廿玖 心の内
――紅梅と玄瑞の元から、飛び出した夜。
刹は寝付けないのか、壁にもたれ座っていた。
表情なく一点を見つめ、両手を組む手は僅かながら震えている。
呼吸も少し乱れているように思う。
「……刹。眠れないの?」
刹はゆっくりと梓の方に振り向き頷く。
その目は真っ赤になり、涙で潤んでいる。
「……なんで。なんで、玄瑞が殺っちまうんだよ……。鴉は俺がって……。ずっと胸の奥が落ち着かない。今更どうにもならない……でも……」
――刹。殺せ。俺はお前の父ちゃんだ。殺れ。出来なきゃお前が死ぬだけだ――
鴉の声が脳裏にこだまし、刹はギュッと唇を噛み締め膝を抱える。
「刹。鴉の恐怖は、刹にしかわからない。でも、もう昔とは違う。今度は俺が隣にいる。鴉がいなくなっても、刹の中からあいつが消えなくても、俺が傍にいて、支えるから」
梓は刹の肩を力いっぱい抱きしめた。
刹は震える手で梓の腕を掴む。
梓は初めて、刹が子供のように見えた。
鴉に捕まっていた、あの頃の刹がそこにいた。
どんなに強く鍛えても、どんなに知識を得てしても、心の傷はそう簡単には消えない。
それは、梓自身も身をもってわかっている。
だからこそ、刹の隣に立つと決めた。
「俺が……、自分の手で消したかったんだ。この嫌な記憶を消すには、俺が決着つけなきゃいけなかったんだ……」
「刹、大丈夫だ。必ず、必ず消えるから」
その言葉に、刹は梓の腕をさらに強く握った。
まるで、「助けてくれ」と言わんばかりに。
その夜、二人は子供に帰ったように、手を繋いで眠りについた。
否が応にも、夜は明ける。
目覚めれば、また、頭にこびりついた記憶の残渣が、刹を苦しめる。
(明日なんか、来なければいいのに)
梓は刹の頭を撫でながら思った。
◇ ◇ ◇
――翌朝。
梓は刹の朝飯を作り、部屋に置いて外へ出た。
一人、紅梅と玄瑞の元へと向かう。
「梓、おはよー。今日はゆっくりなんだね? 刹は?」
小川の水汲みに出ていた朔に呼び止められた。
「刹は、まだ寝てる。少し疲れてるみたい。まだ病み上がりだしね。昨日久しぶりに遠出したから」
梓は優しく朔に告げる。
「ふーん。なんか、昨日ばあちゃんと喧嘩してなかった?」
梓の胸が跳ねる。
「いや、別に? なんか、うるさかった?」
「ううん? 火弦がなんか喧嘩してたみたいって、今朝言ってたからさ」
「そう。で、火緒と火弦は?」
「あの二人は、山へ柴刈りに」
「昔話みたいに言うなよ」
梓は「ははっ」と笑うと、紅梅のいる仮家へと足を向けた。
「師匠、おはようございます。お話が……。少しよろしいでしょうか?」
梓は、囲炉裏端で茶を啜る紅梅の対角に座す。
「朝から話とは……。なんじゃ」
昨日の今日で、紅梅の顔も険しい。
「師匠。このままでは刹の心が潰れてしまいます。一度、きちんと話し合うべきでは……」
紅梅は、湯呑みをユラユラと回しながら、中で揺れる茶を眺めている。
「師匠……!」
「お前らに……、あやつが相手できたのか?」
「それは……」
梓が押し黙り、唇を噛み締める。
「刹なんぞ、鴉を見ただけで縮こまるであろう? そんな状態で、どうやって鴉を倒すつもりじゃった? 返り討ちが関の山。今度は、お前ら二人とも命を落とすやもしれんかったのだぞ?」
返す言葉もない。
梓にもわかっていた。
もはや、刹だけの問題じゃない事ぐらい。
今は、家族がいる。玄瑞が討たなければ、双子も朔も死んでいたかもしれない。
だが、梓は刹の事を思うと、いても立ってもいられなかった。
(もし、自分が刹と同じ立場だったら……)
そう考えると、胸が苦しくなる。
(自分で決着がつけられなかったら、きっと……。ずっと苦しいに決まってる!)
そんな風に思い、梓は食い下がらなかった。
「師匠。せめて、師匠の口からきちんと説明してください」
「梓。俺が行く」
玄瑞が奥の部屋からのそりと現れた。
昨日とは打って変わって、いつもの玄瑞だ。
「鴉を殺ったのは、俺だ。俺が説明する」
玄瑞の言葉に、梓の目がキッと釣り上がる。
「玄瑞が行ったら、刹の神経逆撫でするから、やめて」
梓は言葉の端々に棘を立て、厳しく玄瑞に告げる。
玄瑞は一つため息をつき、その場に胡座をかいた。
「梓。玄瑞に鴉を足止めするよう命じたのは、このワシじゃ。玄瑞はワシに従ったまで。そのように冷たく当たるでない」
「ですがっ!」
梓が立ち上がろうとした時、背後に気配を感じた。振り向くと、そこに刹が立っていた。
刹は何も言わず、黙って囲炉裏端に上がる。
玄瑞は気まずいのか、項垂れ、刹と目を合わせようとしなかった。
沈黙の中で、パチリと炭が爆ぜる。
刹が静かに口を開いた。
「ばあさん。昨日は取り乱して済まなかった」
「…………」
紅梅は返事もせず、ただ、黙って刹の顔を見ている。
「鴉は……もう、いないんだよな」
「そうさの」
刹の問いに短く答え、茶を啜る。
「今の俺たちじゃ不甲斐ないから、代わりに玄瑞が殺ったんだよな。俺たちを守るために」
「…………」
紅梅は鼻を鳴らし、遠くを見つめる。
「お前たちに……手を汚させとうないんじゃ」
紅梅が疲れきったように呟く。
「ワシらは、今まで散々人を殺めてきた。奢り昂り、そして、裏切られた。……残ったものは、虚しさと後悔と憐れみだけじゃった」
紅梅の声は段々と細くなり、首が項垂れた。
だが、刹は構わず続ける。
「俺たちは……。せめて、俺と梓は、きちんと戦えるほどの力をつけたい。もし、また何かあっても、お荷物だけにはなりたくねぇ。玄瑞、俺たちに、ちゃんと稽古つけてくれ」
そういうと、刹は玄瑞に頭を下げた。
だが、玄瑞は厳しい顔つきで、首を横に振る。
「だめだ。お前たちには、手を汚させたくねぇんだ。あんな思いするのは、俺たちだけで十分だ。わかってくれ、刹」
刹は、ゆっくりと頭を上げ、握る拳に力を込める。
「お前らは、仕事を見つけ、普通に生活すればよいのじゃ」
…………。
「あれもダメ、これもダメ。なんでも、お前らが先回りしてやっちまう。それが、俺たちの為なのかよ……」
刹は声を震わせながら、袴をギュッと掴む。
「刹……」
梓が刹の袂を掴む。
「なら、もういい。俺たちだけでやる。もう、お前らの世話にはならねぇ」
「刹ッ」
玄瑞が呼び止め、刹が立ち上がろうとした瞬間、戸口が勢いよくガラッと開いた。
「やれやれ。なんじゃ朝から騒々しいのぉ」
戸口には背丈の小さな、腰の曲がった老爺が立っていた。




