セーブ&ロード①
――4月15日金曜日
何度目かも分からない夕暮れの教室。窓から差し込む西日が机と椅子の影を長く伸ばし、埃が光の筋の中をゆっくりと舞っている。黒板には今日の授業で書かれた数式がまだ残っていて、チョークの粉が白く積もっていた。時計の針は五時を指したまま微動だにしない。この教室だけが世界から切り離された箱庭のようだった。
机に腰掛けて足をぶらぶらと揺らしながら、真斗を見つめている。その目は笑っているのに、どこか据わっている。
「真斗くん、今日で何回目だと思う?正解はね、百三回目。」
指を折りながら数える仕草をして、くすっと笑う。
「最初の頃は真斗くんの行動パターン全部覚えようとしてたんだけどね、途中からやめたんだ。だって毎回ちょっとずつ反応が違うから、それが可愛くて。」
すっと立ち上がり、真斗との距離を詰める。一歩、また一歩。ローファーの音が静まり返った教室に響いた。
「ねぇ真斗くん。私ね、本気なんだよ。冗談でこんなこと出来ると思う?この力だって、真斗くんに振り向いてもらいたくて現れたんだよ?」
真斗の目の前で止まり、制服の裾をきゅっと掴む。その手は微かに震えていた。
「私、真斗くんの為なら何だって出来る。誰だって消せる。世界だって書き換えられる。だから——」
茜色の瞳が夕日の中で異様に光る。
「真斗くんも私だけのものになってよ。じゃないと私、壊れちゃうかも。ふふ。」
その日はいつもと真斗の反応が違った。始業式が終わり同じクラスになって一週間そこらの女子が神妙な面持ちで電波な発言をしているのだ、面白くない訳がない。
「えっと、百三回もやってるのに攻略出来ない感じ?」
一瞬きょとんとした顔を見せた後、頬をぷくっと膨らませた。
「ひどい!それ、私が下手くそって言ってる!?」
髪を指先でくるくると弄びながら、拗ねたように唇を尖らせる。
「……でもまぁ、うん。そうなんだけど。」
あっさり認めた。百三回のループを経て未だに真斗を落とせていないという事実を、恥じるどころかどこか誇らしげに受け入れている。
「だって真斗くんガード固すぎるんだもん!普通の人ならとっくに落ちてるのに!友達ルートもダメ、積極的に誘惑してみてもダメ!」
机にばんっと両手をついて身を乗り出す。金色の髪がふわりと揺れた。
「だからもう正規ルート諦めて周回してるんだ。関係値は毎回リセットされるから毎回フラれて……でもね、私の愛だけはレベルアップしてるんだよ?」
にこっと笑った。目が全く笑っていなかった。
「そんなにやってたら何かしら俺の琴線に触れる言葉とか探り当てない?下手くそじゃん」
そう言って真斗は笑った。
ぱちくりと瞬きした後、むっと眉を寄せた。だがその口元はどこか嬉しそうに緩んでいる。
「……真斗くん、それ私にアドバイスしてる?敵に塩送るタイプ?」
愛莉は腕を組んで真剣に考え込んでいた。ループ中の記憶を総ざらいしているのだろう。しばらくの沈黙の後、ぽんと手を叩いた。
「じゃあじゃあ!一個だけ聞いていい?真斗くんの好みの女の子ってどんなタイプ?毎ループ毎ループ違う子演じてみてるんだけど、どれもハズレで。」
ずいっと顔を近づけてくる。吐息がかかるほどの距離。
「清楚系はダメだったし、ツンデレもダメ、お姉さん系もスルーされたし……あ、ヤンデレは今まさにやってる最中だから置いといて。」
キャラ作りだったんかい―と真斗は思った。
愛莉はメモ帳を取り出していた。表紙には「真斗♡攻略ノート」と丁寧な丸文字で書かれている。既に数ページに渡ってびっしりと真斗に関するデータが書き連ねられていた。身長体重血液型はもちろん、好きな食べ物の頻度、シャンプーの銘柄、夜中の寝言のレパートリーまで。
ペンを構えてきらきらした目で見つめる。
「ほら真斗くん!教えてくれたら次で一発クリアしてみせるから!」
そのノートを見て真斗は怪訝に思った。同じ時を繰り返していると言う割にはびっしりと書き込まれている。
「そのメモは持ち越せるんだ?」
ぴたっと動きが止まった。しまった、という顔が一瞬だけ浮かんで、すぐに取り繕うような笑顔に切り替わる。
「え?あ、あはは……これは、その……」
攻略のヒントを聞き出そうとするあまり、能力の仕様をうっかり漏らしてしまった。愛莉にとって致命的なミスだった。
メモを胸にぎゅっと抱えて後ずさる。顔が赤い。
「ず、ずるいよ真斗くん!そうやって質問に質問で返して情報引き出そうとするの!」
だがもう遅い。真斗は聞いてしまった。セーブポイント以降の持ち越しが可能な情報があるという事実を。
「……っ。」
しばらく黙った後、ふっと力が抜けたように笑った。
「まぁいいや。どうせ真斗くんは頭良いからそのうち気づいてたと思うし。そうだよ、メモとか記憶とか、一部のデータは持ち越せるの。じゃないと攻略情報ゼロからスタートになっちゃうじゃん。さすがにそれは無理ゲーだよ。」
愛莉は開き直ったように机に腰掛けた。スカートの裾を気にしながら足をぶらぶらさせている。
「でも安心して?真斗くんに危害が加わるような情報は持ち越せないから。……たぶん。」
随分ガバガバな設定だなと真斗は思った。そして愛莉の言う繰り返しとやらが本当なら一つの疑問が浮かぶ。
「期間は何日間を繰り返してるわけ?」
指折り数え始めた。
「えっと……春休み明けからだから……今日で8日目かな。」
さらりと言ったが、その言葉の重みは計り知れないものだった。現実世界では八日しか経っていないが、愛莉の体感では単純計算約八百日をこの教室で過ごしていることになる。
「最初の一週間は本当に地獄だったよ。話しかけても無視されるし、逃げられるし。あ、これは真斗くんじゃなくて世界の方ね?運命を捻じ曲げて真斗くんとのイベントを発生させようとしても、全然うまくいかなくて。」
遠い目をして窓の外を見つめた。夕日が愛莉の横顔を柔らかく染めている。
「でも二週目からコツ掴んできて。まず学校の評判を上げて接点を作るフェーズが必要だって気づいたんだ。友達増やして、先生に気に入られて、自然と真斗くんとすれ違う確率を上げる。」
現在の学校での愛莉の評価の高さは、単なる天性のものではなかった。果てしない時の試行錯誤の末に構築された戦略の産物だったのだ。
くるっと振り返って笑う。
「だから今こうしてお喋りできてるの、すごくない?私頑張ったんだよ?褒めてよ真斗くん♡」
その話を聞いて膨大な時の流れに気が遠くなりそうになった。
「つまり何年もの間この教室で過ごしてるって事?」
こくこくと頷いた。
「そうだよ。一日ごとにセーブしてロードして。たまに一週間まるごとロードし直したりもするけど。」
つまり実質的には数千日分の経験値がこの小柄な少女の中に蓄積されていることになる。外見は十七歳のまま、中身だけが異常な密度で時間を重ねていた。
机から降りてとことこと真斗に歩み寄る。上履きのゴム底がきゅっきゅっと床を鳴らした。
「ねぇ真斗くん。私のこと怖い?」
その声にはさっきまでの軽薄さが消えていた。




