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まほろばー流転奇譚ー  作者: 雨音かえる
曼珠沙華之段

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14/35

拾参 刹の記憶 其の弐

 二年も経てば、刹の声は泣き叫びではなくなっていた。

 髪は伸び放題になり服もボロボロ、体もろくに洗ってはいないが、もはやそれすらも気にならなくなっていた。

 ある夜、鴉がいつもの下卑た笑みを浮かべながら、短刀を差し出してきた。

 刃は黒ずんだ液で濡れていた。

 

「これはな? 曼珠沙華の毒が塗ってある。突きゃ勝手に苦しむ。お前でも簡単に殺れる。触ると危ないからな。気をつけろよ」

 

 刹は刃を手に取り、じっと見つめた。

 かつてなら手が震えただろう。

 だが今はもう、胸の奥が何も動かなかった。

 

「なんだかなぁ。こんな風にやり取りしてると、俺も息子を持った気分になるぜ」

 

 鴉はしみじみと感慨深そうに言う。

 

「お前が親父とか……笑わせんな」

 

 刹は小声で呟くと、鴉をひと睨みし、その場を離れた。

 

「ひゃーっはっは! 冷たてぇなぁ。父ちゃんに優しくしてくれよぉ」

 

 鴉は大笑いしながら刹をからかった。

 刹はいつもの自分の居場所へ座り、短刀を足元に置いた。ぼんやりと刃先を見つめ続けた。

 揺れる火に照らされ、黒ずんだ刃は鈍く光を返す。

 吐いた息が白くかかり、一瞬だけ霞んではまた冷たく輝いた。

 眠気は訪れず、瞼は乾き、時間の感覚すら失われてゆく。

 恐怖も憎しみも湧かない。ただ、心の中が空洞になったまま夜を越えた。


 

 ――翌日。

 言われるままに男の脇腹へ刃を突き立てた。

 悲鳴。痙攣。嘔吐。血の臭いが混じり、吐き気を催す。

 刹はそれをただ、表情なく、ただ見下ろした。

 

「ははっ! 上出来だな、刹! さすが俺の子だ!」

 

 鴉が背を叩く。

 刹が睨む。

 叫びも血の匂いも、もう怖くはなかった。

 

 ――それは恐怖を越えた無感覚。


 感じることを捨てなければ、生きられなかった。鴉たちはそんな刹を“小僧や坊主”と呼んでいたが、その呼び名もやがて変わった。

 昼間の仕事で、血のついた短刀を拭っていた夜、鴉が上機嫌で笑いながら言った。

 

「ははっ、やるじゃねえか。そういえば。……おい、こいつの名前なんだっけか?」

 

 仲間が首をかしげると、鴉は刹の前に来てしゃが見込む。

 

「すまねえ。父親なのに、名前も知らねぇのは、よくねぇな? あー……、お前、名はなんという?」

「……」

 

 刹は答えなかった。

 

「名は?」

 

 鴉の目がギラリと光り、凄む。

 

「……刹」

「刹、か。……まぁ、いいだろう。そう呼んでやる。おい! お前ら、今日からこいつの事は"刹"と呼べ! いいな!」

 

 手下が刹の所に来ては、口々に言う。

 

「刹。お前、頭に相当気に入られたな!」

「お前の仕事ぶりがいいんだろうぜ」

 

 それから、手下たちの態度も少しずつ変わっていった。

 酒盛りの食事を与えられ「ほら、刹。食っとけ」と呼ばれる。

 肩を小突かれ、「よく刺せたじゃねぇか」と褒められる。

 刹は自分の名を呼ばれるほど、"仲間に混ぜられている"という気持ち悪さが体中に走った。

 背を叩く手には血と油の臭いがこびりついており、触られたくもなかった。

 自分が何かに蝕まれていくようで、その度に隠れて吐き気を催した。

 けれど刹は黙って従った。

 飯を受け取り、刃を握り、命じられるままに人を刺す。

 こうして、刹は完全に鴉の一味の中に埋もれていった。

 唯一、刹は筵に包まると安堵した。

 

(もう、目覚めたくない。このまま父さんと母さんのとこに……いけたら……いい……の……に)

 

 眠りの淵に立つ時だけ、安らぎを覚えた。

 夜の静寂が、静かに刹を包み込んだ。



 ――その日。鴉はいなかった。

 赤坂の領主に呼び出され、手下を数名つれて出かけて行った。

 

 刹は残された手下と一緒に。いつもの通り街道でいつも通り仕事をする。

 やってきたのは、行商人でも旅人でもない。

 一人の僧だった。

 粗末な衣に錫杖一本。金目のものはなさそうに見えた。


「どうする?」


 刹が仲間に小声で尋ねる。


「ちっ。しょぼいな。ま、銭ぐらいは持ってんだろ」


 手下が舌打ちをする。


 刹は短刀を握りしめ、合図とともに飛び出した。だが、次の瞬間には、腕をねじりあげられていた。


「痛っ……!」


 思わず声が漏れた。だが、歯を食いしばって飲み込む。

 持っていた短刀を、思わず落としてしまった。


 (しまった……ッ!)


 刹の中に焦りが生まれる。

 泣き顔だけは見せまいと、唇をぎゅっと噛んだ。


「出て来い。そこにいるのはわかってるぞ」


 軽くあしらうような声。

 僧は、茂みに潜んでいた者に声をかけた。

 潜んでいた手下は草むらから飛び出し、僧に向かって斬りかかる。

 刹は僧に地面に投げ出され、振り返ると、手下どもはすでに地に伏していた。

 手下どもは、起き上がると、刹を置いて逃げ出した。


「おいっ、待って!」


 刹が手下に声をかけるも、振り向くことなくその場を去ってしまった。


「あれ? もう終わりかよ。つまんねぇな」


 僧は、逃げた手下を見送ると、刹を上から見下ろした。

 何か、重い物がのしかかるかのように、刹の体は動かなかった。僧の眼光は、野盗よりも重く、鋭い。

 それでも刹は、ジリジリと体を動かし、投げ出された短刀に手を掛けようとする。

 だが僧は、刹の手を足で踏みつけ、身動きが取れない様に封じた。

 刹は観念したかのように、目を閉じた。


 (――もう、終わりだ。今までやってきたことの報いだ。)


 己が生き延びるために人を騙し、殺した。

 全部罰が当たったのだと思った。

 走馬灯のように記憶が走る。


 「お前、俺に止めを刺そうなんざ、十年早いぞ」


 頭上から、低くドスの効いた声が降ってきた。

 体は小刻みに震え、顔は強張りながらも思わず口元が緩む。

 笑っていた。

 自分でもそれが何故だか、わからない。


 ――これで、終われる。


 そう思うと、少しだけ気持ちが緩む。


(――父さん、母さん。)


 刹が覚悟を決めたその時、僧の声は、さっきまでとは打って変わって能天気なものになった。


「なんてなっ! あぶねぇぞ! こんなもん振り回して。どうせ脅されでもしたんだろうけどよ」


 僧は、短刀を掴むと、ポイっと草むらへ投げた。


「おい、なんか臭わねぇか?」


 僧は鼻を鳴らしながら、辺りを嗅ぎ回る。

 臭いを辿り、行き着いた場所は刹だった。


「臭ッ! お前かっ! 汚ったねぇな! 水浴びぐらいしろよ! 臭うぞ」


 僧は鼻を摘まみ、「くさい、くさい」と手を仰ぐ。

 刹は予想外の言葉に呆気にとられた。

 僧は、手を差し伸べ刹を引き起こす。

 なぜか刹は、自分でも驚くほど無意識に僧の手を取っていた。


「俺は玄瑞ってんだ。お前は?」

「……刹」


 刹は警戒しながら玄瑞をじっと見つめるも、玄瑞は錫杖を肩に担ぎ、気楽そうに涼し気な顔をしていた。けれど、その立ち姿には一分の隙も無かった。笑っているのに、近づけば一瞬で叩きのめされる。そんな矛盾めいた気配に背筋がゾクリとした。


「お前、親は?」

「野盗に、殺された」

「で? なんで野盗とつるんでるんだよ」

「それしかなかった、から」


 玄瑞は「ふーん」とだけ言った。


「お前、俺と一緒に来るか?」


 刹の胸が跳ねる。

 

(また、……連れていかれるっ)


 あの野盗に襲われた日を思い出し、刹の胸は締め付けられた。

 玄瑞は刹の返事を聞く間もなく、「行くぞ」と半ば強引に手を引いて歩き出す。


(逆らうと殺される。俺に、自由はないのかよ……)

 

 刹は逆らうこともできず、ただ、玄瑞について行くしかできなかった。

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