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第17話 槍は迷わない

中層勤務を始めてから、一週間が過ぎた。


地下湖へ続く通路にも少しずつ慣れ、最初の頃ほど周囲を見回さなくなった。どの辺りから石床が滑りやすくなるのか、どこで工具袋の肩紐を締め直した方が楽なのか、湖岸から吹く風が強い場所では外殻(がいかく)のどこを先に見るべきなのか。まだ先輩に教えられることの方が多いが、浅層とは違う中層の仕事の流れが、少しずつ身体に入ってきていた。


その朝も、月兎亭(げっとてい)を出て迷宮管理院へ向かうところまでは、いつもと変わらなかった。


今日の担当は地下湖ではなく、中層北西側の第三補助路だった。湖から少し離れた乾いた区域で、導灯(どうとう)の数は少ない代わりに通路が複雑に枝分かれしている。探索者が頻繁に使う道でもあるため、灯りそのものより案内標識のずれや破損を確認する作業の方が多いらしい。


資材室で工具を受け取ると、ダグが細長い金属札を何枚か工具袋へ入れた。


「これ何ですか?」

「分岐標識の予備」

「導灯じゃないんですね」

「今日は道見る方が多い」

「道ならちょっと自信あります」

「七十歩で調子乗るなよ」


ルアンは反論せず、工具袋を背負った。


中層詰所を通り、二人で北西側へ向かった。地下湖へ続く道とは途中で分かれ、そこから先は空気も乾いている。発光苔(はっこうごけ)の姿も少なくなり、代わりに岩壁のあちこちへ細い亀裂が走っていた。


通路そのものは広く、荷車が通れるほどの幅がある。足元も比較的平らだったが、少し歩くたびに左右へ細い道が現れ、そのいくつかには探索者向けの木札や管理院の案内標識が取り付けられていた。


最初の分岐で、ルアンは標識の角度を確認した。


「これ、少し曲がってます」

「どっち向いてる?」

「右に三指くらい」

「直せ」


金具を緩め、地図と実際の通路を見比べながら位置を戻す。たったそれだけの作業でも、標識が数歩先を指していれば、暗い迷宮では別の道へ入る者が出るかもしれない。浅層で導灯の距離を覚えていた時と同じように、中層ではこういう小さなものが人を帰す道になるらしい。


二つ目の標識を確認していると、前方から人の声が聞こえた。


探索者の一団だった。四人ほどいて、先頭を歩いていた男がダグを見ると軽く手を上げる。


「管理院か」

「点検だ。先で何かあったか?」

「いや。獣の痕跡が少し増えてるくらいだな」


その男の後ろから、長い槍が見えた。続いて蜂蜜色の髪が現れ、ルアンはすぐに気づいた。


向こうもこちらを見て、「あ」と短く声を上げる。


救助で一緒になり、管理院の前で少し話し、訓練場でも何度か顔を合わせている。それでも考えてみれば、二人はまだきちんと名乗り合っていなかった。


「そういえば、名前聞いてなかった」

「俺も」


少年が槍を肩へ担ぎ直す。


「セイン」

「ルアン」


それだけで、妙に今さらな感じがした。


セインは他の探索者三人と組んでいるらしい。年齢は全員セインより少し上に見え、剣を持つ男が二人と、小さな弓を背負った女性が一人。装備は使い込まれており、誰も中層へ入ること自体には緊張していないようだった。


「今日は仕事?」


セインが尋ねる。


「うん。標識の点検」

「地味だな」

「槍振り回すだけより大事かもよ」

「振り回してねえよ」


少し前なら、こんなふうに言い返すこともなかった気がする。


先頭の探索者が振り返った。


「セイン、知り合いか?」

「訓練場で何回か会った」

「灯守(ともり)です」


ルアンが自分で付け加える。正確には見習いだが、そこまで説明する必要もないだろう。


探索者たちは第三補助路の奥で、裂牙犬(れつがけん)の数を確認する依頼を受けているという。中層に棲む犬型の魔物で、単体ならそれほど危険ではないものの、数頭の群れになると互いに獲物を追い込む習性があり、運搬人や採取職には厄介な相手らしい。


ダグが聞いた。


「増えてんのか?」

「昨日、運搬人が五頭見た。普段は二、三頭らしい」

「巣が近いかもな」

「その確認だ」


互いに必要な情報だけを交換すると、探索者たちは先へ進んでいった。


セインも槍を肩へ担ぎ直し、仲間を追う。


「じゃあな」

「気をつけて」

「そっちも」


それだけだった。


ルアンたちも点検へ戻った。


三つ目の分岐に入ると導灯の数が減り、一本道ではあるものの岩壁が複雑に入り組んでいるため、灯りの届かない場所が増えてきた。ルアンは導灯の出力を確認しながら、いつもより少しだけ岩陰の方へ意識を向けていた。


裂牙犬という名前を聞いたせいだろう。


「魔物探してんのか」


ダグに言われる。


「別に」

「仕事しろ」

「してます」


図星だった。


次の導灯にも異常はなかった。


さらに進み、古くなった案内札を一枚交換している途中で、遠くから金属のぶつかる音が響いた。一度だけではなく、少し間を置いて二度目の音が続き、今度は人の声も混じって聞こえる。


ダグが作業を止め、ルアンも工具から手を離した。音は、先ほど探索者たちが向かった方向からだった。


「戦闘ですね」

「たぶんな」


ダグは工具袋を閉じた。


迷宮管理院の職員が探索者の戦闘へ積極的に介入することはない。ただし管理区域の近くで事故が起きれば、通行や設備へ影響が出ていないか確認する必要があるため、二人は声のした方向へ向かうことにした。


急いではいても、走らなかった。角を曲がる前には音を確かめ、先が見えない場所では一度速度を落とす。大消灯の救助を経験してから、ルアンにも迷宮の中で何も考えず走る危険はよく分かっていた。


二つ目の曲がり角を越えたところで、戦っている姿が見えた。


裂牙犬は四頭いた。


ルアンが想像していた犬より一回り大きく、地面へ伏せるような低い体つきをしている。灰色の毛の間から岩のように硬そうな皮膚が覗き、口を開くたびに名前の由来らしい長い牙が見えた。


探索者たちは通路の広い部分にまとまっていた。剣を持つ二人が前方を固め、その後ろに弓の女性が立ち、セインは前衛の少し横へ位置を取っている。


一頭の裂牙犬が正面から飛び込んだ。


剣の男が受け止めるより早く、セインの槍が伸びる。穂先は魔物の身体を深く刺すのではなく、鼻先へ差し込まれるように動き、その進路だけをわずかにずらした。体勢を崩した裂牙犬へ、隣にいた剣の男が踏み込み、肩口へ刃を入れる。


ルアンは少し離れた場所で、その動きを見ていた。


公開訓練でも、セインの槍を何度も見ている。大消灯の救助でも岩鼠を倒すところを見た。それでも今の戦いは、これまでとは少し違って見えた。


セインはほとんど同じ場所から動いていない。派手に前へ出ることも、一頭を追い掛けることもなく、槍の長さを使って近づいてくる魔物の進路だけを変えている。右から別の一頭が回り込もうとすると、今度は穂先ではなく柄を横へ出し、それを避けた裂牙犬が向きを変えた先には、別の探索者が待っていた。


一撃で倒しているわけではない。それでも、裂牙犬の群れは思うように動けていなかった。


「……あれ」


ルアンが小さく呟いた。


ダグも戦闘を見ていた。


「何だ」

「セイン、あんまり攻撃してない」

「してるだろ」

「倒そうとしてないっていうか」


言いながら、自分が感じている違いが少しずつ分かってきた。


訓練場で見た時は、相手を倒すための動きばかりを見ていた。今のセインはそうではなく、自分たちが戦いやすい場所から魔物を出さないことを優先しているようだった。


裂牙犬の一頭が弓の女性へ回り込もうとした瞬間、セインの槍が地面すれすれを走った。穂先を嫌った魔物が跳び退き、正面へ戻ったところへ弓が放たれる。矢が肩へ刺さり、その直後に剣の男が踏み込んだ。


一頭が倒れた。


その間にも、セインは倒れた魔物ではなく次の裂牙犬を見ていた。


「前に出ないんだ」


ルアンが言うと、ダグが横で鼻を鳴らした。


「槍持って一番前まで出たら、長い意味ねえだろ」

「そういうことじゃなくて」


あの少年は強い。それは最初から知っていた。


けれど、ただ速いからでも、力があるからでもないらしい。目の前の相手だけでなく、仲間がどこにいて、通路のどこまで自分の槍が届き、どの方向へ魔物を動かせば次の攻撃につながるのかまで見ている。だから次に動く時、ほとんど迷わない。


残った三頭の裂牙犬が、一度に動いた。


正面の一頭を剣の男が受け、左から回ろうとしたもう一頭にはセインが槍を向ける。残る一頭だけが、その一瞬、誰にも止められずにセインの横を抜けた。


魔物が後方の弓使いへ向かう。ルアンの身体に、思わず力が入った。


ところがセインは大きく振り向かなかった。槍を少し短く持ち替え、後方へ石突きを突き出すと、その先端が裂牙犬の肩へ当たって勢いを鈍らせる。体勢を崩した魔物へ、弓の女性がすぐに短剣を抜いて対処した。


ほとんど見ていないように見えた。それでも、そこにいることが分かっていたのだろう。最後の裂牙犬が倒れるまで、それほど時間はかからなかった。


戦闘が終わっても、探索者たちはすぐには武器を収めなかった。周囲を確認し、岩陰や通路の奥まで調べ、ほかに魔物の気配がないことを確かめてから、ようやくそれぞれの武器を下ろしていく。


ルアンはそこで初めて、自分まで肩に力を入れていたことに気づいた。


探索者の一人がこちらを見る。


「管理院か。悪い、騒がせたな」

「怪我は?」


ダグが尋ねる。


「なし。こいつら、やっぱり少し多いな」


男は倒れた裂牙犬と通路の奥を見比べながら答えた。さらに先にも足跡があるらしく、調査はこのまま続けるという。


セインは槍についた汚れを布で拭きながら、ルアンの方へ歩いてきた。


「見てた?」

「うん」

「どうだった?」

「何が?」

「俺」


わざわざ聞くところが少し腹立たしい。


「強かった」

「だろ?」


満足そうだった。


ルアンは少し考えてから続けた。


「でも、訓練場と全然違った」

「そりゃそうだろ」

「ほとんど倒してなかった」

「倒したぞ、一匹」

「そういう意味じゃなくて」


セインが首を傾げる。


ルアンは自分が見ていたことを、うまく言葉にしようとした。


「ずっと、他の人が動けるようにしてたっていうか。魔物を倒すより、行かせたくないところへ行かせないようにしてた」


セインの表情が少し変わった。


「槍だからな」

「槍だとそうするの?」

「俺はそうする」


返事は簡単だった。


「一人ならもっと前へ出るけど、今日は四人だし、後ろに弓もいる。俺が一匹追いかけて好き勝手に動いたら、ほかの三人がやりにくくなるだろ」


言われれば分かる。けれど戦っている最中に、それを考え続けながら身体を動かすことは、今のルアンにはまだ想像しづらかった。


「怖くない?」


「怖いけど」

「怖いんだ」

「そりゃ怖いだろ。噛まれたら痛いし」


セインはそう言ってから、少しだけ間を置いた。


「怖いから見るんだよ」


ルアンは、その言葉を黙って聞いていた。

以前、公開訓練でセインに言われた言葉を思い出す。


“俺を見るなよ。相手を見ろ。”


あの時は、目の前の相手だけを見ればいいのだと思っていた。


たぶん、それだけではなかった。


相手がどこにいるのかだけではなく、その相手がどこへ動こうとしていて、その周りに誰がいて、自分自身がどこに立っているのかまで見る。全部を見ることはできなくても、少なくとも目の前の一つだけに捕まらないようにする。


それができるから、あの槍は迷わないのかもしれない。


セインたちは少し休憩してから、さらに奥へ向かうことになった。


ルアンたちも同じ方向に点検箇所があるため、しばらく一緒に進む。今度は探索者たちが前を歩き、ダグとルアンが少し後ろについた。


ルアンは何となく、セインの歩き方を見ていた。


戦闘中はあれほど周囲を見ていたのに、移動中は思っていたより普通だった。仲間と話しながら歩き、時々槍を持ち替え、足元についてはほとんど意識していないように見える。


そのことに気づいた直後、前方の脇道から声が飛んだ。


「そこ踏まないで」


セインがぴたりと足を止める。聞き覚えのある声だった。


岩陰から、素材籠を背負ったミレーナが姿を現す。赤茶色の髪を後ろでまとめ、今日は一人ではなく、少し離れた場所に別の回収士らしい男もいた。


セインは片足を上げたまま固まっている。


「何?」


ミレーナが足元を指した。


「そこ」


全員が見る。


セインの靴のすぐ前には、岩の色に近い薄い橙色の苔が広がっていた。知らなければ普通の苔にしか見えず、ルアンも言われるまで特に気にしていなかった。


「何これ」

「腐蝕苔(ふしょくごけ)」

「踏んだら?」

「靴底が駄目になる」

「早く言って!」

「言ったでしょ」


ミレーナは呆れたように答えた。


セインは上げていた足をゆっくり元へ戻す。


「見れば分かるような色してないだろ」

「見れば分かる」

「分かんねえよ」

「中層歩くなら覚えた方がいいよ」

「初めて見たんだけど」

「じゃあ今日覚えれば?」


横で探索者たちが笑っている。ルアンも少し笑った。


セインがこちらを見る。


「何だよ」

「いや」

「笑っただろ」

「さっきまで格好よかったのになって」

「過去形にすんな」


ミレーナもそこでルアンに気づいた。


「あ、銀貨十二枚」

「今日はルアンって呼んでよ」

「気が向いたら」


この間一度名前を呼ばれたので、少し期待した自分が悪かった。


セインが二人を交互に見る。


「知り合い?」

「市場でちょっと」

「迷宮でも何回か」


二人の答えがほとんど同時になった。


ミレーナはそのままセインを見る。


「そっちは?」

「セイン」

「探索者?」

「そう」

「じゃあ腐蝕苔くらい覚えた方がいいよ」

「会って二言目で説教された」


少し不満そうだった。


ミレーナは気にせず、腐蝕苔の広がっている範囲を指で示した。


「そこだけじゃないから。右側にもある。踏まずに通るなら左壁沿い」


セインたちの先頭にいた男が礼を言い、全員が進路を少し左へ寄せた。


ルアンはミレーナの横を通る時、小声で尋ねる。


「これも回収するの?」

「しない」

「売れない?」

「売れるけど面倒。採る時に道具傷むし」

「じゃあ何で知ってるの?」

「知らないと踏むから」


以前聞いたものと、よく似た答えだった。


回収しないものでも、危険なら知る必要がある。灯守が自分の担当ではない導灯の位置まで覚えることがあるのと、たぶん同じなのだろう。


ミレーナは作業へ戻り、探索者たちも奥へ進んだ。


しばらく歩いてから、セインが振り返った。


「お前、あの子とよく会うの?」

「最近は中層で何回か」

「詳しいな」

「ミレーナ?」

「うん」

「すごく詳しいよ。足跡とか素材とか、僕には全然分からないものまで分かる」


ルアンがそう答えると、セインは少し意外そうな顔をした。


「そうなんだ」

「うん」


返事はそれだけだった。


ただ、腐蝕苔のあった場所をまったく見ていなかったセインが、それからは時々足元にも目を向けるようになった。その変化が、ルアンには少しおかしかった。


探索者たちとは次の分岐で別れた。


セインは槍を持ったまま軽く手を上げる。


「じゃあな、灯守」

「そっちも苔踏まないようにね」

「もう覚えたよ」


どこかで聞いた台詞だった。


ミレーナに薄皮石(うすかわいし)のことを言われた時、自分もほとんど同じことを答えた気がする。


ルアンは少し笑いながら、ダグと点検経路へ戻った。


午後の仕事は、特に大きな問題もなく進んだ。導灯の一つで固定具の緩みが見つかり、案内標識を二枚交換した。裂牙犬の目撃情報についても、探索者たちから聞いた内容を帰還後に管理院へ報告することになった。


作業をしながらも、ルアンは時々セインの戦い方を思い返していた。


針尾蜥蜴に襲われた時、自分は一度攻撃を避け、短剣を当てることができた。それだけで強くなったような気がして、その直後には身体が動かなくなった。


セインは違った。


一度だけ速く動くのでも、一度だけ強い攻撃を出すのでもない。戦っている間ずっと、自分がいる位置と仲間の位置、それに相手が次に動きそうな方向を見続けていた。


だから槍が必要な場所へ届く。必要な時に。


ルアンは点検を終えた導灯の外殻を閉じた。


「ダグさん」

「何だ」

「戦うのって、相手だけ見てても駄目なんですね」

「急にどうした」

「セイン見てて思った」

「ああ」


ダグは工具を袋へ戻しながら、目の前の分岐を一度見た。


「相手しか見えなくなった奴から壁にぶつかる」

「壁?」

「迷宮だぞ」


それで十分だった。


ルアンも周囲を見た。


通路があり、岩壁があり、分岐がある。導灯があり、足元には見慣れない苔や石がある。もしそこへ魔物が現れ、さらに仲間まで加われば、見るものはもっと増える。


全部を見ながら戦うことなど、今の自分にはとてもできる気がしなかった。


だからこそ、覚えることが一つ増えたのだと思った。


管理院へ戻ったあと、ルアンは裂牙犬についての情報を記録へ加えた。


《第三補助路奥にて裂牙犬四頭を確認。さらに奥にも複数の痕跡あり。探索者による継続調査中》


今日も記録として残るのは、ほんの数行だった。


仕事を終えてしばらく休んだあと、ルアンは七番倉庫へ向かった。身体に大きな疲労は残っていない。いつもの魔力操作もするつもりだったが、今日はその前に短剣を抜いてみることにした。


倉庫の中央へ立ち、正面を見る。


いつもの訓練では、そこにいると仮定した相手だけを思い浮かべていた。相手が前から来たら避ける。攻撃できる距離へ入れば短剣を振る。それだけでも以前のルアンには十分難しかった。


今日は、そこへ周囲も加えてみた。


右側には石壁があり、左側には古い木箱が積まれている。背後には使われなくなった資材棚があり、足元にも細かな道具が置かれている場所がある。もし正面に相手がいるからといって、何も見ずに横へ避ければ、木箱や壁へぶつかるかもしれない。


ルアンは短剣を構えたまま、一歩右へ動いた。思ったより木箱が近く、もう半歩動けば肩が当たりそうだった。


一度中央へ戻り、今度は左側へ動く。こちらは少し広いが、床に古い金具が落ちているので、大きく踏み込めば足を取られそうだった。


相手だけを見るより、急に難しくなった。


昼間のセインは、これよりずっと多くのものを見ながら槍を動かしていたのだろう。


ルアンはもう一度正面へ向き直った。


一歩動き、止まる。足元を確認してから正面へ視線を戻し、今度は壁との距離を見て短剣を振る。


派手な訓練ではなかった。魔物を倒すわけでも、身体が急に速くなるわけでもない。それでも何度か同じ動きを繰り返すうちに、自分が今まで相手しか見ていなかったことだけは、よく分かった。


しばらくして短剣を鞘(さや)へ戻し、そのあとでいつものように右手を前へ出した。


胸の奥から肩、腕、手首へと魔力を通すと、指先に小さな白い光が灯った。


今日見た槍そのものを、自分が真似することはできない。けれど、何を見ていたのかなら覚えられるかもしれない。


ルアンは指先の光を眺めながら、昼間の戦いをもう一度思い返した。


セインの槍は、ほとんど迷わなかった。


きっと、槍を動かす前に見るものが、ルアンよりずっと多かったからだ。

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