けられ、セインは不満そうに眉を上げた。
ルアンは二人のやり取りを聞きながら、もう一度依頼書へ目を落とす。三人で十八枚なら、一人六枚。必要な消耗品を引けば手元に残る額はもう少し減るだろうが、自分たちで選び、自分たちで受ける最初の仕事としては悪くない。
「これにしようか」
二人が同時にルアンを見る。
「僕は行きたい」
「ほら」
「まだ決めてない」
ミレーナはそう言ったが、依頼書を取り返そうとはしなかった。
翌朝、三人は探索者組合へ向かった。受付にいたゴードは依頼書を受け取ると、まずルアンを見て、それからセイン、最後にミレーナへ視線を移した。
「珍しい組み合わせだな」
「そう?」
「お前ら、組んだのか?」
「まだ」
「まだって何だ」
「三人で仕事するだけ」
ルアンが答えると、ゴードは杖の頭を指で二度叩いた。
「それを世間じゃ組んだって言うこともあるんだがな」
「報酬分配まで決めてから言って」
ミレーナが横から口を挟む。
「そこは決めてないのか?」
「均等でいいだろ」
「採取は私の仕事が多いんだけど」
「じゃあ俺が魔物全部やる」
「そういう分け方すると揉めるのよ」
「じゃあどうすんだよ」
早くも話が怪しくなってきた。ゴードは面白そうに三人を眺めていたが、やがて依頼書を机へ置き、最初なら均等でいいと助言した。消耗品代だけを先に共通分として引き、怪我をした時の治療費をどう扱うかも決めておいた方がいいらしい。
「怪我する前提なんだ」
「迷宮入るんだろ?」
言われてみれば、その通りだった。
三人で相談した結果、今回は報酬から共通の消耗品代だけを引き、残りを均等に分けることになった。個人の武器や装備の修理は各自負担。治療費については事故なら共通、勝手な行動で怪我をした場合は本人負担、とミレーナが言い出した。
「勝手な行動って誰のこと?」
「二人とも」
「僕も?」
「特にあんた」
「俺じゃないのかよ」
「セインは見れば分かるから止めやすいの。ルアンは普通の顔して勝手なことするでしょ」
反論できないルアンを見て、ゴードが声を殺して笑った。
「それと、この依頼は少し面倒がある」
「何?」
ルアンが尋ねると、ゴードは奥の部屋へ顔を向けた。
「採取方法について、依頼主から説明がある。白樹療院の人間が来てるから、聞いてから受けろ」
「説明が必要なの?」
「最近、傷んだ白鈴草を持ち込む奴が多かったらしい。見た目が平気でも根を潰すと薬効が落ちるんだとさ」
そう言って、ゴードが奥へ声をかけた。
「白樹療院の人、三人来たぞ」
少し間を置いて返事があり、やがて一人の少女が姿を見せた。淡い金色の髪を後ろでまとめ、今日は白い治療衣ではなく、灰色の外套を羽織っている。
ルアンは目を瞬いた。
フィナも、ほとんど同じような顔をした。
「……ルアン?」
「フィナ」
隣でセインが二人を見比べる。
「知り合い?」
「療院で」
「怪我人です」
「その言い方だと僕がずっと通ってるみたいじゃない?」
「二回会ってます」
「二回なら結構通ってる方じゃね?」
セインまで加わってきて、フィナは何と返せばいいのか分からないような顔をした。やがて手にしていた小さな鉢を机の上へ置く。
「これが白鈴草です」
仕事の話になった途端、声が少し落ち着いた。ミレーナが鉢へ顔を近づける。
「根ごと?」
「はい。根の先に細い毛みたいな部分があるので、そこを切らないようにお願いします。薬に使う時は、根から葉まで全部使います」
「土ごと掘る?」
「それが一番安全です。ただ、周りに別の株がある時は、根が絡んでいることがあります」
フィナは鉢の土を指先で少し除け、白く細い根を見せた。一本の太い根ではなく、髪の毛ほどの細いものが何本も広がっている。
「このあたりまで残っていれば大丈夫です。でも、ここより短くなると使えません」
「思ったより面倒ね」
「はい。だから、二十株全部きれいに採ろうとすると時間がかかると思います」
ミレーナは何度か頷きながら根の広がり方を見ている。さっきまで報酬の分け方で揉めていた人とは思えないほど真剣だった。
セインも横から鉢を覗き込む。
「俺は何すればいい?」
「採取中に周りを見てればいいんじゃない?」
「それだけ?」
「大事でしょ」
「もっとこう、俺にも採れるやつないの?」
「抜いたら駄目ですよ」
「抜くつもりはねえよ」
「今、少し抜きそうでした」
「触っただけだって」
「触らないでください」
静かな声で釘を刺され、セインは素直に手を引っ込めた。ルアンは笑いをこらえながら、鉢の根を覗き込む。
「フィナ、詳しいんだね」
「療院で使うものなので。採取はしたことありませんけど、処理は何度も見てます」
「じゃあ、悪い株も分かる?」
「持って帰ってきてもらえれば分かります」
その時、奥の部屋から年配の女性治療師が顔を出した。
「フィナ、説明終わった?」
「はい。今、採取方法を」
「ちょうどいいわ。あなたも行ってきなさい」
フィナの表情が止まった。
「……私もですか?」
「一度現地で見ておいた方がいいでしょう。白鈴草がどんな場所に生えるか知らないまま、処理だけ覚えても仕方ないもの」
「でも、私は探索者じゃありません」
「中層の指定区域までよ。護衛三人いるんでしょう?」
三人、と言われて、ルアンたちは互いの顔を見た。まだ自分たちでもこの組み合わせを何と呼べばいいのか決めていないのに、いつの間にか護衛としてまとめられている。
フィナも三人を順番に見た。
「……大丈夫なんですか?」
「何が?」
「皆さんで」
「たぶん」
最初に答えたのはセインだった。
「たぶんなんですか」
「一昨日は生きて帰ってきた」
「安心できる情報が一つもないです」
「余計なこと言わないで」
ミレーナが額を押さえた。
「普通に行って、普通に採って、普通に帰ってくる仕事だから」
「それなら大丈夫そうですね」
フィナは頷いたが、その言い方だと、ルアンたちは普段あまり普通に帰ってこないと思われているようにも聞こえる。
年配の治療師はすでに話が決まったものと思ったらしく、フィナへ外套と小さな薬鞄を持っていくよう指示し、そのまま奥へ戻っていった。残されたフィナはしばらく扉の方を見ていたが、断るつもりはないらしい。
「迷宮、入ったことある?」
「浅いところなら何度か。中層はありません」
「じゃあ最初はゆっくり行こう」
ルアンがそう言うと、フィナは少しだけ眉を寄せた。
「ルアンに言われると不安です」
「どうして?」
「限界まで魔力を使って運ばれてきた人なので」
「それは今回やらないよ」
「本当ですか?」
「今日は六秒くらいまで」
「時間の問題じゃないです」
横でミレーナが吹き出し、セインもつられて笑った。ルアンだけは何がおかしいのか分からず、二人の顔を順番に見る。
こうして、三人で行くはずだった最初の仕事に、予定にはなかった一人が加わることになった。白鈴草を二十株、根を傷めずに採取して持ち帰る。中層まで往復し、日が暮れる前にはアルネスへ戻る。依頼書だけを見れば、それほど難しい仕事ではない。
ルアンは机の上の鉢をもう一度見た。白い小さな花が、誰かの話し声に揺らされるようにかすかに震えている。
四人で迷宮へ入るのは、これが初めてだった。




