code05:vision12 措置報告
あらためて見る廃ビル内は。
薄気味のいい場所ではなかった。
階段も廊下も、ひび割れ煤けて。
荒んだ空気に、湿っぽい匂いが混ざる。
白石の様子からして。
大事ではないのは分かった。
気持ちは逸るが、足が追いつかない。
ひとまず5階の、例の扉をくぐった。
暗い通路の先に、空間が見えている。
月灯りが窓から照らす、蒼い部屋。
ひどく歪んだ位置に大型ベッドとテーブル。
床にクッションやごみが散乱していて。
乱闘の跡がうかがえる。
高桐は。
窓辺のソファに、沈み込んでいた。
ジャケットを脱ぎ捨てたTシャツ姿。
額に腕を乗せ、伏せた目で宙を見ている。
脱力ではなく、凄味にすら見えて。
三朝は遠巻きに近づいた。
「……大丈夫ですか」
「悪い。久々で疲れた」
そのわりに声はしっかりしている。
いつもの高桐のようだった。
思った通り、大怪我の様子もない。
「女性は、倉橋さんが所轄へ送って行きました。
そのまま直帰します、と」
「そうか」
「白石さんも所轄へ。引き渡し処置、して下さるそうです」
「……わかった」
話そうとも、動こうともしなかった。
ただ一点、どこかを見つめている。
2歩離れた位置から訊いた。
「怪我をしたって」
「ちょっとな。大したことない」
「見せてくれますか」
「いい」
そうストレートに拒否されては。
無理にも訊けず、佇んだ。
「立樹」
不意に呼ばれ、不覚にも動揺した。
慣れているはずの、その呼び方の。
なんだかトーンが……ちがって聞こえる。
「こっち来て」
目が泳いでしまうのが自分でもわかった。
溶け入るような声だった。
「立ってられると落ち着かないから。座って」
ああ、そういう――意味でも問題だった。
しかも、さっきほどの覇気がない。
疲労――いや苦悩が濃く見える。
息を飲み、浅い呼吸を何とか耐えた。
2人掛けの狭いソファ。
触れそうな距離に……座れって。
仕方なく、三朝は近づいた。
こっちが落ち着かないが、と。
座る前に、また息を詰めていた。
「こ、これっ」
「ああ、掠めた」
見えなかった左腕、その肘下に。
10センチほどの赤い線が入っていた。
というか裂けていた。
本人は全く動じてない。
こんなの痛いに決まっているのに。
「早く手当しないと」
どう見てもナイフが走った傷だった。
大量ではないが血も数筋、タラーっと。
ポケットのハンカチを出していた。
目ざとく気づいて、咎めに来る。
「だからいいって」
「何がですか。止血しないと」
「大げさだな。しょっちゅうだろ、こんなの」
「だからって。こんな埃っぽい部屋で。
悪化したらどうするんですか」
破傷風とか、怖いんですよ。
そこまでは言えないが。
横に屈んで、ハンカチを畳んでいた。
高桐が横目に見て、ようやく起き上がる。
息をついて、やれやれ……が聞こえる動作。
あきらめたように腕を差し出した。
キツく縛らないと止血にならない。
2度巻き付けて、上からぎゅうっと結んだ。
少し顔をしかめたのが分かった。
「今はこれしか出来ませんが」
言ってるそばから血がにじんでくる。
ちゃんとした手当てが必要だ。
見上げると、高桐と目が合った。
蒼い月の夜光に照らされた、その目。
気づかれないよう、笑っておいた。
「だから言ったのに」
薄く笑い返してくれる。
「立ち回り、ミスったな。
逃がしたら女性が転んだから。庇ったら切られた」
「この程度で済んで良かったですよ。
刺されでもしてたら」
軽い調子で誤魔化したが。
指先の震えは伝わっただろうか。
突っ走られると堪える、とようやく。
「白石が来るから行けると思った。
4人は久々だったから、ちょっと苦労したな」
そういえば。
突入の時も『白石が来る』と言っていた。
素直な疑問が、突いて出ていた。
「白石さんて、そんなに強いんですか?」
「俺も奈守も、勝てたことはないな」
目を瞬いてしまう。
「道場の息子だから。白石道場。
都内じゃ指折りだろ。師範代だよ、そこの」
「…………」
「立樹は、まだ見たことなかったよな。
ああ見えて、白石班は毎朝のように乱取りしてる。
解析だけじゃない。今度見てみるといい。
教え方も凄いから。あれは真似できない」
白石を浮かべて、処理落ちしていた。
髪の毛一筋、乱れないはずだ。
どこか、どうりで。
静かな熱のある人だと、思ったんだ――。
見つめたままだった高桐の目が。
芯から三朝を捉えているのに気付いた。
今さらながら、たじろいでいた。
「行きましょうか」
目を逸らして、立ち上がろうとした。
「医局で診てもらいましょう。
どちらか先生、おいでますよね」
だが出来なかった。
痛みの前に、驚愕を感じた。
腕に、高桐の手が食い込んでいた。
「待って」
また揺らぎのない低い声で止める。
手から伝わる熱に、意思を感じる。
揺れる視界に見上げると。
静かな、でも射通すような深い目が。
まっすぐ三朝を見下ろしていた。
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