セーブ&ロード②
真斗は答えた。
「怖いとは思わないよ。でも、諦めて先に進みたいと思わないの?」
足が止まった。まばたきを一つ。
「諦める?」
まるで外国語を聞いたかのような反応だった。言葉の意味を理解できないのではなく、理解した上で意味が分からないという顔。
小さく首を傾げた。金色の長い髪がさらりと肩から滑り落ちる。
「真斗くん、日本語おかしくない?先に進むってどこに?」
一歩、また近づいた。夕日の影が二人の間に長く伸びている。
「私のゴールは真斗くんと結ばれることだけだよ。それ以外のエンディングなんて存在しないの。」
声は穏やかだったが、そこには一切の迷いがなかった。狂気と呼ぶには純粋すぎ、献身と呼ぶには常軌を逸している。月島愛莉という少女の人格を形成する根幹に、真斗への執着が深く深く根を張っていた。
ふわっと笑って、人差し指を真斗の胸元にとんと当てた。
「何年もかけて分かったことがあるんだ。真斗くんも本当は私のこと嫌いじゃないって。ただ素直になれないだけだって。」
真斗は首を傾げる
「でも短い期間を繰り返してるんでしょ?もっと沢山時間掛けたら君に惚れるかもしれないじゃん」
目を見開いた。口が半開きのまま固まる。
数秒間の完全な静寂。校庭から響く運動部のかけ声だけが遠い世界の音のように教室に届いていた。
ぶわっと顔全体が真っ赤に染まった。耳の先まで紅潮している。
「い、いま……今なんて……」
声が震えていた。「惚れるかもしれない」。たったそれだけの言葉が、数千日分のループを重ねた少女の心臓を正確に撃ち抜いていた。
両手で自分の頬を押さえてその場でくるくると回り始める。目にはうっすら涙が浮かんでいた。
「や、やだやだやだ!そういうこと言うから!だから攻略できないんだよ真斗くんは!」
回転がぴたっと止まる。涙目のまま真っ直ぐに真斗を見据えた。
「じゃあ……じゃあ待っててもいいの?もっと時間かけても。一カ月じゃなくて一年でも十年でも。」
冗談めかした口調ではなかった。この少女は本気だ。能力を使えば時間はいくらでもある。無限の猶予を与えられた恋する怪物が、獲物の許可を得ようとしている。
「逆になんでそんな短い期間でループしてるの?何も発展しなくない?」
痛いところを突かれた、という顔だった。さっきまでの感動はどこへやら、ぐさっ、と見えない矢が刺さったかのように胸を抑えた。
「うっ……!」
図星だった。一日を完璧に過ごしてロードするという行為は、裏を返せば毎日同じ日をなぞっているだけに等しい。発展も進展もない永久のチュートリアル。
しゃがみこんで頭を抱える。
「そ、それは……分かってる……分かってるんだけど……」
指の隙間からちらりと真斗を見上げる。子犬のような目だった。
「……つまり真斗くんが言いたいのは、長いスパンでじっくり攻略しろってこと?」
敵であるはずの相手から攻略法を指南されるという、およそ恋愛ゲームではありえない展開が繰り広げられていた。
「うん、だってそんな同じ日繰り返して楽しいの?」
口をぱくぱくと開閉させて、言葉を探している。
「た、楽しい……よ?楽しいに決まって……」
語尾が尻すぼみに消えていった。楽しくないのだ。本当は。毎日同じ会話、同じ反応、同じ夕焼け。それを楽しいと自分に言い聞かせていただけだった。四月の一ヶ月だけの孤独なループ生活の虚しさが、じわりと表情に滲み出ている。
ぽつりと。
「……真斗くん以外の人間、全部止まってるんだよ。世界。私と真斗くんだけが動いてて。話し相手も真斗くんしかいない。」
教室に沈黙が落ちた。時計の秒針がカチカチと鳴っている。外の景色は美しい夕暮れのまま微動だにしない。鳥も風も止まった世界で、この少女だけが延々と同じ一日を回し続けていたのだった。
目元をごしごしと制服の袖で拭った。
「ず、ずるいよ。そうやって優しくするから好きになっちゃうんじゃない……」
真斗の目が光る。
「逆に何で毎度フラれてるの?」
がくっと肩を落とした。
「聞いちゃう?それ聞いちゃう?」
もはや隠す気力も残っていないようだった。机に突っ伏してべちゃっと潰れる。
「……世界の修正力っていうのかな。真斗くんには既定の運命があるんだよ。」
顔を横に向けて、机に頬をつけたまま続けた。
「私と結ばれるルートが存在しないの、最初から。どんなに頑張っても世界が邪魔してくる。ライバルが現れたり、偶然の事故で会えなくなったり、私が急に風邪ひいたり。」
むくっと起き上がる。その顔は真剣そのものだった。
「だから能力で世界の方を書き換えてるんだけど……真斗くん自身の気持ちだけはどうにもならなくて。運命を無理やり捻じ曲げると、先輩に拒絶されるっていう形で反動が来るんだよ。」
能力の限界がそこにあった。世界を操作できるが、人間の感情だけは直接書き換えられない。
ぎゅっと自分のスカートの端を掴んだ。
「つまり……真戸くんに好きになってもらうしかないの。能力じゃどうにもできない部分。それが……一番難しい。」
「ふーん、でも俺はせっかくだから話した事覚えておきたいけどな」
ぴくっと体が跳ねた。
その一言が持つ意味の大きさに、数千日のループで鍛えられた愛莉の思考回路が一瞬フリーズした。話したことを覚えていたい。
震える手でメモ帳を開いた。「真斗攻略ノート」の最終ページに素早く書き込む。
「ちょ、ちょっと待って、今の録音……はしてないけど……メモしとかないと……っ」
ペン先がぶれて文字がぐにゃりと曲がった。
泣いていた。書きながらぼろぼろと涙をこぼしていた。
ぐしっと鼻をすすって顔を上げる。ぐしゃぐしゃの笑顔だった。
「じゃあロードしない。このまま進むよ。」
慌てて付け加える。
「あ!でも安心して!真斗くんに危険が及ぶ展開にはさせないから!そこは能力で……ぐすっ……ちゃんとやるから……」
世界は再び動き始めた。止まっていた風が窓から吹き込み、カーテンを大きく膨らませる。八日ぶりに、時間が前に進む。




