57、落ちて行く者
1本の鎖と俺1人、負担がそれだけになったノワが俺を引き揚げるのは早かった。
「ノワ!何で!」
俺とノワとの距離が近くなると、俺はノワの胸倉を掴んでそう問い詰めた。
「何でって、何がだよ!」
鎖を消し去って、ノワも俺の胸倉を掴み上げる。
『冥府の門』に引き摺り込まれないようにそこらの出っ張りに足を掛けながら、俺とノワは喧嘩腰で睨み合った。
「俺は、トールを助けろって言ったんだ!なのに何で俺を助けるんだよ!」
「だから言っただろ!あんな女信用出来ないって!実際3人を僕1人で引き上げるのは無理だったし、そもそも僕はアキラの護衛なんだ!アキラを守らなくてどうするんだよ!」
そう言われてしまうと、俺は何も言い返せない。
「大体アキラは、自分を何だと思ってる訳?自分が、守られるべき貴重な存在なんだって自覚ある?自分の我儘でハザンを追い返しといて、代わりに来た僕を何だと思ってるの?そりゃ僕は8歳だよ。その一点に関しては頼りないかも知れないけどさ、でも、近衛騎士団から正式に依頼されて来てるんだよ!もっと僕の事信用してよ!僕の判断をぞんざいに扱うなよ!」
ノワは、俺に向かってそう言いながら、その姿を大人のものから徐々にいつもの少年の姿へと変化させていった。声も、低い大人びたものから、少し高い少年のものへと変わっていく。
体が小さくなった分掴んでいたマントに余裕が出来て、俺はその手を離した。
何も言えないながらも、何か言い返したくて言葉を探す。
「でも、トールを助けてくれれば・・・」
トールが助かれば、最悪俺はユリアを抱えて何とか抜け出す方法を見つけ出せると思っていた。
ノワはエリスを信用出来ないと言うが、実際エリスはセーライ神殿で俺が『冥府の門』に落ちそうになった時に助けてくれていたし、例えエリスが助けてくれなかったとしても、咄嗟になれば俺が道を見つけ出せる、とも思ったのだ。
「トールは替えの効く近衛騎士なんだよ!こんな言い方は良く無いのかも知れないけど、人間に優先順位を付けるのは『神』としては抵抗があるけど、でも、護衛の任務を遂行する立場としてはさ、トールよりもアキラ、お前なんだよ!」
俺の言葉を遮ってヒートアップしていくノワ。言っている内容は同じ事の繰り返し。でも繰り返す事自体、ノワがそれを俺に分かって欲しいと強く望んでいるのだと強く伝わって来る。
それと共に俺の胸倉をグッと掴む力が強くなっていく。首が閉まって苦しかった。
「ゴメン・・・」
息がしづらくなる中、俺はノワに謝った。
別にノワを否定するつもりは無かった。俺の考えている事と、護衛の任務を遂行しているノワの立場とで衝突しただけだ。ノワは間違っていないし、己に課された任務を正しく遂行したに過ぎない。
これはアレだ。俺に信用が足りないって事だ。
俺の指示通りに動くよりも、自分の判断の方が確実だって思わせたんだ。
どう考えても、俺の力不足だ。
そう思って、俺はシュンとなってしまった。
けど、落ち込んでる場合じゃないな。
とにかく、ノワは俺を助けた。助けてくれたんだ。
「ノワ、ありがとう。助けてくれて」
助けて貰ったんだ。ちゃんと、感謝は伝えないとな。
俺がそう言うと、ノワの手が緩んだ。
「・・・うん。分かれば良いんだよ。分かれば・・・」
そう言って唇を尖らせて横を向くノワ。横を向きながらも俺の胸倉から手を離し、そしてその片方の手を俺に向かって差し出して来た。
仲直りの握手、だろうか・・・。
思って俺は、その手を握った。
するとノワは、俺の手をこれでもか!というくらいに強く握り返してくる。
「イテッ!」
ビックリして声が出てしまった。そんな俺を見てプッと吹き出すノワ。
そのノワの笑った顔を見て、俺も笑った。
苦い笑いだった。
「さて、3人は助かったが・・・」
私は、小さくなっていく『冥府の門』を見ながらそう呟いた。
貴賓席には私とライサと、ライサの膝に頭を乗せて気を失っているユリアと、生体兵器を背中に付けたまま、無反応に立ち尽くすトールがいた。
スッと風が吹いて、横にレーナがやって来る。
「シュリは逃げました」
そう報告するレーナ。
「見てたから分かるわ」
どうせなら『冥府の門』に落ちて終えば良かったのに。そう思いながらその黒い『穴』を見続ける。
何をどうやったのかは分からないが、『冥府』からアラベルが接触して来た。シュリに奪い取られた『時空の力』、それを人間であるユリアに付与され、勝手に使用された事に我慢がならなかったらしい。だから、取り返しに来たのだ。
アラベルは最初『時空の力』を持つユリアを連れ去ろうとしていたのだが、アキラに言われて思い直したようだ。
シュリの『力』諸共に奪い取る。と。
事の成り行きを見届ける為にシュリはすぐ側に居た。自ら張った『結界』に隠れて。その『結界』すらも、誰かから盗んだ『力』なのだろう。
難しい事では無かった。その『結界』からシュリを出すだけ。それだけで良かったのだ。
『結界』から出たシュリは、出た途端にアラベルに見付かった。引き寄せられて捕らわれて、そしてそこから逃れる為にアラベルに付与した。『色を取る』力、つまり他者の能力を奪う『力』を、だ。
アラベルはその『力』を使って、まずユリアに付与されていた『時空の力』を取り戻した。殺す事なくその『力』だけを取り戻したのは、『冥府』に落ちた状態ではユリアを殺す事が不可能だったからなのかも知れない。
そしてシュリからも奪った。
シュリの持つ多くの『力』、ほぼ全部の『力』を。
アラベルは奪い取って満足したのか、そのまま『冥府』へと戻って行った。
残ったのは、もう何の『力』も持たないシュリだけ。
戻ったとしても何の役にも立たない状態のシュリを、アイツらはどうするのだろうか。
「あのっ、」
思案していると、ライサが声を掛けて来た。
見ると、膝にユリアの頭を乗せたまま不安そうな顔をして私を見ている。
「ありがとうございます。ユリアちゃんを助けてくれて。それで、その、ユリアちゃんは大丈夫なんですか?ずっと気を失ってるみたいなんですが」
「・・・」
私は、首を傾げつつレーナを見た。
「アラベルの精神に体を使われていただけでしょう。幸い体に負担の掛かる『時空の力』はもう無いですし、そのうち気が付くと思われます」
過ぎた『力』は人間を蝕む。『時空の力』は人間が扱うには大き過ぎる『力』なのだ。
レーナのその言葉を聞いて、ライサは安心したようだった。
「それよりも」
レーナはそう呟いて、未だ閉じ切らない『冥府の門』を見た。
変わらず激しく周囲の空気を吸い込み続ける真っ黒い『穴』に向かって、2人の男が1本のロープを頼りにぶら下がっていた。
「閉じるのが先か、或いは・・・」
レーナの声は途中で止まる。その先は言わなくても分かる。
1人落ちるか、2人落ちるか、だ。
その時だった。
“どうか・・・!”
私の元に、強い祈りが届いた。
切なる祈りは人間の女のもの。耳で聞こえるのでは無く、私の本能が感じ取るのだ。
どうもこの世界に居ると、行き交う人々の強い祈りを拾い上げてしまう事がある。大概は無視出来るのだが、久々にとんでもない強さの祈りを喰らった。
「王妃様、危のうございます。どうかお下がりください」
男の低い声が、慌てた様子でそう言うのが聞こえてきた。方向は、今いるこの貴賓席のちょうど正面。会場を挟んだ向こう側の、セシル王が先程護衛兵を2人殺した対面する貴賓席だった。
そこに、祈りを捧げる女が居た。
“どうか、お助け下さい。あの方が助かるのなら、私はどうなっても構わない!”
護衛兵が止めるのも構わず、前のめりになって下を覗き込んでいるのは王妃、エトワール。
強く助かる事を望む相手は、自らの体にロープを結び付けて、セシル王が落ちて行かないように支え続けるグレイクである。
そして、
“どうかどうか、あの方がこのまま落ちて帰らぬ人となりますように”
両手を組み合わせて、必死に助からぬよう祈る相手は、王妃の夫であるセシル王だった。
何が、どうなっているのやら。
そう思いながら、私は特に手を出さずに成り行きを見守った。
自分が兄であるセシル王を助ける、と豪語したグレイクは、成す術もなくロープにぶら下がっているだけだった。
そのロープにも限界が近い様子だ。結び目に程近いところ、支える力を強くする為に敢えて通した柱と擦れ合わさる点、そこからロープが少しずつ切れ始めている。細い繊維が1本、また1本と切れて行く。
『冥府の門』は、その入り口をどんどん狭めて行く。『穴』が小さくなるにつれて狭まるスピードは加速しているようだった。
と、とうとうロープが切れた。
ハッとライサが息を飲み、正面の貴賓席では王妃が顔を覆って後ろに倒れた。それを支える護衛兵。
ノワに引き上げられたアキラは、その位置からノワに支えられたまま手を伸ばし、切れてしまったロープを掴もうと試みる。
が、寸前で届かない、
アキラの手が空を切り、下に向かってグレイクの名を叫んだ。
落ちて行くグレイクとセシル王。
セシル王の方が先に『冥府の門』に達した。
『穴』の大きさはギリギリ人1人が通り抜けられる程度の大きさだった。
グレイクがセシル王を蹴り、その軌道をずらして穴から離す。2人が左右に分かれて、セシル王、グレイクの順に床に落ちた。
落ちたセシル王が、床の上を滑るように『穴』に向かって、そして・・・
・・・落ちた。
グレイクはと言うと、落ちたと同時にその身に巻き付くロープが蛇の様にうねり、片膝を突いた途端にあらぬ方向へと引っ張られて『穴』から程遠いところに叩き付けられてしまっていた。
激痛であろうその痛みに耐えたグレイクがすぐさま立ち上がって『穴』に向かう。滑るように駆け寄って手を伸ばしたその瞬間、『冥府の門』が完全に閉じた。
「・・・兄上、兄上ーーーーー!!」
舞い上がった埃と共に、グレイクのその悲痛な声が床に落ちて行ったのだった。




