拾伍 それぞれの時
ぱちぱちと囲炉裏の炭が弾け、その音で、梓は再び我に返った。
「これが刹と鴉の因縁であり、あやつの"本当"の過去じゃよ」
紅梅の低い声が、庵に静かに落ちる。
梓はその言葉を受け止めきれずにいた。
ふと視線を感じ目をやると、刹の目がうっすらと開き、天井を見ていた。
「刹、いつ目が覚めた」
声をかけると、刹は乾いた喉でかすれた声を漏らす。
「……べらべらと……よくしゃべる。他人の過去……ほじくりかえしてんじゃねぇよ……」
梓は息を呑んだ。
――生きている。
その実感に安堵が浮かぶ。
「気分はどうだ? 少しでも水が飲めるか?」
「はぁ……最悪だ。体も動かねぇ。目が覚めりゃ……胸糞悪い話してやがる……」
強がるように吐き捨てる刹に、梓は顔色一つ変えない。
「さて、刹の意識も戻ったことじゃし、ワシは隣の部屋で休むとするかの。あとは任せたぞ」
紅梅はそう言い残し、立ち上がると、そそくさと逃げるように部屋を出ていった。
――二人きりになった部屋に、気まずい沈黙が残る。
「梓……すまなかった。助けるつもりが……逆に迷惑かけちまった……」
天井を見ながら、刹が絞り出すように言った。
梓は首を振る。
「迷惑だなんて。もとはといえば、俺が油断していたのが悪い」
重い空気の中、梓は無言で刹の体を起こすと、匙で水をすくい、刹の唇に運んだ。
ごくりと喉を通ると、刹は目を閉じかけながら呟く。
「ばあさんの話……聞いただろ。俺は真っ当な人間じゃない。この手は血に染まってる。……お前に嘘をついていたのも、……ばれちまった」
噛み締めるように言葉を吐き出したあと、刹は食いしばった。
だが、梓は何も応えなかった。
何かを思いつめた顔で、そっと刹を横にさせる。
梓の胸に残ったのは、刹の言葉よりも“赤い花”の残像だった。
その表情を横目にしながら、刹は再び眠りに落ちていった。
(刹。お前は、何も悪くないんだ。むしろ、俺が刹をこんな目に合わせてしまったんだよ……。ごめん。……ごめん)
梓は項垂れると、声を押し殺して、泣いた。
――それから、しばらくして。
梓は、ひとしきり泣いたあと、少し落ち着きを取り戻し、白湯を一杯飲み干した。
外から双子の声が聞こえてくる。納屋から俵ぐるまを出し、車輪の点検をはじめたようだ。
「ちゃんとしとかなっ!」
「ほんまやで。途中、刹兄落っことしたら、えらい事やからな」
火緒の声はとりわけ大きく、よく響く。
それに対して火弦は落ち着き払い、大人しい。
双子でも、こうも違うものかと苦笑した。
(あいつらは、刹の過去は知らないんだよな。ただ、何かは勘づいているみたいだけど。せめて、誤解はないようにしたい)
梓が刹の顔を眺め、その寝顔に手を添える。
「ようやく落ち着いたかえ」
不意に紅梅の声が落ち、びくっと体を震わせると慌てて手を引っこめる。
「あ、はい。また、寝ました」
「そうかい。なら、梓も休んでこい。もう体も限界に近い。明日は、歩くからな。それまで休め。ワシも休む。代わりに朔を寄越しておくれ」
「はい……」
梓は渋々了承すると、刹の顔を名残惜しそうに見つめ、自室へと足を向けた。
外に出ると、一瞬太陽に目が眩んだ。
寝ていないのと、一気に押し寄せた疲労と、暗い部屋にいたせいで、余計に頭がクラクラする。
フラフラしながら離れへ行き、朔の部屋の前まで行くと、何やら朔がよすがに話しかけていた。
悪気はなかったのだが、いつ入っていいものやら分からず、しばし話に耳を傾けた。
「よすが。お前は、呑気でいいよなぁ」
朔は、最低限の荷物を風呂敷にまとめ、よすがは傍で残り物の干し芋を貰っていた。
少しだけ開いた障子の隙間から、その様子が伺える。
よすがは生意気にも両手で干し芋を掴み、小さな口を一生懸命に動かし、食べているのがわかる。
「刹と梓。大丈夫かな……」
「しゅー、しゅー」
「大丈夫って言ってるの? うん。そうだよね。刹も梓も、強いもんね……」
朔はよすがを優しく撫でている。
その様子に、梓の胸がズキンと痛む。
(朔。俺は、強くなんかないよ……)
「僕は……」
梓はいたたまれなくなり、朔に声を掛けた。
「朔、ちょっといいかな」
「あ、うん」
梓が部屋に入ると、慌てて振り返る。
「今から少しの間寝かせて貰うよ。師匠が刹を見ているけど、俺と同じで寝不足だからさ。少しの間、刹を見ていてほしいんだ」
「わかった」
「何かあったら、すぐ知らせて」
梓はそれだけ告げると、何事も無かったように、自分の部屋へと帰った。
◇ ◇ ◇
朔が庵へ行くと、囲炉裏端で紅梅が船を漕ぎ始めていた。
「ばあちゃん、変わるよ。奥で休んで」
朔が声をかけると、紅梅はハッと目を覚まし、「すまぬな」と一言残すと、大あくびで奥の部屋へと下がっていった。
刹の傍に座り、眠る顔を眺めた。
「刹。僕は、刹ほど強くないんだ。……僕も、強くなりたいよ。どうしたらいいの……?」
朔が刹に語りかけるようにごちる。
そこに、玄瑞が首にかけた手ぬぐいで、顔の汗を拭きながら入ってきた。
「朔、刹の様子はどうだ?」
「うん。まだなんとも……。ねぇ、玄瑞。刹、大丈夫だよね……?」
「当たり前だろーが。コイツはな、……強い」
さすがの玄瑞も、眠る刹の顔を目の当たりにし、言葉では強がるものの、心配の色は隠せないようだった。
「玄瑞はさ。その……、あんなに強かったんだね。普段とは違いすぎて、少し驚いちゃった」
朔の言葉に、玄瑞は戸惑った様子を見せた。
「ははっ……。本当はあんな姿、見せるもんじゃねぇんだけどな」
玄瑞は、軽く笑って話を流そうとする。
その顔つきは、どこか辛そうに見えた。
――話が続かない。
何を話していいか、朔にはわからなかった。
しんと静まり返った部屋は、時の流れが遅く感じる。囲炉裏の炭の爆ぜる音すら、緊張する。
「朔」
「ふゃい!」
ふいに名前を呼ばれ、つい声が裏返ってしまう。
「なんだぁ? その声」
「ご、ごめんっ!」
玄瑞はその反応に、安堵するかのように笑顔を見せた。
「無理もないわな……。あんなもん見せられちゃ。でもな、朔。俺は、お前たちが苦しむ姿は見たくねぇ。手ぇ出すな。……お前らはな」
「ねえ、なんで。なんで、拾ってきただけの僕たちにそこまでするの? 他人だよ?」
玄瑞が朔の言葉に理由を考えていると、チラリと懐から顔を出したよすがに目がいく。
「なぁ、朔。こいつが鳶に攫われそうになったら、どうする?」
「そりゃあ、助けるよ!」
「だよな。俺も同じだ」
しばらく二人で押し黙ったあと、玄瑞が朔に聞いてきた。
「朔、俺が、……怖いか?」
朔は少し戸惑った。怖くないといえば嘘になる。だが、それが玄瑞の全てではないことも知っているからこそ、どう応えたらいいのかわからなかった。
「さっきも言ったけど、怖い……というより、驚いたんだ。あと僕、玄瑞のこと、まだ全然わかってないんだなぁ、って」
朔は後ろめたく思ったし、少し傲慢かも、とも思った。自分達の過去を全てさらけ出していい訳はない。知らなければいい事だってある。
それを朔が一番よく分かっていた。
「どんな玄瑞でも、玄瑞だよ」
「そうか」
玄瑞は大きく伸びをすると、「さぁて、支度するかな」と言い、朔の頭をわしゃわしゃと撫でると、庵から出ていった。
玄瑞のその後ろ姿が、どこか遠くへ行ってしまうように感じた。




