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まほろばー流転奇譚ー  作者: 雨音かえる
曼珠沙華之段

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26/33

廿伍 梓の記憶 其の弐

 足元に散らばった黄金に、光が鈍く反射した。

 まるで、濁った血の色に見えた。

 

 ――次の瞬間、轟音が地を揺らし、窓の桟が軋んだ。

 火の粉が舞い、障子の白を赤く染める。

 外から押し寄せる武士(もののふ)の怒号と金属音。

 それらは確かに耳に届いているはずなのに、梓には遠い世界の出来事にしか感じられなかった。

 腕の中の帳簿。

 墨で刻まれた自分の名と『白曼珠沙華』『戦果、白』の文字が、視界を塞いでいた。

 

 『調合 梓』『毒薬師』

 

 震える指がその字をなぞるたび、胸の奥を針で突かれるように痛んだ。

 父と母が曼珠沙華から作り出した毒は、明らかに失敗作で、殺傷能力はほぼ無かった。

 自分のものには、父と母の作ったものにはない言葉、"即死"と書かれている。

 

 (僕が毒を……作っ )

 

 喉の奥は焼けつき、呼吸が途切れ途切れになる。

 

 ――その時、荒々しく戸が弾け飛ぶ音がした。

 

 板戸が壁に叩きつけられ、乾いた衝撃が室内に響く。

 振り返るより早く、冷たい夜気と煙の匂いが一気に流れ込んできた。

 そこに立っていたのは、顔を真っ赤にして息を荒げる父と母だった。

 父の衣は(すす)と泥に汚れ、母の衣の裾には血のしぶきが斑に散っている。

 二人とも眼を血走らせ、焦りと恐怖を剥き出しにしていた。

 

「梓!どこなのっ!?」

 

 母の声は掠れて震えていた。

 泣き声のようで、必死に押し殺そうとしているのがわかる。

 だが梓は返事をしなかった。

 腕の中に抱えられた帳面。足元に散らばる黄金。

 指先は震え、夢か(うつつ)かの境にいるかのように意識が遠い。

 父の視線が炎と煙の中、梓を見つける。

 

「梓ぁ! こっちにこい!」

 

 母が声を震わせて駆け寄る。

「他国の兵が攻めてきたの! 早く逃げないと! 私たち殺されてしまうわっ!」

「急げっ!何をしている!」

 

 父の怒声が爆音と混ざり空を裂く。

 畳が震えた気がして、梓の胸を押し潰すように重く響いた。

 梓はゆっくりと顔を上げた。

 血の気の失せた頬は蝋のように白く、震える唇がかすかに動く。

 

「……嘘、だよね?」

 

 声にならない声が、かろうじて音となって空気に滲む。

 張り裂けそうな胸の奥から、搾り出すように。

 どこを見ているかも分からぬ目から、ぽたりと涙が帳面を濡らした。

 墨の文字がにじみ、梓の視界を曇らせる。

 けれど、その滲みさえも現実を否定してはくれなかった。

 

「嘘だよねッッ! 僕、毒なんて作ってないよね!? お父さんとお母さんは"薬の作り方"を教えてくれてたんだよね!? みんなを殺してなんかないよねっ!?」

 

 梓は堰を切ったように、母に対して叫ぶ。

 

「梓……違うのよ! あなたの為だったのよ!」

 

 母が必死に梓の両肩を掴み、言い聞かせるように声を震わせる。

 

「梓! 俺たちは御殿様から仰せ使って『薬』を作っていたんだ。『薬』なんだ! とりわけお前の作ったものは素晴らしいと、お褒めに預かった! お前が作り出したんだ! お前を"薬師"として迎えたいと仰せ使った! これほど名誉なことはない!」

 

 吐き出す言葉は人の言葉のはずなのに、梓には何を言っているのか分からなかった。

 父の眼はぎらつき、名誉と褒美、欲に眩んだ獣にしか見えなかった。

 

「梓は素晴らしい薬を作り出したの。大殿様はとても喜んでいらしたそうよっ! そして、梓の事も! こんなに素晴らしい薬師なんて、どこを探してもいないって!」

 

『父と母は、赤坂から脅されていたのかもしれない』そう思いたかった。

 

「お前はこれから赤坂に行き、城仕えの薬師になるんだ! お前の"薬"が戦に使われるんだぞ。これ程誇らしいことは無い! お前のおかげで、この薬師村も安泰だったのに!」

 

――違う。これは父じゃない。母じゃない。

 父は自分を褒めてくれた。

 母は自分を看病してくれた。

 勉強も教えてくれた――

 

 胸の奥で何かが崩れ、梓の視界は歪んだ。

 自分を喰らい尽くそうとする――化け物がそこにいた。

 

「梓、行くぞ! お前が行きさえすれば、村なぞいくらでも復興できるッ」

 

 父が梓の手を掴み、無理やり連れていこうとする。

 

「離せっ!」

 

 梓は父の腕を振り切った。

 母は反動で突き飛ばされたが、梓の持つ帳簿を奪おうと再び手を伸ばす。

 

「その帳簿を渡しなさい! それは大切な物なの! それとお前を赤坂に渡さなければ、私たちは!」

 

 母の言葉に咄嗟に身体が動く。

 

「寄るなっ!」

 

 近くにあった診療用の小刀を掴み、震える腕で突き出すように胸の前に構えていた。

 

「やめろ! 言うことを聞け! 赤坂様がお前の腕を所望されておられるのだ! これほど名誉なことがあるか! これまで、これだけ成果を上げてきのに、無駄にする気かっ!」

『やめろ……。言うことを聞け。お前は、俺たちの金と名誉のために必要なのだ。お前は、道具だ。無駄にはできん……』

 

 父や母の声が、宙を舞う。


(……そうか。僕は、赤坂に売られたのか)

 

 何も聞こえない。

 何も視界に入らない。

 世界が時が、ゆっくりと動く。

 父の声が歪む。母の手が怖い。

 気づけば、父は怒声をあげて覆いかぶさってきていた。

 持っていた小刀で、父の喉元を突き刺し、裂く。

 血が梓に降りかかり、父は喉元を抑えその場に倒れ込む。

 呼吸音が血の吹き出るたびに、ひゅーひゅーと鳴った。

 その音すら梓の耳には遠く感じられた。

 梓の胸は荒く動き「はぁはぁ」と上下する。

 

「梓!」

 

 母が梓の腕を掴む。

 だが梓には、その顔すら父と同じ“化け物”にしか映らなかった。

 血に濡れた眼差しも、震える唇も、人のものとは思えなかった。

 

「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッッ!」

 

「やめて……」と母に声をかけられたのかもしれない。

 けれど梓の耳には届かなかった。

 まとわりつく物を振り払うように刃を突き出した。

 母の体が小さく震え、力が抜けていく。

 その唇はわずかに動いたが、声はもう――届かなかった。

 母は静かに梓の腕から滑り落ちる。

 崩れ落ちる母を見ても、梓の瞳は何も映さなかった。

 ただ目の前にいる“化け物”を、父と同じように突き刺すしかなかった。

 

 梓の視界は赤に染まり、世界そのものが崩れ落ちていくようだった。

 母が倒れたのも、父が呻くのも、すべて遠く、夢の底から聞こえる幻のようにしか感じられない。

 

「あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"っっ!」

 

 震える手は、小刀を離そうとしなかった。

 いや、離せなかった。

 我を忘れ何度も、何度も。

 目の前の“化け物”に刃を突き立てなければ、恐怖が消えなかった。

 やがて、父と思われる男の口から濁った息が漏れた。

 そいつは、目だけ梓にギロリと向ける。

 絶命を告げるかのように、最後に吐き出された言葉は――


『……化け……物……が』


 その声が、梓の胸を鋭く貫いた。

 父は確かに化け物に見えた。

 欲に目が眩んだ、化け物。

 だがその父に、自分が化け物と呼ばれた。

 化け物の子は、化け物。


 ――梓の心は、その瞬間に砕け散った。


 畳に散った血の臭いが、鼻腔にこびりついて離れなかった。

 梓はふらふらと家を出て、燃え落ちる村をさまよった。

 

「僕が……みんなを。薬……」

 

 それ以外何も考えられず、何も感じられない。ただ足だけが勝手に動いていた。

 炎に照らされる影が揺れ、煙が喉を刺す。

 父の声が耳にこだまする――『化け物が』

 それだけが、途切れ途切れに何度も蘇り、胸を抉った。

 血に濡れた指先を見ても、恐怖も後悔も湧いてこなかった。

 もはや、生きている実感そのものが失われていた。


 どれ程の時間、彷徨い歩いたのだろうか。

 村外れに差し掛かった時、闇の中からひとつの影が現れた。

 面頬で顔を隠した男――村を襲った一人に違いない。

 刃を振り下ろされるのだろう、と梓は思った。

 だが恐怖はなかった。

 むしろ、それで楽になれるとさえ思った。

 男は無言で梓に近づき、倒れ込む身体を支えた。

 そのまま、ひょいと抱き上げる。

 

「……こいつは、連れていくか」

 

 面頬の奥から低くぼそりと男の声が漏れた。

 梓は抗うこともできず、虚ろな目で呟いた。

 

「薬を……」


 

 ──それから二日。

 梓は気がつけば森を歩かされていた。

 一日目は何故か、森の奥に身を潜めた。

 男は何かから逃げているかのようにも見えた。

 森の中をひたすら歩き、川の水で喉の乾きを凌いだ。

 自分の足なのか、誰かに引かれているのかさえ曖昧なまま。

 昼も夜もわからず、ただ足だけが地を擦っていた。

 日も大分陰りだしたころ、木々の奥に一軒の家と大きな棟が現れた。

 男は戸を荒々しく開け放ち、大声で誰かを呼んだ。

 

「玄瑞! なんじゃ! ここは、子守り場かなんかと思うておるのか!」

 

 切れながら紅梅は玄瑞に詰め寄る。

 玄瑞は「まぁまぁ」と笑いながら、紅梅を宥める。

 

「まったく。誰に似たのかの! 犬や猫のように拾うて来るでないっ!」

 

 ブツブツと文句をいい、玄瑞を睨む。

 その光景をただぼんやりと見ていた時――。

 

「お前、きったねぇな」

 

 背後から投げかけられた声に反応し、振り返った。

 そこに立っていたのは、一人の少年だった。

 洗濯物を入れた"たらい"を持ちながら、こちらを見ていた。

 こうして、梓は刹と出会った。

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