↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
24/73

第24話 今日は、ちょっと静かだな

狭い通路の入口まで戻ると、ハルトは腕を組んで待っていた。ルアンの姿を確認した瞬間だけ、少し安堵したようにも見えたが、それはほんの一瞬だった。すぐに眉間へ深い皺(しわ)が寄り、隣にいた二人の探索者まで何となく距離を取る。


「三十歩」

「はい」

「何歩行った」

「……数えてません」

「声が届く範囲」

「途中から届かなくなりました」

「何か見えても近づくな」

「近づきました」

「異常があったら、調べる前に戻る」

「……戻りませんでした」


ハルトはしばらく何も言わなかった。ルアンも、今回は何を言っても自分が不利になることくらいは分かっている。


「俺が言ったこと、一つも守ってねえな」

「……はい」

「でも生きてる」

「お前は黙ってろ。一緒に追いかけた側だ」

「はい」


セインまで素直になった。ミレーナは少し離れた場所から二人を見ていたが、助け舟を出してくれる気はなさそうだった。


ハルトは深く息を吐き、ルアンの頭から足元まで確認した。


「怪我は?」

「ありません。魔力を使った反動が少し残ってます」

「少しって?」

「今は普通に歩けます」

「あとでちゃんと診てもらえ」


怒られるのは当然だった。むしろもっと強く叱られると思っていたので、ルアンは素直に頷いた。


ハルトは次にセインとミレーナを見る。


「お前らも怪我なし?」

「ない」

「私も」

「分かった。説教は帰ってからだ。まず帰る」


その一言で、全員の顔つきが少し変わった。赤爪猿(あかづめざる)を退けたからといって、帰り道が見つかったわけではない。地図にない通路は残り、元の経路も途中から形を変えている。


ルアンはハルトへ、奥で確認した導灯(どうとう)の状態を説明した。番号札がなかったこと、内部の魔力が一定方向へ偏っていたこと、その方向がほかの導灯とおおむね一致していたこと。最後に見た灯りでは、その偏りがさらに強くなっていたことまで、見たものと推測を分けながら話す。


ハルトは途中で口を挟まず、最後まで聞いた。


「つまり、その流れを追えば帰れるかもしれない」

「はい。ただ、そうだとはまだ言えません」

「少しは学習したな」

「はい」

「一人で行くなって方も学習しろ」

「……はい」


その横でセインが小さく笑った。ルアンが見ると、すぐに目を逸らす。


ハルトは床へ地図を広げた。今いる場所は書かれていないが、方角だけなら確認できる。導灯の魔力が偏っている方向は、やはり南西寄りだった。


「このまま来た道を戻っても、既知の経路には出られない可能性が高い。なら、今ある手がかりを使う。ただし今度は全員一緒だ」


ハルトは地図を畳み、それぞれに役割を振った。


「ルアンは俺の横。導灯だけ見ろ」

「はい」

「勝手に先行するな」

「はい」

「セイン」

「ん?」

「後ろ見ろ。魔物が来たら知らせろ。追いかけるな」

「分かった」

「ミレーナは足元だ。危ない地面があったら止めてくれ」

「了解」


ほんの少し前なら、ただ同じ場所に居合わせただけの顔ぶれだった。それぞれ別の仕事があり、別の目的で迷宮へ入っている。それでも今は、誰が何を見るのかが自然に決まっていた。


六人は再び歩き始めた。先頭はハルトで、そのすぐ隣をルアンが歩く。導灯を見つけるたびに立ち止まり、内部に残る魔力の偏りを確かめる。ミレーナは前方の地面や壁際を見て、セインは最後尾から時々振り返りながら周囲を警戒していた。


最初の分岐では、導灯の流れは右を示した。二つ目では左。そのたびにハルトが白墨で印を残し、全員で進んでいく。


途中、床に見慣れない黒い筋が走っている場所でミレーナが足を止めた。全員が少し身構えたが、彼女はしばらく観察してから首を振る。


「これは大丈夫。古い水の跡」

「何でも分かるわけじゃないんだ」

「当たり前でしょ」

「ちょっと安心した」

「何で?」

「ミレーナだけ全部分かったら、僕とセインいらなくなるから」

「俺は魔物倒せるよ」

「じゃあ僕だけ?」

「導灯見るんでしょ」

「そっか」

「今その話する?」

「歩いてるだけだし」

「迷ってる最中だけどね」

「帰る途中だよ」

「まだ帰れてない」


その通りだった。それでも、さっきまでより空気は軽くなっていた。


しばらく進むと、導灯の間隔が少しずつ狭くなってきた。光も安定し始め、完全に消えているものは見かけなくなる。


ルアンは次の一基を調べ、外殻(がいかく)を閉じた。


「今までより強いです」

「偏りは?」

「あります。でも小さくなってます」

「近づいてるってことか」

「何に近づいてるかは分かりません」

「よし。その調子だ」


少し褒められた気がした。


さらに進むと道幅も広がり、天井も高くなってきた。ところどころ壁には古い金具が残っており、そのうち一本に錆びた小さな板が取り付けられているのをミレーナが見つけた。


「何か書いてある」


ハルトが携帯灯を近づけ、表面の汚れを布で拭う。そこから現れた数字を見て、ルアンは一瞬だけ息を止めた。


四十二。


「北西四十二号……?」


管理院の地図を開く。北西四十二号導灯は確かに存在しており、中層北西区域の南端に設置されている。中層詰所までなら、通常の経路で三十分ほどの場所だった。


ただし、地図上の位置とは合わない。


「番号、本物か?」

「少なくとも管理院の刻印だ」


ハルトが金属板を確かめる間に、ルアンも導灯を調べた。外殻も配線も見慣れたもので、何より番号札がついている。そのことが、こんなにも安心できるとは思わなかった。


「これ、いつもの導灯です」

「出力は?」

「正常です。地面からの補助魔力も問題ありません」


内部の魔力にも、これまでのような強い偏りはなかった。ハルトは地図と周囲を見比べ、しばらく考える。


「位置はおかしい。でも四十二号まで来たなら、ここから先は通常系統につながってる可能性が高い」


今度は誰もすぐには喜ばなかった。一度、地図が役に立たなくなる経験をしている。まずは確かめる。それが全員の共通した反応になっていた。


四十二号から先へ進むと、五十歩ほどで次の導灯が見えた。四十三号。その先には四十四号があり、どちらも正常に灯っていた。通路の形も管理院の地図と一致している。


「戻ったな」


ハルトの言葉を聞いて、ようやく全員の緊張が緩んだ。セインが大きく息を吐き、真っ先に腹を押さえる。


「腹減った」

「最初にそれ?」

「帰れるって分かったら急に」

「さっきも減ってたけど」

「ずっとじゃん」


ルアンも笑った。地図に載っている道を歩く。それだけのことが、今日はずいぶんありがたく感じられた。


中層詰所へ戻った頃には、出発してからかなり時間が経っていた。詰所では管理院の職員が何人も待っており、予定時刻を過ぎても戻らなかったため、捜索班を出す準備まで始まっていた。


その中にはダグもいた。


ルアンが入口へ入ると、ダグはこちらを見た。


「帰ったか」

「はい」


それだけだった。もっと何か言われると思っていたが、ダグはまずハルトから状況を聞き、負傷者がいないことを確認してからルアンの前へ来た。


「腕」

「大丈夫です」

「出せ」


言われた通り右腕を差し出す。握る、開く、肘を曲げる。次に脚の状態も確認され、最後に呼吸を見るように顔を覗き込まれた。


「身体に魔力流したな」

「はい」

「どれくらい」

「十三秒です」

「聞き方間違えた。何回だ」

「一回です」

「なら今日はもう使うな」

「はい」


ダグはそこで一度黙り、ルアンを見る。


「で?」

「……で?」

「何やった」

「一人で少し先を見に行きました」

「少しじゃない」


ハルトが横から訂正する。


「……一人で先を見に行きました」

「理由」

「導灯の状態を見られるのが、僕だったからです」

「それで?」

「僕が行った方が早いと思いました」

「結果」

「魔物に挟まれました」

「誰に助けられた」

「セインとミレーナに」


ダグは短く息を吐いた。


「じゃあ覚えとけ。一人でできることと、一人でやるべきことは違う」

「……はい」


使えることと、安全であることは違う。そこに今日、新しい一つが加わった。


できることと、やるべきことも違う。


「報告書」

「何枚ですか?」

「今のところ三枚」

「増えるんですか?」

「内容次第だな」

「減ることは?」

「ない」


少し離れたところでセインが笑っていた。今度はミレーナまで笑っている。ルアンだけは笑えなかった。


その後、六人は順番に聞き取りを受けた。道が変わっていた場所、番号のない導灯、赤爪猿、薄皮石(うすかわいし)、そして北西四十二号へつながった経路まで、見たことを一つずつ確認していく。


管理院は北西区域の閉鎖範囲を広げることになった。原因はまだ分からない。通路が本当に変化したのか、もともと存在していた別の経路が何らかの理由でつながったのか、それすら確定しておらず、四十二号の位置が地図と合わなかった理由も含め、翌日から改めて測量班が入るという。


ルアンは自分の報告書にも、分からないことを分からないまま書いた。


ただ一つ、確かなことがあった。


地図にない道は、本当にあった。


管理院を出る頃には、空が夕方の色に変わっていた。セインとミレーナも探索者組合への報告を終えており、大門前でまた顔を合わせた。


三人とも朝よりずっと汚れていた。セインの上着には赤爪猿の爪でついた細い傷があり、ミレーナの膝には白い石灰砂が残っている。ルアンの服も、壁へぶつかった肩のあたりが灰色になっていた。


セインが自分の袖を見る。


「今日、結局依頼できてないんだよな」

「裂牙犬の調査?」

「そう。途中で道なくなるし」

「私は水晶蟻の抜け殻、一個も採ってない」

「僕も普通の点検、途中で終わった」


三人とも、それぞれ仕事へ行ったはずだった。誰一人として予定通りの一日になっていない。


少しの間、顔を見合わせたあと、セインが笑った。


「今度、普通に迷宮行こうぜ」

「普通に?」

「道が消えないやつ」

「それ、選べるの?」

「たぶん」

「私は仕事ならね」

「遊びじゃ駄目なの?」

「何で危険な場所にタダで行かなきゃいけないの」

「じゃあ依頼受ければいいじゃん」


セインが簡単に言う。


ルアンは少し考えた。探索者組合には、三人程度でも受けられる仕事がある。魔物討伐だけではなく、素材回収や浅い区域の確認依頼もあったはずだ。


「じゃあ、仕事探す?」

「いいじゃん」

「報酬分配は先に決めるからね」

「まだ何も決まってないよ」

「そこを先に決めるの」


ミレーナらしかった。


いつ行くのか、何の依頼を受けるのか、誰が申し込むのか。そんなことは何一つ決まっていなかった。


それでも三人は、「また」と言って別れた。


その夜、ルアンは月兎亭(げっとてい)で夕食を食べた。マーサには服の汚れを見ただけで何かあったことを見抜かれたが、詳しく話す前に「まず食べな」と皿を置かれた。煮込みと黒パン、それに今日は卵までついている。


「卵、頼んでないけど」

「生還祝い」

「この前もそんな感じじゃなかった?」

「生還しすぎなんだよ、坊や」

「僕もそう思う」


食事を終えたあと、本当ならそのまま部屋へ戻るつもりだった。身体には疲れが残り、ダグにも今日はもう身体へ魔力を流すなと言われている。それでも足は、いつもの道へ向かった。


七番倉庫。


扉を開けると、見慣れた暗い空間が広がっていた。積み上げられた古い木箱、使われなくなった導灯部品、壁際に置いた訓練用の袋。昨日までと何も変わっていない。


ルアンは携帯灯を置き、いつもの場所へ座った。今日は訓練をするつもりはなく、身体の中へ魔力を通すこともせず、ただ壁に背を預ける。


ここへ来ると、いつも静かだった。


一人で失敗し、一人でもう一度試す。何秒続いたかを考え、翌日になればまた試す。それが嫌だったことはないし、むしろこの静けさは好きだった。


ところが今日は、倉庫が妙に広く感じられた。


セインの声がない。ミレーナの呆れた声もない。誰かが床を見ろと言うことも、十三秒で十分だと言うこともない。


昨日までなら、これが普通だった。


なのに今日は、少しだけ違う。


ルアンは薄暗い倉庫の中をしばらく眺めてから、誰に聞かせるでもなく呟いた。


「今日は、ちょっと静かだな」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。