59、親友
雨が降っていた。大粒の雨が絶え間無く打ち付けてくる所為で窓の外はほとんど見えない。それでも私は窓の外を見続けている。
後ろには、ベッドに横になったままこちらに背を向けるユリアちゃんがいて、寝てはいない。それは息遣いで分かる。つまりは、ユリアちゃんは起きているのにこっちを向かないで、ずっと壁を見続けている。
私が見えない窓を見続けているのと、ユリアちゃんが壁を見続けている理由は多分一緒で、それはお互いに顔を合わせたく無いからなんだと思う。
セシル王が床に開いた『穴』に落ちて行った。それはとんでもない事だ。しかもその『穴』を開けたのが他でも無いユリアちゃんらしいと聞いて、私は、それまで闘技場内を人の波に逆らって駆けずり回った疲労も忘れるくらいに驚いた。
何でそんな事をしたの?何でそんな事が出来たの?そもそも本当なの?本当だとしたら、店の裏に突然現れたという『穴』も、実はユリアちゃんがやったんじゃ無いの?だったら何で?一昨日の夜は1人でどこに行ったの?何をしていたの?何でアキラさんと一緒に帰って来たの?
聞きたい事が多過ぎた。一気に聞いたらユリアちゃんが困るって分かってたけど、止まらなかった。
昨日、気絶してたユリアちゃんをトールさんがここまで運んでくれて、ベッドに寝かせてくれた。
「何かあったら呼んでください。すぐに対応出来るようにしておきます」
トールさんはそう言ってくれた。ドアまで見送って、そのまま私も隣のベッドで休ませてもらった。
そして翌朝目を覚ますと、ユリアちゃんは先に起きていた。
「ユリアちゃん・・・!」
ビックリして、それからすぐに質問攻めにしてしまったのは悪かったと思う。
でも・・・。
「アキラさんに会わせて。アキラさんに、話すから」
私の質問には何一つ答えず、ユリアちゃんはそれだけ言って口を噤んだ。
私は詰め寄って、肩を掴んでゆすったり、両手を握り締めて目を見たり、色々やった。
けどユリアちゃんは何も言ってくれなかった。掴んだ手を振り払って顔を背けて、またベッドに横になって向こう側を向いてしまったのだ。
私は涙が出そうになった。
こんなに心配してるのに、どうして分かってくれないの?なんで何も話してくれないの?目の前にいるのに、すぐ側に居るのに。
私じゃ、ダメなの・・・?
雨の音を聞きながらその事を思い出すと涙が出そうになった。
ずっとこのまま背中を向け合っているわけにもいかない。
そう思うと私は、涙を堪えて立ち上がり、ドアを開けてみた。
トールさんは居なかった。代わりにいつもアキラさんと一緒に居るフードの男の子が立っている。
「あっ、えっと、どうかした?」
そう言って首を傾げる男の子。名前は、確かノワって呼ばれていた。
「あの、ノワさん・・・で良かったですか?」
「あっと、うん。そう。僕ノワだよ」
念の為尋ねてみると、とても人懐っこい感じに口元が笑うのが見えた。
トールさんじゃなくても、困り事を聞いてくれるのだろうか・・・。
不安に思いながらも、私はノワさんに相談してみる事にした。
「その、ユリアちゃんが気が付いて・・・」
「えっ!目、覚めたの?良かった。大丈夫かな?気分とか悪かったりしないかな。何か欲しい物ある?飲み物とか、お茶とか水とか・・・、ああ、お茶と水は飲み物か。へへっ。あと、ライサちゃんも、欲しい物ある?お腹・・・空いてるとか?あっ、部屋寒くない?雨降ってきたよね。なんか憂鬱ーって感じ・・・」
ノワさんは私に喋る隙を与えないくらいに喋り続けた。喋る度に言葉を補足するみたいに大きな身振り手振りを繰り返して、そのひとつひとつの動作の度に私の顔を、目を見て反応を伺った。
私に喋る手間を取らせないように、表情から全てを読み取ろうとしてくれているように感じた。
色々と気を使ってくれている。そんな風に感じて、気付いたら、涙が流れ出ていた。
「はっ!?えっ!な、どした?なんか、なんか僕やらかした?何で、泣いちゃっ・・・えー?!」
慌てふためくノワさんの前で、私は両手で顔を覆って涙を隠した。
でも隠しても涙は止まらなくて、もうそうなると満足に喋る事も出来なくなってしまう。
その時、私は嬉しかったんだと思う。
ユリアちゃんにずっと無視をされ続けて、自分は話をする価値すら無い人間なのかも知れない、と、心の中のどこかで思ってしまっていた。
そこにノワさんの気遣いの嵐を浴びて、そうじゃ無いのだと思い直させて貰って、涙が止まらなくなる程に嬉しかったのだ。
「えー、どうしよう。ゴメンね。色々あって大変だったよね。あーもう、僕どうしたらいい?一緒に泣いたら良いのかな?今なら泣けそう」
益々慌てるノワさんの様子に、私は微笑ましい気持ちになって笑ってしまった。
「あ、今笑った?」
笑った私を見て嬉しそうにそう言うノワさんを見て、私の涙は引いていった。
「ユリア、ちゃんが、アキラさん、に、話したいって言ってて。あの、アキラさんに、会えますか?」
途切れ途切れになりながらも、何とかそう伝える事が出来た。
深呼吸しながらノワさんの返事を待つ。
ノワさんは、私の肩越しに部屋の中を覗き込んだ。
その位置からはベッドもユリアちゃんも見えないのだけれども、私のその様子から色々と察してくれたのか、頷いて答えてくれた。
「アキラはね、今ちょっと大事な用事を済ませてるところなんだ。どれくらい掛かるかは分からないんだけど、終わったらここに来させるよ。それまで待てる?」
聞きながら首を傾げる。深く被ったフードのせいで見えないけど、きっと上目遣いなんだろうな、と思った。
あざと可愛い。
ノワさんがやるから許されるけど、これをユリアちゃんみたいな普通に可愛い女の子がやったら、只々不愉快なんだろうな、と思ってしまった。
「はい、待ってます。だから、お願いします」
言って私は頭を下げた。
「了解」
そう言ってノワさんは笑った。
「あっ、欲しい物、無い?ライサちゃん達がくれたの程美味しくは無いけど、お菓子とか持って来るよ?」
思い出したようにそう言うノワさん。
まだ気を使っている様子に、私はもう一段心が軽くなるのを感じた。
ドアをノックする音が聞こえた。隣の娘が立ち上がる気配がして、ドアが開く。壁を見続けている私からは見えないけど、アキラさんが来てくれたんだ、と思った。
ずっと壁側を向いて横になっていた体を起こして振り返る。すると、隣の娘と、思った通りにアキラさんがいた。
隣の娘の顔はこちらに背を向けていて見えない。けど、その耳が真っ赤になっているのが見えた。
それに苛立った。何でなのか分からないけど、お腹の上の方がキューっとなって気持ち悪かった。
アキラさんの後ろにはトールさんもいた。
トールさんが先に私が見ているのに気付く。
続けてアキラさんも気付いた。
アキラさんは、目が合ってから一瞬無表情になり、そして少し笑う。
困ったような笑顔。
その顔を見ると、私のお腹の上の方がまたキューっとなった。
アキラさんとトールさんと隣の娘、3人で私に近付いて来る。
「あの!」
私はそう呼び掛けた。そして、その声が思ったよりも大きかった事に驚いた。
私は気持ちを落ち着ける為に一度下を向いて、そしてもう一度前を見て言った。
「アキラさんと2人だけで話をしたいです」
アキラさんだけと話したい。他の人には、特に隣の娘には聞かれたく無いと思った。
「あ、私、外にいますね」
隣の娘は気を利かせてそう言って、サッとドアから出て行く。
それを確認して、アキラさんがトールさんを見た。
「ダメです」
アキラさんの無言の訴えに、トールさんがそう答えて目を細めた。
「何もしないから、ちょっとだけ・・・」
「絶対にダメです」
譲らないトールさんに溜め息を吐いて、アキラさんは私に向き直った。
「ちょっと訳あってトールは俺から離れられないんだ。部屋の隅っこに居させるよ。それで良いかな?」
アキラさんのその言葉を聞いて、トールさんは入口の方へと移動した。距離は離れている。これなら小声で話せば声は届かなそうだった。
私は頷いた。
それを確認すると、アキラさんは側にあった椅子を私の座るベッドのすぐ横に置いて座った。
視線の高さが合う。自然と見つめ合う感じになって、私は近距離でアキラさんの顔をじっくりと見詰める事になった。
サラサラの髪に、少し日焼けした健康的な肌。低めの鼻と小さ目の口は左右対称で整っていて、ダークブラウンの瞳は澄んで長いまつ毛に囲まれて細かく揺れている。濃くも薄くもない眉は適度な長さで角度もバランスが良く、目の上の正しい位置に鎮座している。
綺麗な顔立ち。文句無くカッコいい男の子。
「話したい事があるって聞いて来たんだけど、何かな?」
顔を見ていたらそう聞かれた。
私は、ビクッとなってしまった。
いざそう聞かれると、自分から何を言っていいのかが分からなくなってしまう。
と言うか、逆に質問攻めにされるかと思っていた。白い女の事や闘技場に荷物を運んだ事、あの『穴』の事を。
なのにアキラさんは、何も聞かない。聞かないし、ずっと気絶しててようやく目覚めたというのに、それについても何も言わない。
「えっと・・・」
私は、自分が呼んだというのに、どう話し始めていいのかが分からなくなってしまった。
せっかく来てくれたのに、どうしよう・・・。
焦れば焦る程、言葉が出て来ない。
そのまま私は、何も言えずに俯いてしまった。
アキラさんが言う。
「じゃあ、聞いてもいい?」
いつまでも無言な私に痺れを切らしたのかも知れない。下を向く私にアキラさんは言った。
「ユリアちゃんは、これからどうしたい?」
「・・・どう、って?」
「今後の身の振り方、かな。これからもあの食事処で働き続けるの?ライサちゃんと2人で」
あまりにも普通過ぎる会話に、私は顔を上げてポカンと口を開けてしまった。
『これからどうやって暮らしていくか』
自分のやってしまったが大き過ぎて、今後の人生についてなんて考える事すら思い付かなかった。
あんな事をしてしまったというのに、この先普通に暮らしていくなんて事が出来るのだろうか。
何も無かったように皿を洗い、料理を運び、お客さんからお金を貰い、失敗して怒られて、落ち込んで。そんな日々を送る事が、果たして正しいのだろうか。
いや、そんな筈はない。望んだ事じゃ無いとは言え、私は王様をあの恐ろしい『穴』に落としてしまったのだから。
「・・・そんな普通に暮らす事なんて、出来ないと思う・・・」
そう言う私に、アキラさんは「どうして?」と聞く。
「だって私、とんでもない事をしてしまった・・・」
「どんな事をしちゃったの?」
優しく聞いてくるアキラさん。
「マジールの王様を、『穴』に落とした・・・」
言葉にして言うだけで、胸の動悸が激しくなった。ついでに息も苦しくなってくる。
「そうだね」
アキラさんは、じっと私を見ながらそう言った。
「他には、どんな事をしたの?」
促されて、私は答える。走った訳でもないのに息が苦しかった。
「最初は、白い綺麗な女の人に「ズルいと思わない?」と声を掛けられて、「思う」って答えたの。そしたら「嫌なヤツを消す方法を教えてくれる」って言われたわ。荷物を届けてくれたらその為の『力』を上げるって。私、嫌だった。他の人が、後から近付いて来るのが許せなかったの。だから言う通りにして・・・。側に寄って来なくなるだけだと思った。危険な事だなんて思わなかった。知らなかったの、本当よ・・・」
そのまま、私はアキラさんに懺悔をするみたいに全部を話した。その間呼吸はずっと苦しくて。だから途切れ途切れで凄く聞き辛かったと思う。でも、アキラさんは最後まで聞いてくれた。
「分かった」
聞き終えるとアキラさんはそう言って、また困ったみたいな笑顔を浮かべた。
「で、どうしたい、かな?」
困った顔のままで、同じ事を聞いてくるアキラさん。
「どう、って・・・」
「とんでもない事をしてしまったって言うのは分かったよ。なら、そのとんでもない事をしてしまったユリアちゃんは、これからどうするの?やっぱり、今まで通りに食事処で・・・」
同じ事を繰り返し言おうとするアキラさんに、私は苛立った。
「だから無理だって」
言葉を途中で遮ってそう言ってしまう。
「何で?」
「だって、私犯罪者よ?この国の王様に危害を加えたんだから」
声が大きくなってしまった。
そんな私を諭すようにアキラさんは静かに言う。
「この国は、神様の行いには寛容なんだ。セシル王を『冥府』に落としたのは『アラベル』と言う名の神様で、ユリアちゃんに色々とやらせたのは『シュリ』と言う名の神様。全て、神様がした事だから君は罪に問われない」
「えっ・・・」
「嘘じゃない。マジールはそういう国なんだ」
それを聞いて私は、口を半開きにしたまま固まってしまった。
私に、罪は無い、の?
「君は今まで通りに、何事も無かったかのように普通に暮らしていけるよ。でも、君が荷物を運んだ所為で混合戦は滅茶苦茶になった。君が『冥府の門』を開いた所為でセシル王は居なくなった。今現在王妃のお腹にはセシル王の子供がいるけど、その父親を奪ったのは君だ。君は罪には問われない。でも、君が罪を犯したという事実は消えない。その罪の意識を背負ったまま、償う事も許されず、その一生を普通に生きていくしかない」
聞いているうちに、私の体は震え出した。
「いや、嫌よ、そんな・・・、許して・・・」
「許すも何も、罪に問われていないんだ」
利用されるだけされて、終わったら放置されて。結局何ひとつ得られなかった。
残ったのは罪の意識だけ。
「酷い、あんまりだわ!」
「酷いのはどっち?よく考えてご覧」
涙が出そうになって、頭から両手で顔を覆った。
私がどんなに辛い思いをしたか。どんなに怖かったか。
「何も知らないのに、偉そうに言わないで!」
気付いたら大声でそんな事を口走っていた。
そうよ、アキラさんは何も知らないんだわ。私がどれだけ悔しい思いをしてきたのか、私がどれだけ辛かったか。
「うん。俺は何も知らない(本当は全部知ってるけど)」
語尾に何かボソボソと言っていたが、良く聞き取れなかった。
「俺は知らないけど、彼女は多分全てを分かってくれるよ」
アキラさんがそう言った時、ドアがガタンと音を立てた。
トールさんがドアを見て、そしてパッと開ける。
と、隣の娘が前のめりになって部屋の中に倒れ込んで来た。
「ずっと君と一緒に居たんだ。幼い頃から横で君の全てを見て来た彼女なら、俺より君の全てを理解してる筈だよ。俺なんかよりも彼女に話すべきじゃないかな」
アキラさんが振り向き、隣の娘を見る。
私とアキラさんと、後トールさんに見られて青ざめる隣の娘。
「ごごご、ごめんなさい!盗み聞きとかじゃ無いんです。ただ、その、心配、で・・・」
しどろもどろの隣の娘が、私を見る。
「彼女にとって、1番大切なのはユリアちゃん、君だよ」
アキラさんが小声で言った。
私はアキラさんを見た。
アキラさんは笑ってた。困った笑顔じゃ無くて、自然な笑顔。
「名前、呼んであげなよ」
私は目を見開いた。
「ずっと名前、呼んでないよね。『隣の娘』じゃなくてライサちゃん、でしょ?」
『隣の娘』。それは、私が心の中で隣の娘の事を呼ぶ時の呼び名だった。
「何でそんな事を知って・・・」
アキラさんが私の肩を軽く叩いた。そしてトールさんを引き連れて部屋から出て行く。
後に残された私と隣の娘。
隣の娘が私を見た。
「・・・ライサ、ちゃん・・・」
隣の娘、ライサを、その名前を、呼んでみた。
その瞬間、胸の中にポッと何かぎ開いたような気がした。
温かい、花のような、太陽のような、不思議な何かが。
気が付くと、私は隣の娘、ライサの腕の中に居た。
「何?ユリアちゃん・・・」
私の名を呼ぶライサは泣いていた。泣きながら笑っていた。
ああ、私はなんて、遠回りをしたのだろうか。




