漆 嵐の前触れ
夕陽が、色づき始めた森の奥を淡く照らす。
一同は紺に染め抜かれた闇衣に扮し、刹は革足袋を履き、革手袋をはめる。
朔も双子も同じように少し大きめの革手袋をはめた。
よすがは、皆と揃いの闇衣の布を首に巻いてもらい、上機嫌だ。
庵の縁側では、梓と紅梅が竹の水筒に水を移し替えている。
玄瑞は一人、馴染みの忍び装束に扮し、長手甲を両腕にはめていた。
「珍しいな。玄瑞も行くのか?」
「しょうがねぇだろ? ばあさんの命だからな。……ほんとは行きたくねぇけど」
玄瑞はダラダラと支度をしながら、相変わらず刹にまとわりついている。
「嫌だー、行きたくねぇー、めんどくせぇー、酒飲みてぇー」
「帰ったらな」
梓は、手を動かしながらも、その様子を横目で度々見ていた。
「くれぐれも気をつけるのじゃぞ」
日も暮れ始めた頃、紅梅の声に力強く頷き、六人と一匹は山道を走る。
目的の村までは半刻ほど。
急がねば完全に夜が来てしまう。
道中、風は止み、鳥の鳴き声ひとつ聞こえない。
「ばあちゃん、どこで村の情報掴んできたんやろ?」
「ほんまやなぁ?」
双子が不思議がる。
「あぁ、葵さんだよ」
「「葵さん!?」」
刹の口から出た名前に、双子が驚く。葵といえば、あの街道沿いで団子屋を営む店主。
「葵さん、ただの団子屋やで? なんで?」
「あそこは街道沿いにあるだろ? 旅人が行き交うからな。噂話が絶えないんだよ」
「なるほどなー」
火緒が関心するも、火弦は「噂話に信ぴょう性あるんかいな」と文句を漏らした。
そんな話を傍らで聞いていた梓は、一人、どことない不安に苛まれていた。
(なんだろう……。胸が……)
梓は何かを確かめるように、左胸に手を置いた。昨晩と同じように、胸がズシンと重くなる。
(嫌な予感がする……)
辺りが見渡せる小高い丘に辿り着くと、既に村は炎に包まれ、まさに野盗のような荒くれ者が火を放ち、荒らしていた。
「この村で間違いなさそうだな」
玄瑞がいつもの調子ではなく、顔つきも真剣そのものだ。
「あれが、国の侍だと? どう見ても野盗じゃねぇか……」
玄瑞が訝しげに顔を顰める。
「なぁ、梓。本当に国の奴らが、村を潰して回ってるのか?」
玄瑞の問いに、梓は唇を噛んだ。
「昨日、桐屋に来た村人は、確かに『年貢を納めろ』と言われたと……そう言っていた」
「でもよ、どう考えてもそいつら、国からの御使者様には見えねぇよな? やっぱり刹の言う通り、野盗が快楽に走っちまったんじゃねぇか? なぁ、刹」
玄瑞は刹に話を振るも、刹は口を開かない。
双子も朔も、じっと玄瑞を見つめる。
「なんだよっ」
玄瑞がぶっきらぼうに応える。
「俺、玄瑞がまともに仕事してる姿……初めて見たわ」
「俺もや。玄瑞、ちゃんと動ける人やったんやな。こないな真面目な顔もできるんや……」
「どーいう意味だよっ」
双子は感心するように玄瑞を宥め、朔は「うんうん」と激しく同意した。
◇ ◇ ◇
「どうでもええけど、はよ、アイツら撤退せんかなぁ? 待ちくたびれてまうわ」
「ほんまやな。もう夜は冷えるしな」
火緒と火弦が、腕をさすり、体を寄せ合いながらぼやく。
朔も、よすがを懐に入れ、暖を取り合う。
梓がふと村の方を見ると、松明を持った男がこちらを見ている気がした。
咄嗟に岩陰に隠れ、身を隠し、再びそっと覗いてみる。
だが、こちらを見る人影など、そこには無かった。
(気の……せいか……)
安堵する梓をよそに、玄瑞が大欠伸をする。
「ま、奴らが居なくなった頃、起こしてくれや」
そう言うと、玄瑞は岩にもたれ掛かり、すーすーと寝息をかきはじめた。
「瞬殺で寝よったで? よー、こないなとこで眠れるわ」
「前言撤回してもええか?」
「やっぱり、玄瑞は玄瑞だったね」
双子が呆れ、朔は軽蔑の目を向けた。
皆は夕飯代わりに作った兵糧丸を食べ、腹を満たし、奴らが撤退するのをひたすらじっと待つ。
なかなか引かない野盗どもに痺れを切らせ、双子と朔は船を漕ぎ始めている。
血と煙の風が鼻先を掠め、長い夜は更けていった。
◇ ◇ ◇
月は雲に隠れ、完全なる闇夜を作り出した。
村で散らばっていた松明の明かりは、列をなして帰ってゆく。
「玄瑞っ。起きて! 奴らが帰ってく!」
「んぁっ……?」
朔は急いで玄瑞を起こし、各々面頬を付けた。
玄瑞はまだ寝ぼけまなこで、「ふわぁ~」と大欠伸をしている。
「ガチ寝しとったんかいな」
「ほんま、神経ないんとちゃう?」
双子は再び呆れ、「やれやれ」とお手上げをした。
「行くぞ」
「ちょい待ちっ!」
刹が号令をかけるも、玄瑞がすかさず引き止める。
「ちっ。なんだよ、玄瑞」
刹が不機嫌そうに舌打ちをするも、玄瑞が指を指す方向を見る。
「まだ、松明の灯りが見えてる。あれが小さくなって、見えなくなるまで待て。小さくなって、だ。いきなり消えたら、絶対に動くな」
玄瑞の言葉に刹は注意深く松明を見る。
灯りがだんだん小さくなり、完全に奴らがいなくなった頃を見計らうと、刹が皆に合図を送る。
皆は、背の高い草に紛れながら、ゆっくりと村への道を降りていった。
家は燃やされ、田畑も荒らされていた。
村にはただ、まだ真新しい血に濡れた土と、帰らぬ村人の骸があるだけ。
風に乗って、燃えた煤の臭いと、血に混じった鉄の臭いが流れてくる。
「……何度見ても、慣れないね」
朔が火弦に囁く。
「村が襲われたら、こんなもんやな」
「昨日、普通に生活しとったはずやのにな。なんか、別世界にいるみたいや」
火緒が辺りを見回す。
だが、梓だけは、この異変に気づいた。
(なんだ……? この変な匂い。……どこかで)
血と煙に混じり、何やら変な匂いがする。
骸となった村人たちも斬られた痕はあるものの、皆、吐瀉物を吐き散らし首を掻きむしった痕が見られる。
「さっさと拾って帰るぞ。俺達には、関係ない」
朔が足元に転がる、木の人形を拾い上げる。
人形に付いた血が、やけに艶めかしい。
風が吹き抜け、破れた暖簾がはためく。
刹は無言で骸を見つめた。
「くそっ……」
そう呟き、落ちている布を拾った。
梓と玄瑞は、比較的綺麗な骸を探し出し、着物を剥ぎ取る。
「ほとんど燃えとるやないか……」
火緒が落ちている物を足で蹴る。
「物の状態見極めろよ。売るんだからな、足で蹴るな。使えるものは、何でも拾え。特に綺麗な布と米は絶対に持ち帰れ」
刹の指示に皆頷く。
梓がふと玄瑞を見ると、今まで見たこともない険しい顔つきで、辺りを見回していた。
「どうした?」
刹も玄瑞の異変に気づいたようで駆け寄ると、音もなく口に人差し指を当て、「だまれ」と目で伝えた。
「何か気配を感じる。……急いで撤退するぞ」
玄瑞が小声で手短に告げると、皆は慌てて持てるだけ持ち、丘への道を戻る。
霧が出始め、すべてを飲み込んでいく。
梓の胸が、ドクンと跳ねる。
背中の奥――皮膚の下に、何か生温かいものがまとわりついているような感覚に襲われた。
まるで、あの村の死者がついてきたかのように。
「待てっ!」
玄瑞が皆を引き止める。慌てて止まった火緒に、火弦と朔がぶつかり、鼻を抑えた。
「静かすぎる。……何かおかしい」
玄瑞の低く鋭い声に、刹も同じ気配を感じ取っていた。額から、冷や汗が流れる。
森を抜ける風が、まるで何かの気配を消すかのように、ザワザワと激しく音を立てた。
月が雲間から顔を出し、煌々と照らす。
暗闇に目が慣れた皆は、それすら眩しいと感じた。周りの視界がはっきりとし、全貌を現した。
その時だった。森から朔めがけて、一本の矢が飛んできた。
すかさず玄瑞は、朔を突き飛ばし、腰から抜いた小刀の鞘で矢を弾く。
矢は地面に叩きつけられた。
「誰だ! 出てこいっ!」
玄瑞が叫ぶと、森の奥から声が響く。
「あらら。一匹ぐらい仕留められるかと思ったのによぉ」
行く手に数十人、背後に数十人、男たちが姿を現した。
「ぞろぞろと……。よくも、まぁ」
玄瑞は呆れたように笑う。
いつの間にか、皆は囲まれていた。
最後に、闇から骨ばった男が現れた。
その姿は月明かりに晒され、はっきりとわかる。
――やせ細った身体に、獣じみた笑みを浮かべている。背は異様に高く、手足が長い。まるで木偶人形のような出で立ちだった。着物は、ボロボロで、とにかく汚く、臭い。
双子と朔は村よりも酷い悪臭に、思わず口元に袖をあてる。
「どうする、 玄瑞っ!」
梓が玄瑞を見ると、横に立っていた刹が視界に入る。
刹の顔は、見る見るうちに強ばり、青ざめていった。




