拾弐 刹の記憶 其の壱
村に火の手が回ったのは宵のころだった。
家々の者は皆、夕飯を食べ終わり、囲炉裏を囲んでいた。
――就寝前のたわいもない話、笑い声。
そんな静かで平和な時間が、あっという間に炎に飲まれてゆく。
赤坂領周辺を縄張りにしている野盗。
鴉一味。
やつらが街道沿いに足を伸ばし、隣国、白岩領は伊那の村にまで押し寄せたのだ。
旅人や商人を襲っては食い扶持を稼ぐ連中にとって、農村を焼き払うことなど造作もなかった。
少年の母が真っ先に異変に気づき、肩をつかんで小さな納屋の奥へ押し込む。
父も駆け込んできて、戸口を押さえるように身を寄せた。
「刹! 静かに!」
母の声は震えていた。
何が起きているのか、刹には分からなかった。
ただ胸の奥が凍りつくように怖かった。
母が刹を隠すように、急いで藁を積み上げる。
「声を出すんじゃないよっ!」
刹は震えながら、ただ頷いた。
いつもは優しい父と母の顔が強張り、知らない人のように見えた。その必死さが、なお恐ろしくてたまらなかった。
外では怒号と悲鳴が重なり合い、家々の崩れる音が響いていた。
獣が吠えるような叫びと、木を割る音。
聞いたことのない音の群れに、両手で耳を塞ぎ、刹の小さな体は震え続けた。
大きな音と共に、戸口が突然蹴破られた。
灯と煙がなだれ込み、荒くれた影が数人、納屋へ踏み込んでくる。
父はすぐに刃に貫かれ、母も叫ぶ間もなく倒れた。
藁が散り、赤い飛沫が飛ぶ。
「ひっ……」
刹は声を飲み込んだ。
声を出せば次は自分が斬られる。
震えながら必死に口を抑え、声が出ないよう力を込めた。
野盗達が納屋の中を漁り、使えるものがないか探し始める。
積み上がった藁を蹴散らした時、目の前に、汚く恐ろしい男が短刀を手に立っていた。
その刃には、先ほど貫いた父や母の血が、ねっとりとまとわりついている。
「頭ぁ! こんな所にガキがいやしたぜっ!」
野盗の一人が、大声で知らせる。
頭と言われる男が、刀を肩に担ぎ、納屋へ入ってくる。
――背は高く、骨と皮に痩せ細り、ボロボロの汚い着物を纏っている。悪臭が酷い。目は窪み、野犬のようにギラギラとし、血走っていた。
刹には、同じ人間には見えなかった。
「殺せ」
頭が吐き捨てるように、冷たく言い放つ。
刹は死を覚悟し、ぎゅっと固く目を瞑った。
手下の刀が振り下ろされたその瞬間、「いや、待て!」とそれを制した。
頭は何かを思いついたような表情をし、飄々と笑い、刹を指さした。
「ふむ。……こいつは使えるなぁ。子供が泣いてすがれば、旅人も商人も油断する。こいつを試さねぇ手はねぇ。使えなきゃ、売りゃいいか!」
周囲の荒くれどもは一瞬黙り込んだ。
「俺、頭が回るだろ?」
手下たちは、何かを考えるように黙っている。
「回るだろっ!?」
次の瞬間、どっと下卑た笑いが広がる。
「さすがですぜ! 頭ぁ!」
「それなら確実に、楽に仕留められやすなぁ!」
皆は手を叩いて喜ぶ。
頭は「まぁまぁ」と両手を上げて静止すると、しゃがみこみ、刹の目線に合わせた。
「おい、小僧。お前は今日から俺たちの"仲間"だ。仕事をこなせば飯を与えるが……出来なきゃ殺すか売るか。使えない食い扶持はいらねぇからな。わかったな」
頭の目はギラリと睨みながらも、口元は笑う。
刹には、もはや何が起きているのか分からず、恐怖で耳にも入らない。
「俺は"鴉"ってんだ。皆は頭と呼ぶ。お前もそう呼べ」
そういうと、鴉は先に納屋から出た。
刹は手下に藁の奥から引きずり出され、歩けと言わんばかりに背中を強く押される。
父と母の亡骸を横目に、別れすら出来ず連れていかれる。
村は燃え、煙と血の匂いが広がっていた。
誰一人として、刹を助けようとする者など、いなかった。
その夜から、刹は“囮”として生かされることになった。
奴らの住処は、村からほど近い廃寺。
刹は荒れた拝堂の隅に、膝を抱えて座っていた。
飯は、奴らの食べ残した物を与えられた。
「今は飯を与えてやるが、働かなきゃ飯はねぇ」
鴉の言葉が耳につく。
夜は筵を体に巻き、眠りについた。
――数日後。
刹は茂みに引きずり込まれていた。
腕をつかむ野盗の手は荒く、爪が食い込んで痛い。
「いいか坊主、泣き叫んで道に飛び出せ。あとは俺たちがやる」
「うまく釣れりゃ、ちゃんとした飯にありつけるぞ」
背後で手下の下卑た笑いが広がる。
刹は頷くしかなかった。
腹は空っぽで、喉もカラカラ。
頭の中が真っ白になる。
そのとき、街道に足音が近づいてきた。
背に荷を負った旅人が、一人で歩いている。
「おう、ちょうどいい獲物だ。さっさと行け」
背後からまた声が飛んだ。
刹は草むらを押されるようにして飛び出し、転ぶように道に出た。
手下たちは、少し離れた所に身を隠し様子を伺う。
「……た、助けて……ください!助けて!」
声は涙で濡れ、喉が裂けるほどの本物の悲鳴だった。
旅人は驚き、慌てて駆け寄ってきた。
「子供!? どこから――」
その瞬間、茂みから野盗たちが飛び出し、刃が閃いた。
旅人の叫びは短く、血が土を濡らす音だけが残った。
荷が転がり、地面に散らばる。
旅人の返り血が、刹の顔を濡らした。それは、まだ温かかった。そして、ゆっくりと手で拭いとり、見つめた。
刹は立ち尽くし、声を失った。
――自分が助けを求めたせいで、この人は殺された。
「ははっ、上出来だ!」
背後から鴉の声が響いた。
「思った通り、泣き声に釣られて寄ってきたぞ。次も頼むぞ、小僧!」
刹の膝が震えた。さっきまで、傍にいた。
この手で、触れていた。今は、もう、いない。
(ごめんなさい……僕のせいで……、ごめんなさい……。)
ただ謝ることしか出来なかった。
胸の奥で、何かが崩れる音がした。
二度目の“仕事”の日。
刹は茂みにしゃがみ込み、草を握りしめていた。
手のひらに汗がにじみ、呼吸は浅い。
前に助けを呼んだ旅人が、血に沈んでいった光景が頭に浮かぶ。
(また同じことになる……。来ないで! 来ないで! お願いだから、誰も来ないで!)
胸の奥が冷え、震えが止まらなかった。
ギュッと固く目を瞑る。
「おっ、誰かきたぞ」
背後から短く声が飛んだ。
街道には、荷を背負った年配の行商が二人、肩を並べて歩いていた。
「おう、いい獲物だな。二人もいりゃ荷も倍だ」
野盗の一人がニヤリと笑う。
刹は無理やり立ち上がらされた。
だが、恐怖で足は棒のように固まり、前に出ない。
(この人たちも殺される。助けを呼んだら、また。)
「早くしろっ!」
手下は刹に向けて、小石を投げる。
刹は道に飛び出した。
喉が勝手に震え、声が出そうになる。
「た、助け……」
言いかけたとき、刹は思わず横に視線を走らせた。
茂みの奥に潜む影へ。
行商人たちも刹が向けた方へ視線を滑らせる。
「小僧、走れ!」
行商人たちは刹の手を引いた。
「え?」
刹の心は一瞬ふっと緩んだが、その思いは儚く散った。
野盗たちが慌てて飛び出し、行商人たちの腕に一太刀浴びせる。
行商人たちは刹の手を振りほどき、振り返らず、街道の先へと逃げていった。
刹は逃げていく後ろ姿を見つめた。
胸がズキリと痛み、涙が滲む。
「てめぇ!」
振り向く間もなく拳が頬を打ち、刹は土に叩きつけられる。
不意に、頭上に影が落ちた。
鴉がそこにいた。
「おまえ……獲物を取り逃がすとはどういうことかわかってんだろうな。次の獲物を捕まえるまで飯は抜きだ。飢えで死んでも知ったこっちゃねぇがな!」
怒りに満ちた怒声が刹の耳を裂き、手下の拳が何度も振り下ろされる。
土と血の味が口に広がった。
刹は声を上げなかった。
心の中で、同じ言葉を繰り返すだけだった。
(ごめんなさい……許してください……もうしません……)
あふれだす涙は止まらなかった。
だが刹の心には、"殺さなかった"これだけが救いとなった。
毎日毎日、繰り返される。
気づけば刹の顔からは表情が消え、ただ虚ろな目は辛うじて開かれていた。
◇ ◇ ◇
――囲炉裏の火がぱちりと弾け、梓ははっと我に返った。
無意識に胸を押さえていた。
ちくり、と小さな痛みが走る。
刹の過去に触れたせいだろうか――いや、もっと違う何か。
心の奥がざわめく。
その痛みは、次第に大きくなっていく気がした――。




