62、エトワール
混合戦の出来事以来、エトワールは自室に籠ったまま出て来なくなっていた。
そもそも身重だから活発に動き回る事は無いのだろうが、それにしても一歩も出て来ないと言うのはやはり異常な事で、しかも室内には慣れた使用人すらも立ち入らせないでいると言うのだから、彼女のその精神状態が心配だった。
城内には沢山の人がいた。使用人、兵士、事務員等等。その人達と何度もすれ違ったが、歩み行く俺達を止める者は誰も居らず、それどころか道を譲られ、脇に下がった彼等、彼女等はみんな俺達に頭を下げた。
変な感じだった。まるで、自分達が偉くなったみたいに錯覚してしまう。
と、トールが一瞬ビクッとなった。
何事かと思い立ち止まる俺とノワ。
ノワがトールを見ながら、正面に見える扉を指差した。
「ここ」
その扉の前に立つ見張りの兵がトールを見る。
「あっ!」
ちょっと大きめの声で驚く見張りの兵。
俺はその兵に見覚えがあった。
「あ、混合戦でVIP席にいた・・・」
俺がそう呟くと、その兵は俺を見てもう一度「あっ!」と言い、そしてノワを見て、無言で俺達を順に指差した。
「お前等!っ・・・そうか。くっ、入れ」
その兵は、混合戦のVIP席でセシル王とエトワール妃の護衛をしていた兵の1人だった。上から、参加者席で混合戦を観戦していた俺達に気付いて、VIP席から慌てて退室していたのをよく覚えている。
多分、俺達3人の指名手配書を見ていて、そのうちの1人である顔見知りのトールを捕まえて話を聞こうとしたのか、それか3人とも捕らえて『真ん中』に引き渡そうとしたんじゃないかと思う。
何故か悔しそうな顔をして、脇にズレて扉の前を空ける兵。その横を通る時に俺は、そいつの過去を見た。
何年か前の事だ。『真ん中』の使者としてまだ王太子だった国王がマジールにやって来た時、護衛として近衛騎士が8人程同行していた。そのうちの1人がトールで、交代で休憩を取っていた時に声を掛けて来たのがコイツだった。
「なぁ、ちょっと一緒に飲まないか?」
そう言ってトールを連れ出した先の飲み屋で、トールの整った顔立ちに釣られて集まって来た女の子の何人かを持ち帰ろうとした。それをトールに止められて揉み合いになり、最終的には店の外で決闘紛いの喧嘩に発展してあっさり負けたのだ。その後互いに謝罪し合い、最終的には友達になった。
と、コイツは思っているが、トールの記憶だとちょっと違う。
「少し行った所に良い店があるんだ。休憩中なら寄ってみないか?」
そう気さくに声を掛けられたトールは、上官からマジールの兵と問題を起こすなと言われていた事もあって上手く断れず、渋々付いて行った。
てっきり美味い食事処か何かだと思っていたのにガッツリ酒場で、非番では無いので酒は飲めないと言うと「俺の酒が飲めないのか」と詰め寄られて困り果てる。
その上「女を口説いて来い」と言われ「無理だ」と断ると、好みの女の子の所に出向いて「アイツが呼んでる」と勝手に利用され、止めるように言うと揉み合いになってしまった。
店に迷惑だと思い店外に出て対応しようとした所、突然抜刀して襲い掛かって来られた。流石に街中で斬り合いをする訳にはいかないので、怪我人が出ないように細心の注意を払って手刀で武器を落とさせ、腕を取って肩から地面に打ち付けて抑え込んだのだ。
以来トールは、コイツと顔を合わせる事もなく帰国している。相手の名前も覚えていない。
2人の温度差に、俺は苦笑いをした。
その後コイツは、平民出身の割には努力を重ねて上の方の地位まで昇って来た。そこへ来て身分制度の撤廃があり、お陰で護衛官のトップにまで昇り詰めている。改法をしてくれたセシル王には昇進の恩があり、今回の失踪に関しては、異変の始まりの時に不在だった自分を責めていた。
エトワール妃の護衛を申し付けられている今、リグランの賓客が来た時のみその者達を通すよう言われているのだが、その賓客が指名手配犯である俺達で、自分があの時不在になる原因だった事に複雑な感情を抱いている。
俺は、トールに耳打ちをした。
「この護衛兵にコッソリ伝えて欲しい事があるんだ」
伝えて欲しい内容を言い終わると、俺はノワと2人で先に室内に入った。
残されたトールが護衛兵に小声で俺が言った内容を伝える。
「アキラ、トールに何言わせてるの?」
ノワが俺に聞く。
「大した事は無いんだけど。あの護衛、セシル王がレニアⅩⅤに操られた時に自分があの場に居なかった事を相当悔やんでる。部下2人が死んだのも、セシル王が失踪したのも、全部自分の所為だって思ってるみたいで。それが辛そうだったからさ、そんな事無いんだよって伝えてもらってるんだ。友達のトールから」
コイツが、あの時貴賓席から退室しなかったとしても、その後の展開にはほぼ変わりは無かった。
コイツがエトワール妃を守り、2人の部下がセシル王に斬られ、そのタイミングでグレイクが来てセシル王が会場に飛び降りる。
どちらにしても、セシル王の暴走を止める事は不可能で、コイツが身を挺してエトワール妃を守り抜くという事実は動かない。それ以上もそれ以下も存在しない。コイツは、その場で己に出来る努めを100%果たしたのだ。
という事を俺の口から聞くよりも、友達の口から聞いた方が良いだろうという、俺なりの気遣いだった。
2人の様子を見守っていると、護衛兵はトールの肩に寄り掛かって泣き始めた。
戸惑うトールは一瞬俺の顔を見て、そして護衛兵の肩を2回軽く叩いて俺達に続く。
後には、泣きながら再び扉の前に立つ護衛兵が残った。
エトワール妃の部屋の中は暗かった。
遮光のカーテンが閉められて、外の光は細くしか室内に入って来ていない。
その薄暗闇の中で室内を見回す。広い部屋だ。木製の衝立てで幾つもの空間に分けられていて、その一つ一つにドレッサーがあり、バスタブがあり、テーブルと椅子のセットがあり、揺り椅子がある。
部屋の1番奥の、大きなベッドの上にエトワール妃は居た。
近付かなくてもずっと泣き続けているのが分かる。悲しみの感情が波のようにこちらに向かって押し寄せて来ていた。
「エト、僕だよ。ノワだよ」
ノワがそう言いながらエトワールに近付いた。
ベッドの上から、身を起こす気配がした。けれども返事は聞こえない。エトワールは薄暗闇の中から、ただただ無言でこちらを見ている。
彼女の頭の中には、セシル王が『冥府の門』に落ちて行く瞬間が、何度も何度も繰り返し、壊れた映写機の映像のように流れている。
ノワがベッドの横に膝を着き、身を乗り出してエトワールの手を握った。そして、彼女の大きく膨らんだ腹部を優しくさする。
すると、エトワールの頭の中の映像が変わった。
今よりも大きく膨らんだ腹部を、内側から突き破って出て来る黒い生き物。
エトワールからは悲しみに変わって恐怖の感情の波が流れて来る。
続けて哀れみやジレンマ、大きなショック、ありとあらゆる負の感情が荒波のように荒れ狂い、大きく膨れ上がって巨大な渦潮になった。
「エトワール」
俺は、エトワールに呼び掛けた。ノワを見ていたエトワールの目が俺を見る。悲しみや恐怖に満ちていてもエトワールの目は綺麗で、その目に絡め取られて吸い込まれてしまいそうな錯覚すら覚えた。
頭を振って我を取り戻し、俺はエトワールに近付く。ノワの横に立って屈み、エトワールと視線を合わせた。そしてゆっくりと言う。
「大丈夫。ひとつずつゆっくり考えよう」
俺は、彼女の過去を、押し寄せて来る荒波の一つ一つを紐解くように見ていった。
グレイクの過去の中で見たエトワールの過去と重なる。
正義と善意、それだけしか見えずに真っ直ぐに前だけを見つめる澄んだ瞳。希望に満ち溢れ、恐れを知らないその目で、当時王太子だったグレイクに詰め寄る姿に迷いは無く、光り輝く矢のように突き進んで行った。
それが、セシルと出会い、平和と平等を基本理念に掲げる彼の思想に同調して、共に道を歩む事を決意する。
そして、ある日セシルから打ち明けられる。
長男なのに、自分が王太子でない理由を。
『狂気』と言う、マジール王家に代々現れる病。その病が強く出たセシルは、次の王にはならないと判断された事。だけどエトワールがいれば、マジールを戦いの無い平和な国に帰ることが出来る。そうなれば、『狂気』が強過ぎて戦えないセシルでも王になる事が可能かも知れない、と。
エトワールはセシルと結婚し、共にマジールを変えて行く決意をする。そして、それをリグランに伝えた時に自覚するのだった。
リグランに恋をしている、と。
そこからエトワールは苦しむ事になる。
頭と心がチグハグになるのだ。平和と平等を目指すのはセシルと同じ筈なのに、戦闘と支配を掲げるリグランと一緒に居たいと望んでしまう。
けれどもその思いを押し込めて、セシルと日々を共に過ごした。そのうちにリグランが城から出て行き、心は少し楽になる。セシルの改革は順調に進み、そしてまた、セシルからある事を打ち明けられる。
子は、望まない方が良い、と。
エトワールは知らなかったのだ。王家の妃は子を産み落とすのと同時に命を失うという事を。
「私の子を産めば、君は死ぬかも知れない」
セシルはそう言った。
『狂気』。その病の所為だ、と。
エトワールが死ねば、自分はもう王ではいられないとも言った。善意の象徴であるエトワールがいればこその王座。横にエトワールが居なければ、誰も『狂気』しかない自分に従う者は居ない、と。
「君と私は運命共同体だ。もし君が命を失った時には、私の命にも意味は無い。王座を捨て、君の後を追うよ」
エトワールは、その言葉に強く心を動かされた。リグランへの恋愛感情よりも強い想いに心を鷲掴みにされた。
またセシルは、リグランの存在を『奇跡』だとも言った。歴代のマジール王家の中で、唯一『狂気』を持たない者だ、と。
『誰よりも強くあれ』『先陣を切って戦え』と教えられたリグランだが、頭が良く柔軟な性格だった。
だからきっと、セシルの改革の後を継いでくれる。
「セシル、私、貴方の子を産むわ」
エトワールは覚悟を決め、そう言った。
つまり国王夫妻は、専制から民主主義への移行を行い、その後の王家の行先をリグランに任せるつもりでいたのだ。
その後妊娠して11ヶ月、(普通は10月10日、40週前後で出産するのが普通だったと思う。でもこの世界の妊娠日数はそれよりも少し長くて12ヶ月前後で産まれるらしい)出産の日が迫る中で行われた混合戦の観覧。
「生体兵器レニアXVよ、今この場に居る最も強い人間を操り、そして・・・マジール王国現国王、セシル8世を殺せ!」
その声が会場中に響き渡った時、エトワールはセシル王を見た。そして、その口元に笑みが浮かんで、何事かを喋る形に動くのを見た。
「ありがとう」
感謝の言葉の形に動いたのを見て、エトワールはセシル王が死に行こうとしている事を悟った。
何事も起こらなくとも、残りひと月の命。とうに覚悟は出来ていたのだと思う。
変わりゆくセシル王の姿を見ながら、エトワールも覚悟を決めた。
1ヶ月後、この子をこの世に産み出して、セシル王の元へと向かおう、と。
けれども、その身を投げ出すようにしてまで兄であるセシル王を助けようとするリグランの姿を見て、エトワールは気付いた。
この考えは間違っていた、と。
セシル王とエトワールがお互いを思い合うように、リグランもまた兄であるセシル王と、その妻であるエトワールの事を大切に思ってくれていたのだ、と、気付いたのだ。
置き去りにしてしまう。
そう気付いてしまった。
そこから、心の中が荒波に飲み込まれる。
何が正しい事なのか、何をすべきなのか、どうしたら良かったのか。
全てが分からなくなってしまった。
分からないながらに、ひたすらに祈る事しか出来なかった。
“どうか、お助け下さい。リグランが助かるのなら、私はどうなっても構わない!”
“どうかどうか、セシル王がこのまま落ちて帰らぬ人となりますように”
分からないながらに捧げたその祈りが、天に聞き届けられてしまう。望み通りにセシル王が『冥府の門』に飲み込まれて帰らぬ人となり、リグランだけが助かった。
正しかったのか、それともとんでも無い事をしてしまったのか。
残ったのは自分とお腹の子と、そしてリグラン。自分はもうすぐ居なくなる。この子とリグラン、2人だけを残して。
良かったのか、悪かったのか。分からない。
混乱の中、自分の腹から『狂気』が迫り上がってくるのを感じる。喉を突き破り、口から飛び出して来てしまうかも知れない。或いは腹を破って、もしくは背中側か。
相談しようにも、もうセシル王は居ない。
どうしたら良いのか分からない。
怖い、寂しい、悲しい・・・苦しい。
誰か、助けて・・・。




