第27話 上手だからじゃない
翌朝、ルアンは仕事着に着替えたところでダグに呼び止められた。
「どこ行く気だ」
「南側の点検ですけど」
「その前に療院」
「またですか?」
「昨日は怪我人についてっただけだろ。お前が診てもらったわけじゃねえ」
「もう何ともないです」
「それをお前が決めるから、十三秒後に歩けなくなるんだよ」
言い返せずにいると、ダグは机の上から一枚の紙を取り、ルアンの胸へ押しつけた。白樹療院宛ての診察依頼で、右腕と右脚の経過確認、自脈を使った訓練再開の可否、と書かれている。
「許可出るまで使うなよ」
「昨日も使ってません」
「偉い偉い」
「全然褒めてないですよね」
「分かるようになったじゃねえか」
朝から少し疲れた。
白樹療院へ着くと、待合室にはすでに何人か患者がいた。腕を吊った探索者、咳をしている老人、膝を擦りむいた幼い女の子。その間を白い治療衣の者たちが忙しく行き来している。
受付へ紙を出し、長椅子へ向かおうとしたところで、廊下の奥からフィナが歩いてきた。両手に薬瓶の入った木箱を抱えている。目が合うと、彼女の足がほんの少し遅くなった。
「おはよう」
「……おはようございます」
昨日までより、明らかに目が合わない。ルアンも昨日の言葉を思い出した。
“ルアンはいいですよね。才能がなくて。”
別に怒ってはいない。ただ、言った本人の方が気にしているらしい。フィナはそのまま横を通り過ぎかけ、三歩ほど進んだところで立ち止まった。
「あの」
「うん」
「昨日のことなんですけど」
「才能がないってやつ?」
「言わないでください」
「ごめん」
「……私も、ごめんなさい」
思ったより強く止められ、近くにいた老人がこちらを見る。フィナは耳のあたりを少し赤くしながら目を伏せた。
「言ってから、ずっと後悔してました。あんな言い方するつもりじゃなかったんです」
「僕は気にしてないよ」
「普通は気にします」
「じゃあ、ちょっと気にしたことにする」
「そういうのもやめてください」
昨日より話しやすくなっているのか、余計に話しにくくなっているのか、よく分からない。ルアンが笑うと、フィナは困ったように眉を寄せた。その時、廊下の向こうから「フィナ、それ三番へお願い」と声が飛んできた。
「はい」
フィナは呼ばれた方へ返事をしてから、ルアンが手にしている診察依頼の紙へ目を留めた。
「今日は、診てもらいに来たんですか?」
「うん。右腕と右脚の経過確認。あと、訓練を再開していいか聞いてこいって」
「まだやってなかったんですね」
「みんなに止められてるから」
「みんなが正しいです」
「またそっち側だ」
「だから何側なんですか」
フィナは困ったように眉を寄せたところで、もう一度奥から名前を呼ばれた。
「今行きます!」
今度はそう返して、薬瓶の入った木箱を抱え直す。
「じゃあ、お大事に」
「まだ診てもらってないよ」
「だったら、これからお大事にしてください」
それだけ言い残し、フィナは廊下の奥へ急いでいった。
しばらくしてルアンの名前が呼ばれた。診察は思ったより短く、右腕を曲げ、右脚に力を入れ、歩いてみせる。治療師は患部を何度か押して魔力による炎症が残っていないことを確かめると、依頼書の下へ何かを書き込んだ。
「仕事は問題ありません。ただ、その自分で魔力を通すやつは、今日は短時間だけにしてください」
「短時間って、どれくらいですか?」
「限界までやらない程度」
「それが分からないから十三秒になったんですが」
「じゃあ半分」
「六秒くらい?」
「そこまで律儀に数えなくてもいいです」
治療師は呆れたように息を吐いた。
「痛みや痺れが出たら、その時点で終わり。明日何ともなければ、少しずつ戻してください」
「分かりました」
「本当に?」
「たぶん」
「そこは『はい』って言ってください」
療院では誰と話しても似たようなことを言われる気がする。
診察室を出ると、待合室の方から子どもの泣き声が聞こえた。さっき膝を擦りむいていた女の子が、母親らしい女性に抱かれたまま治療台へ座るのを嫌がっている。傷自体はひどくなく、血もほとんど止まっているが、本人にとってはそんなことは関係ないらしい。
「やだ! やだ、帰る!」
「大丈夫よ、すぐ終わるから」
「やだあ!」
母親が宥めても、治療師が声をかけても、女の子は首を振って泣き続ける。その前へフィナがしゃがみ込んだ。
「こんにちは」
「……やだ」
「まだ何もしてないです」
「治すんでしょ」
「たぶん」
「やだ!」
女の子は母親の服へ顔を押しつけた。フィナは無理に手を伸ばさず、膝から少し離れた場所にしゃがんだまま話しかける。
「痛いの、嫌ですよね」
「……うん」
「私も嫌いです」
「お姉ちゃんも?」
「はい。かなり嫌いです」
「治す人なのに?」
「治す人でも、痛いものは嫌です」
真面目な顔で答えるフィナを見て、母親が困ったように笑った。近くにいた治療師も口を挟まず、そのまま様子を見ている。
「だから、触る前に言います。今からここに触りますって。嫌だったら一回止めます」
「……ほんと?」
「はい。でも、ずっと止めてると治らないので、その時は相談しましょう」
女の子はまだ警戒していたものの、さっきほど強く母親へしがみついてはいない。フィナが手のひらを見せると、しばらく考えてから小さく頷いた。
「じゃあ、まず膝の横に触ります」
「……うん」
「ここは痛いですか?」
「ちょっと」
「次は傷の近くです。まだ魔法は使いません」
「分かった」
一つずつ確認しながら距離を縮めていくうちに、女の子の身体から少しずつ力が抜け、最後には自分から脚を差し出した。そこで初めてフィナが治癒魔法を使う。淡い光が膝を包み、赤く擦れていた皮膚がゆっくり塞がっていった。
「痛くない」
「よかったです」
「もう終わり?」
「終わりです」
泣いていた女の子が自分の膝を覗き込み、ぱっと笑った。フィナもほんの少し口元を緩める。その直後、誰にも見えないようにしたつもりなのだろう。膝へ添えていた手を引くと、指先を反対の手で強く握った。
ルアンには見えた。けれど、今度は何も言わなかった。
母親と女の子が何度も頭を下げて帰っていく。フィナは立ち上がると、使った布や薬瓶を片づけ始めた。
「フィナ」
「まだいたんですか」
「今帰るところ」
「診察は?」
「短時間なら使っていいって」
「限界まで使わないでくださいね」
「ダグさんみたいになってきたね」
「誰ですか、それ」
「僕の先輩」
「似てないと思います」
「まだ会ったことないでしょ」
フィナは首を傾げながら、使い終えた布を籠へ入れる。ルアンはさっきの女の子のことを思い出しながら、その手元を眺めた。
「さっきの、すごかったね」
「治癒ですか?」
「ううん。その前。あの子が怖がってた時、すぐ治さないで、触るところを一個ずつ教えてたでしょ」
「あれは別に……泣いたままだと危ないので」
「でも、ほかの人は最初、早く治そうとしてた」
フィナは少し黙り、籠の縁へ指をかけた。
「痛い時って、何されるか分からないのが嫌なんです。急に触られると、余計に怖いので」
「自分が分かるから?」
「……たぶん」
昨日聞いた話を、ルアンは思い出した。フィナは患者の痛みを身体で感じる。だから傷の場所が細かく分かり、普通より正確に治せる。それを周りは「才能」と呼んでいる。
けれど、さっき女の子を泣き止ませたものに魔力は使われていなかった。
「フィナが治癒上手いのって、才能があるからだけじゃないんだね」
籠へ伸ばしかけていた手が止まった。
「それ、褒めてますか?」
「かなり」
「分かりにくいです」
「そう?」
「みんな、魔法の方を褒めるので」
「そっちもすごいと思うよ」
「じゃあ同じじゃないですか」
「でも、あの子が泣き止んだのは、魔法使う前だったよ」
フィナは返事をせず、また籠へ目を落とした。耳のあたりだけが、さっきより少し赤くなっている。
廊下の向こうから再び名前を呼ばれた。
「フィナ、四番お願い!」
「はい!」
反射的に返事をし、籠を抱え上げる。
「また呼ばれた」
「仕事なので」
「痛いのに?」
「……今日は軽い人が多いですから」
昨日なら、その答えの先まで聞こうとしたかもしれない。ルアンは何も言わずに頷いた。
フィナは数歩進んだところで立ち止まり、自分から振り返った。
「あの。昨日のこと、本当にごめんなさい」
「うん」
「怒ってないんですか?」
「怒ってないよ」
「どうして?」
「フィナが僕より大変そうだったから」
少しの間、フィナは何も言わなかった。ルアンの顔を見たまま、何とも言えないような表情をしている。
「そういうこと、普通に言うんですね」
「変だった?」
「少し」
フィナの口元がわずかに緩んだ。
「でも……ありがとうございます」
今度はちゃんと目を合わせてから、フィナは廊下の奥へ戻っていった。
ルアンも出口へ向かう。玄関脇では、さっきの女の子が治った膝を何度も曲げ伸ばしし、嬉しそうに母親へ見せていた。ルアンはその姿を見てから、一度だけ廊下の奥へ振り返る。
フィナの姿は、もう見えなかった。
治癒が上手いのは確かだ。けれど、あの少女の良さは、たぶんそこだけじゃない。




