廿壱 夢裡(むり)の聲(こえ)
気がつけば三日が経ち、あれよあれよという間に、草で覆われていた里が綺麗になってゆく。
引いた草は乾燥させ、火種にするために1箇所に集められた。
刹の療養場所として、里に流れる小川沿いの小さな家を使えるように、皆でなんとか整えた。
「梓、刹とあの家を使え。囲炉裏は新しく灰をかいておいたからの。当面はそこで安静にするがよい」
紅梅からそう告げられると、早速移動に取りかかった。
双子が刹の脇につきながら、ゆっくりと家へ連れていく。
刹の足取りはまだ乏しいが、一人で歩けるまでには回復した。
「刹、おかえり」
梓は久々の刹の帰還に、微笑む。
「ただいま、梓。……。お前、その顔……」
刹は梓の顔を見ると、目の下を親指でなぞる。
梓は視線を逸らし、刹の手を跳ね除けると、そそくさと家を出ていく。
「何かあったら、声掛けて」
刹を不自然に振り切ったかと、自己嫌悪に陥るも、梓の意識はもっと別の所へと引きずられていた。
(まただ……。また、あの夢。……白昼夢まで)
瞼の裏に浮かぶのはあの赤い花。
脳裏に響くのは、忘れ去ったはずのあの声。
――「お前のためだから」
――「お前は将来有望だ」
――「お前は私たちの誇りだ」
聞こえもしない声に胸が詰まり、喉が焼けるように苦しくなる。
目の下には濃い影。
ふらつく足取りに声がかかる。
「梓? その目の下どないしたん? あんま寝てへんのとちゃう?」
火緒が心配そうに、顔を覗き込む。
「梓、ちゃんと寝た方がいいよ」
朔も気にかける。
火弦が腕を組み、さらに追い打ちをかける。
「せやで。梓に倒れられたら二人分の世話する羽目になるんやからな? それだけは勘弁してや」
梓は「ありがと」と空元気に一言残し、小川の水を汲みに行った。
小川に映る自分の顔は、どことなくやつれ、刹よりも死人のように見える。
(こんなんじゃ、だめだ……。しっかりしろ、俺!)
梓は、川の水で顔を冷やした。
そこには、水なのか涙なのかわからない水滴が、頬を伝っていた。
◇ ◇ ◇
空の茜色が夜の闇にさしかかろうとした時、里に懐かしい声が響いた。
「おーい! お前らぁ! 生きてるかぁ!」
「「「玄瑞ッ!」」」
双子と朔は、大慌てで家から飛び出て、久しぶりのその体に抱きつく。
玄瑞の匂い。でも、どこか他人のような匂いがした。
「ほーれ。必要なもん持ってきたぞ」
玄瑞は、大きな俵ぐるまに、生活用品を山ほど乗せてきた。
「どうしたんじゃ!? これはっ!」
紅梅も家から出てきて、驚きながらも、口の端に零れる笑みをおさえられないでいる。
「来る途中、桐屋に寄ってきた」
「なんじゃと!? お前、金はどうした!?」
「ん? ばあさんのツケ」
玄瑞はニッと笑い、紅梅は頭を抱えた。
そして、ハッとした顔で玄瑞に詰め寄る。
「お前、余計なことを言うておらぬじゃろうな?」
紅梅がギロリと玄瑞を睨むと、玄瑞はゆっくりとそっぽを向く。
「きぃーっ! お前っ! 久造に話したのかっ!」
「すまん。成り行きで」
玄瑞は軽く謝ると、双子と朔に荷物を下ろし、家に運び込む告げた。
米、野菜、調味料などなど。しばらく生活するには困らぬほどの量があった。
「玄瑞! 久造はここに来ると申しておったか!?」
「あー、言ってた」
「ぐぬぬっ……」
「だけど、とりあえず断っといたわ。ばあさんの面子もあるだろうしな」
紅梅はその言葉に胸を撫で下ろした。
◇ ◇ ◇
梓が刹の粥を作っていると、何やら外が騒がしいことに気がついた。
家の外に出てみると、玄瑞が沢山の荷物を持って来ている。
「玄瑞っ!」
梓が玄瑞に駆け寄ると、玄瑞はすかさず刹の様子を聞いた。
「梓、刹はっ!? あいつは、大丈夫なのか?」
梓が頷くと、玄瑞は胸を撫で下ろし、刹のいる家へと向かう。
「刹っ!」
玄瑞は刹の顔を見るや否や、抱きつき、いつものように頭をワシャワシャと撫で回す。
刹は傷を負った肩を庇いながら「痛い痛い」と、玄瑞との再会を喜んでいた。
玄瑞が皆のいる母屋へ帰る時、ふと梓は呼び止められる。
「梓。お前、なんだか元気ないな?」
「そう?」
「いつもなら、刹との間に割って入るのに。それに、その顔。看病もほどほどにしろよ?」
「うん。ありがと」
梓は玄瑞の後ろ姿を見送ると、再び家へと足を向けた。
(今日こそは。絶対に……眠らないと……)
その夜――。
破裂するような音が脳を直撃した。
梓は反射的に布団から跳ね起きた。
胸がどくどくと暴れ、冷たい汗が頬を伝う。
瞼を閉じれば、すぐに声が蘇る。
――「お前は私たちの道具よ」
――「お前は私たちの言うことを聞いていればそれでいい」
――「いい子だ」
梓の喉から、「うっ」と押し殺したような呻き声が漏れた。
慌てて口を手で抑える。
隣に眠る刹を起こしてはいないか心配になり、刹の方を見た。
刹は、静かに寝息を立てている。
少しだけ安堵し、また眠りについた。
——次の夜も、梓は布団の中で身を縮めた。
耳を塞いでも声は止まらない。
胸がきゅうっと締めつけられる。
息が荒くなりかけたそのとき――。
「やめろ……!」
梓は自分の声で目を覚ました。
額から汗がつうっと流れ落ちる。
喉は焼けつくように乾くが、。荒い息を抑えようと、歯を噛みしめて堪える。
薄掛けの端をぎゅっと握りしめ、梓は必死に自分に言い聞かせた。
「……大丈夫だ。ここにはもういない……いないから」
横では刹が梓に悟られぬよう、寝息を装いながら様子を伺っていた。
――夜が来るのが怖い。
薄掛けの中で丸まって縮こまる。
(ねむ……れない)
けれど瞼を閉じれば、すぐに意識は赤に呑み込まれる。
また声が響く。
――『なぜ、言うことが聞けない!』
――『この、化け物がっ!』
――『俺たちの命、返せっ!』
複数の声が重なり合う。
赤い花の花びらが暗闇の中、無数に舞い、梓を取り囲む。花びらの向こうに佇む二人の男女。
心臓が『どくん』と嫌な音を立てた。
全身の血が逆流するような息苦しさに、梓は布団の中で身をよじる。
汗が滲む。喉が焼ける。
その瞬間、ぶちっと何かが切れた。
胸の奥から抑えきれない叫びが噴き上がる。
「やめろ……俺は……お前らの……道具じゃない!」
悲鳴と共に飛び起きた。
目は見開き、息は荒く、全身は汗でぐっしょりと濡れている。
暗闇の中で肩を震わせていた梓の視線が、ふと横に流れる。
刹が身体を起こし、こちらを向いていた。
「刹……俺……。俺、ほんとは……」
言いかけた途端、急に喉が詰まったように息が止まる。肺が空気を求めて痙攣し、呼吸が浅く速くなる。
刹は咄嗟に梓の異変に気付き、身体の不調も忘れすり寄る。
「梓? 梓!」
刹の声が必死に響く。肩を支え、背をさすり、何度も呼びかけて来るが、その声もだんだん遠くなる。
梓の体は硬直し、荒い息は止まらない。
「い……息が……できな……」
(怖い……ッ!)
刹は、梓の体をぐっと抱き寄せ、自分の胸元に顔をうずめさせる。背中をさすりながら、低く落ち着いた声を落とす。
「大丈夫だ。……大丈夫だから。ゆっくり……ゆっくり息を吐け。吸うよりも長くだ」
荒い呼吸に合わせ、根気よく、ゆっくりと背中をさすり続ける。
「ふぅー、ふぅー」
刹の心音が、梓の中で安堵に変わる。
しばらくして、梓の体の震えは次第に和らぎ、呼吸も落ち着きを取り戻した。
刹はそっと腕をほどき、傍に置いてあった桶を引き寄せる。
桶から匙で水を汲み、梓へ差し出す。
梓は水を受け取るなり、慌てて口に運んだ。
だが――
「ごほっ……ごほっ……!」
喉がうまく通らず、盛大にむせた。
胸を叩きながら、荒い息のまま刹を見上げる。
刹は言葉を挟まず、ただ背をさすり続けた。
「大丈夫か?」
静かな声。
梓は、かすれた声で短く返した。
「……大……丈夫」
追及されたら壊れてしまいそうで、それ以上は言えなかった。
刹は、再び梓の体を抱き寄せ、力強く抱きしめる。
「ほんとか?」
それでも刹は心配そうに梓の顔を覗き込む。
「……疲れてるのかな? 数日まともに眠れてないんだ。浅い夢ばかりで、胸の奥がずっと張ったままで……。でも、もう大丈夫だから」
咄嗟にその場の言い訳をした。だが、嘘では無い。
刹は梓の顔をしばらく見つめ――やがて、短く「……わかった」とだけ言った。
刹は自分の布団に、梓を引き寄せた。
「これなら、何かあってもすぐ気づける」
照れもなくそう告げて、隣に横になる。
梓は言葉を失ったまま目を伏せた。
「子供のころ、思い出すな……」
刹の言葉に、胸の奥に、わずかに温かさが宿る。
「お前には無理させすぎた。……ごめんな。俺が隣にいるから」
微睡みの中、目をゆっくりと泳がす。
だが気づけば、口が先に動いていた。
「……うん」
その日を境に、悪夢は少しずつ和らいでいき、夢を見ても、刹の手がいつも背中に触れている。
その感覚があるだけで、梓は安心できた。




