陸 言えなかったこと
「梓っ! おい、梓っ!」
刹は梓に掴まれた腕を振りほどき、梓に眉を顰めた。
梓は口をツンと尖らせ、目線を合わせようとしない。
「梓、どうしたんだよ? なんかあったのか?」
「……っ」
言葉にしようとするも、喉の奥にひっかかり、なかなか出てこなかった。
「ったく! あれじゃ、結さんに失礼だろ? 次、行ったらちゃんと謝れよ?」
刹は梓に掴まれていた手首を擦りながら、軽く説教を垂れる。
すると、梓の中のモヤモヤしたものが一気に頭まで駆け上り、キッと目を釣り上げ、気づけば刹に向かって怒鳴っていた。
「刹の……バカーッ!」
「っんな! なんでだよっ!」
梓は刹にありったけ気持ちをぶつけると、息が切れるほど全力で走った。
(刹の、バカバカバカバカバカバカッ!)
背中の向こうで、「俺、何もしてねぇだろーがぁッ!」と叫ぶ刹の声が聞こえた気がした。
無我夢中で庵まで走り、勢いよく戸口を開けたかと思うと、急いで草鞋を脱ぎ捨て、部屋の端に蹲る。
紅梅は何事かと、目を丸くした。
「ど、どうしたんじゃ!? 梓?」
「なんでもないッ!」
膝を抱え部屋の隅に蹲る梓の肩が、僅かに震えている。
紅梅は「またか……」とため息をつくと、ゴリゴリと薬研を擦り出した。
部屋には囲炉裏の炭が爆ぜる音と、ゴリゴリと薬草を潰す音に混じり、梓が鼻を啜る音が聞こえる。
そこへ、今度はゆっくりと戸口が開き、遅れて刹が帰ってきた。
梓はビクっと肩を揺らした。
「ただいまーっ」
「おお、刹。ご苦労じゃったの」
刹は荷物を置くと、紅梅に「今日の分」と、金を手渡した。
梓は更に背を丸め、壁に頭を擦るほどに擦り寄せ、刹の視界から逃げようとする。
刹は無言でしばらく見つめ、それから短く吐き捨てた。
「……阿呆か」
梓はその後も一言も口を開かず、唇を噛んだままだった。
◇ ◇ ◇
囲炉裏端では、すでに夕飯の支度が始まっていた。
鍋の湯気が立ちのぼり、味噌の香りが部屋いっぱいに広がる。
そこへ刹が無言のまま入ってきた。
囲炉裏端に腰を下ろすが、刹の背中から発せられる無言の圧が双子と朔を押し潰す。
火緒が箸を止め、ひそひそ声で隣の火弦に耳打ちを始める。
「なぁ……あの二人、なんか空気やばない?」
火弦は刹に気づかれないよう、ちらりと一瞬だけ見た。
「いつものことやろ」
「いやいや、今日のはちょっとガチっぽいって。ほら梓、微動だにせんし」
火緒が口を尖らせて鍋をつつく。
朔はよすがに木の実を与えながら、苦笑した。
「でも確かに、今回は長引きそうかも……なんか、いつもと違う感じがする……」
「なんだー? お前らー。喧嘩でもしたのか?」
「ちょっ、玄瑞っ!」
いつもの調子で、玄瑞は刹に絡み始める。
朔が玄瑞の膝を叩いて止めるも、刹は全く相手にしていない。
それどころか、刹にギロリと人睨みされ、その圧に玄瑞までもたじろぐ。
「お前……、ただでさえ目つき悪いんだから、睨むとこぇーんだよ……」
「玄瑞。刹兄は目つき悪いんやのうて、"鋭いだけ"なんやて。な? 刹……兄ぃ……」
火緒が庇うも、刹の圧は火緒にまで飛び火する。
「火緒、庇えてへんから」
「火弦ぅ~っ」
火緒はその刹の刺すような視線に、堪らず火弦の影に身を隠す。
そのやり取りを見ていた紅梅が、団扇で火をあおぎながら大きなため息をついた。
「まったく、いくつになっても子供の喧嘩じゃの」
鍋のぐつぐつ煮える音と、仲間たちのひそひそ声が広がる中、刹は黙々と飯をかき込む。さっさと食べ終えると、「ごちそうさま」とひとこと言い、誰の顔も見ることなく戸口へ向かう。
バンッ!
戸口が勢いよく閉められ、皆が肩をビクつかせた。
二人の間に流れる刺さるような冷たい空気に、周りの皆も、終始生きた心地はしなかった。
◇ ◇ ◇
皆が自室に帰り、庵には紅梅と梓だけが残された。
紅梅は、椀の中に取っておいた梓の晩飯をそっと差し出す。
「梓や。ずっとそうやっておるつもりかえ? 飯でも食え。少しは落ち着く」
紅梅の言葉に、梓はようやく顔を上げた。
目は赤く腫れ、酷く疲れた顔をしている。
紅梅は、梓を囲炉裏端へ引き寄せると、温かい白湯を入れた。梓はゆっくりと飲み干し、ようやく一息つくことが出来た。
「師匠……。すみません」
梓が掠れた声で紅梅に謝る。
だが、紅梅はふっと鼻で笑い、椀を梓に差し出した。
梓は一口、また一口と少しずつ味わうも、なんだか味がしなかった。
「梓や。久々の街はどうじゃった。何も変わらんかえ?」
紅梅は、街での話を聞いてきた。
梓はしばらく黙っていたが、「あ……」と思い出したかのように話し始める。
「師匠。桐屋へ行ってきたんですが、買取りで村人が来たんです」
「ほう。最近は村も貧相なんじゃろう。して、それが?」
「その村人、村から逃げてきたと言ってました。国から急に年貢を納めろと、野盗のような輩が押し寄せてきた……と」
「年貢? 野盗が?」
「はい。明日までに収められなければ、村を潰す……と」
紅梅は、しばらく顎に手を当て目を閉じた。
「野盗が年貢を納めろと模倣して、村を襲っているのか……。はたまた、国と野盗に繋がりでもあるのか……」
紅梅はブツブツと独りごちる。
梓は椀を置き、眉をひそめながら、紅梅をじっと見つめる。
「どちらにせよ、その村は潰されるじゃろうな」
紅梅は決意したかのように、言い渡す。
「明日、漁り決行じゃ。よいな。皆にはワシから伝えとくで。梓は今日は、ここで寝るがよい」
「あ、でも、師匠。村の場所までは聞いていなくて……」
「心配には及ばん。情報というものは、流れるからの。それより、今日はもう休め」
紅梅の何も触れぬ優しさに、梓は身体からやっと力が抜けた。
そして、もう一つ。忘れていた事を紅梅に告げる。
「あ、そうだ。あの、師匠。桐屋の爺様が『紅梅ちゃんによろしく』と、言っていたそうです」
ぶほぉーッ!!
紅梅が飲んでいた茶を勢いよく吹き出し、囲炉裏から煙が上がる。
もくもくと上がる煙に二人は咳き込んだ。
「ごほっ。師匠、そんなに驚かなくても……」
梓が紅梅を見ると、両手を頬に添えて顔を赤らめていた。その姿たるや、さながら乙女そのもの。
梓は見てはいけないものを見てしまった気がして、顔を下に背ける。
「すっ、すみませんっ! そんなに驚くなんて……」
「どこまで聞いた……?」
「へ?」
「どこまで聞いたかと言うておる!」
紅梅は顔を真っ赤にしながら、梓に頭ごなしに怒鳴る。
「えっと……。昔、爺様の初恋の相手が師匠だったと律さんが……。その事で懇意にさせてもらっていると」
紅梅は、小さく「律め……」と呟き、拳を握りしめる。……と、同時に余計な話は伝わっていないと悟り、安堵する。
「『たまには顔を見せてください』と言っていましたよ?」
梓の伝言に観念したのか、紅梅は落ち着きを取り戻し、静かに話し始めた。
「桐谷家は、我が鬼頭家と並ぶ二大名家じゃった。ワシらの里は、代々忍びの家系。お互いに惹かれあっても、家を潰す訳にはゆかぬ。お家を繋げるためには、一緒にはなれんじゃった……」
紅梅はどこか遠くを見ながら、懐かしむ。
「里が攻め入られて、皆が散り散りになった時、あ奴らも行方がわからぬ事になっての」
梓は紅梅の昔話に、胸がズキリとした。
(もし、俺たちも離れ離れになってしまったら……)
そう考えずにはいられなかった。
「しかし……、まさかこんな近くで店を営んでおったとは! しかも、あんなにデカくしよって!」
紅梅は自分との貧富の差に、苛立ちを隠せない。
「最初あの店を知らずに尋ねた時は、腰を抜かしたわい! 里が無くなったとは言え、今更、あやつの元になど行けるか! 後妻など、ワシの誇りが許さぬ!」
(あぁ、怒りの原因後妻か……)
梓は紅梅が、『二番手は嫌だ!』と駄々を捏ねている姿につい自分を重ねてしまい、少し恥ずかしくなってしまった。
「とにかくじゃ。明晩、漁りに出るぞ」
梓は、胸に重苦しい物を抱えながら、小さく頷いた。




