拾肆 刹の記憶 其の参
気づけば七日が経ち、森の中にひっそりと佇む庵へたどり着いた。
庵に着くなり、雷のような声が響きわたる。
「玄瑞っ! お前は! どこをほっつき歩いとったんじゃ! 猫の手も借りたいほど忙しいのにから!」
怒鳴るのは、まだ少しだけ若い紅梅だった。
玄瑞は「まぁまぁ」と笑いながら、刹を前へ突き出した。
刹は、訝しげな顔で紅梅を睨む。
紅梅は刹をしばし見るなり、嫌な顔を露骨に向ける。
「こっちにこい!」
紅梅は河原端に湧く出湯に連れて行き、刹の服を無理やりむしり取る。
刹は驚き、焦り、何度も逃げようとしたが、紅梅の手からは逃れられない。
「やめろーッ! クソババアッ!」
「やかましいッ! 汚いお前が悪いんじゃっ! 観念せいっ!」
ついに刹は素っ裸にされ、湯に放り込まれ、手ぬぐいでゴシゴシと洗われる。
「痛でぇっ! やめろっ! 痛いっ!」
「そのぐらい我慢せんかっ! 男じゃろうがっ!」
紅梅は、これでもかと刹を擦った。
河原の湯は濁り、だんだんと黒く染まりゆく。
「この汚ったない服は燃やすぞ!」
紅梅が「うっ」と渋い顔をしながら焚き火に焚べる。
「ふぅ。これでよいじゃろう」
紅梅は額に汗を光らせながら、ようやく一息つく。
年寄りとは言え、素っ裸を隅々まで見られてしまった刹は、怯え、部屋の壁の隅で震える。
刹の頭の中には「屈辱」という二つの文字が浮かんでいた。
その様子を、玄瑞が庵の縁側で茶を啜りながら見ていた。
やれやれと腰を叩きながら縁側にやってきた紅梅も、玄瑞から茶を手渡される。
「この小僧、どこで拾った」
紅梅が怯える刹を見ながら、玄瑞に聞く。
「んー、どこだったかなぁ? いちいち場所なんて覚えてねぇ」
玄瑞は手を後ろに付き、仰け反りながら足を組み、ふらふらと揺らす。
「まったく……。お前と言うやつは、幾つになっても変わらんのぉ。いつまでもふらふらせんと、嫁でも取ってこの地に定住してくれれば、ワシも落ち着いて隠居できるものを」
紅梅は不機嫌そうに座り、茶を啜る。
玄瑞も素知らぬ顔をして茶を啜りながら、刹を見ていた。
刹の肌は擦られすぎて赤くヒリついている。
髪も綺麗に櫛で整えられ、後ろで結わえられた。
服は玄瑞の物を着ていた。
だがやせ細った刹の体には、服はぶかぶかだった。
夜、飯が出された。
「残りもんじゃが、食え」
紅梅が、雑炊と茶を差し出す。
何がなんだかわからなかった。
どれだけぶりのまともな飯だろうか。
毒でも入ってはいないかと、恐る恐る飯を手に取る。
「毒なんぞ入っちゃおらん」
紅梅に見透かされたように言われ、ゆっくりと飯を食む。
思わず目には涙が滲む。
刹は、泣きながら飯を貪り食った。
食い終わった後、暖かい囲炉裏の火にうとうとと眠気が誘い、そのまま寝てしまった。
紅梅と玄瑞はそれを見て、ほくそ笑む。
「昔の誰かを思い出すのぉ」
「誰だろうな」
玄瑞は縁側で静かに酒を嗜み、紅梅は煙管を吹かした。
――ゴリゴリゴリ
何かをすり潰す音で目が覚めた。
気がつくと、紅梅が囲炉裏端で、薬研を使って何かをすり潰していた。
「……おい」
刹は紅梅に、恐る恐る話しかけてみた。
「おや、目が覚めたかぇ?」
紅梅は手を止め、刹の方を向く。
「なぜ……俺にこんなに良くするんだ……」
軽く目を泳がせつつ、睨みながら刹は聞いてみた。自分にこんな事をしたって、一文の得にもならないからだ。
「何故? あやつが拾って来てしもうたんじゃ。責任もって世話するしかあるまい」
傍で寝転がっている玄瑞をちらりと見る。
(俺は犬や猫と同じか?)
刹はそう思った。
だが、紅梅が言い放った言葉で、刹の心に棘が刺さる。
「じゃが、働かねば食わせんぞ」
『働かなきゃ飯はねぇ』
刹の胸は沈んだ。
鴉の言葉が、紅梅の言葉に重なった。
(またか)
刹の顔に影が落ちる。
(次は……誰を殺せばいい……?)
刹はひどく落胆した。
だが刹の思いとは裏腹に、渡された仕事はまるで違っていた。
言い渡されたのは薪割り、炊事、薬草採り。
刹は黙々と働いた。けれど、あまり口はきかなかった。
(信用出来ねぇ。人間なんて、弱く自分勝手で浅ましい生き物だ。己の保身のためなら、何でもしやがる)
刹は、自分の事も、周りの事もそう思っていた。
隙を見て、金を奪って逃げよう。
そう、心に決めた。
◇ ◇ ◇
――ある日。
刹に「街へ買い出しに行くのでついてこい」と紅梅が言った。
紅梅が部屋の棚の奥から木箱を取り出した。
蓋が開き、中に銭がぎっしりと入っているのを刹は見てしまった。
箱の中の銭を見た瞬間、刹の体は無意識に勝手に動いていた。
考えるよりも先に、足が床を蹴り、手が火箸を抜き、紅梅の懐へ滑り込む。
金を奪い逃げる――それは刻み込まれた本能のように体が動いた。
その反動で、木箱をひっくり返し、黄金や小銭がばら撒かれる。それに気を取られている間に、刹の持つ火箸は宙を舞った。
つい黄金に目がいった刹の手を紅梅が弾き、火箸は床へと突き刺さる。
ひらりと身をかわした紅梅は、瞬く間に刹の背後をとり、懐から出した護身用の苦無を喉元へ突きつける。
その眼差しは鋭く、刹の体を縫い止めるようだった。
「お前、そんなことをしてよいと思っておるのか?」
紅梅は低く、威圧する声で静かに聞く。
「うるせぇよ……」
刹が紅梅の手を跳ね除け、一歩離れる。
「ふん。それがお前のやり方か? 小汚い野盗風情めが」
鋭い目向けながらも口元には笑みを浮かべる紅梅の言葉が、刹の胸に突き刺さる。
まるで、「子供の遊びだ」とでも言われているような感覚だった。
「う……うるせぇっ。 うるせぇっ! うるせぇっ! うるせぇッ!」
抗うように何度も怒鳴る。
旅人を騙すのも、人を刺すのも、仲間扱いされるのも、殴られるのも、汚れるのも――仕方なく。
けれど、それしか知らなかった。
生き延びるには、それしかなかった。
やるせない気持ちでいっぱいになる。
後悔の気持ちはあれど、どこか認めないように押さえつけてきたからだ。
「何故、逃げなんだ」
紅梅は、懐に苦無を収めながら、厳しい顔つきに変わる。
「子供の俺に……何ができると思う……。なんも、なんも出来るわけねぇじゃねぇかっ!」
刹はさらに声を荒らげながら、紅梅に言い返す。
「ふんっ! 子供じゃから? 甘ったれたこと抜かすでないわ! 子供じゃろうが大人じゃろうが、関係ないわ! お前が自分でそうしてきたんじゃろうが! 自分でしでかしたことを他人のせいにするでない!」
紅梅は鼻で笑い、怒鳴り声を上げた。
刹は身体をびくっと硬直させ、悔しさのあまり唇を噛む。
「お前なんかに……お前なんかにわかるもんかっ! クソババァっ!」
涙を必死に堪え、目は赤くなり、紅梅をギロリと睨みつけた。
「あー、わからんさ。わかるわけなかろう! ワシはお前じゃないんじゃ。お前と同じじゃないんじゃ。じゃが、理不尽で悔しい気持ちだけはわかるぞ? 辛い気持ちもな」
「嘘つけっ! 俺と同じ思いしたことない癖に! お前なんかに、お前なんかに分かるわけねぇ!」
刹はこれでもかと怒鳴り散らす。
「わからいでかっ! 同じ境遇でなくとも、今のお前は、昔のワシにそっくりじゃからな!」
(俺と、同じ……?)
ぐっと刹は奥歯を嚙みしめた。
「ふうっ」とひとつため息をつき、「もうよいわ」と紅梅は散らばった金を拾いながら静かに話す。
「時には、……誰かに何かを奪われることもある。ワシだってそうじゃった。じゃが、そいつらの言いなりになんぞなってどうする? お前は選べないのか? そうじゃないじゃろ」
「うる……せぇよ。お前なんかに……わかってたまるか! お前……なんかに」
刹はこれでもかと、精一杯の虚勢を張る。
紅梅は刹の目をじっと見つめ、言い聞かせるように言った。
「これからは自分の事は自分で決めよ。今まで死にもの狂いでしがみついてきたんじゃ……今更、できんことはなかろう。今日まで、ほんによう頑張って来たではないか。もう、我慢は、終いじゃ。今から、もう少し気張ってみんか?」
紅梅はふっと優しい笑みを刹にかける。
その言葉、その仕草に、刹の中の何かが弾け壊れた。
堰が切れたように、嗚咽がこぼれる。
庵に来てから、ようやく流せた涙だった。
「うっ……もうっ……いやだっ! 自由になりたいっ! 自由に……ッ」
泣きじゃくる刹を、紅梅は抱き寄せ頭を撫でた。
「うむ。よう頑張ったの。えらかったの」
その夜、囲炉裏を皆で囲み、刹は今までのことをぽつりぽつりと話した。
最初から最後まで、余すところなく。
村が焼かれ、父と母が野盗に殺されたこと。
鴉に連れ去られ、利用されたこと。
何度も人を騙し、殺しもしたこと。
生きるために仕方なかったこと。
思い出しては震え、涙を流し、その度に紅梅が刹の背中を暖かく摩り抱いた。
玄瑞は酒を飲みながら、ただ聞いていた。
その家族とも言える温かさに安心しながら、どれだけぶりだろうか……深い眠りにつく事ができた。
この日、刹ははじめて心の底から、泣いた。




