56、『時空の力』を返す
「ならば、アキラとトールのうち、ノワが助けられない方を助けろ。娘、お前は友人を助けるよう頼め。兄上は私が自分で助ける」
グレイクはそう言うと、レーナに娘を任せて手摺りから飛び降りた。
「兄上、とは?」
剣闘士の兄とは誰だろう?と、疑問を口にすると、レーナが答えてくれた。
「消去法でセシル王の事ですね。という事は『グレイク・ガティ』イコール『王弟リグラン・ド・マジール』という事になります」
「成る程、そうか」
相槌を打ち、再び双眼鏡を覗き込んだ。
「レーナもあの剣闘士も頭の回転が速いな。聡い者は嫌いじゃない」
一瞬で全員を助ける方法を言ってのけたグレイクに感服し、私は会場を見下ろす。
「・・・が、真面目だな。面白みの無さそうな男だ。どうなるかしばし様子を伺おう。娘、」
横の娘に呼び掛ける。娘は無言のまま私を見た。
「名は?」
「・・・ライサ、です・・・」
「下の娘は?あの、アキラに抱えられてる方」
双眼鏡を覗き込んだままで、私はその娘を顎で示した。
「・・・ユリア、ちゃん・・・」
そう答えるライサ。
グレイクはライサに、友人であるユリアを助けるよう私に頼め、と言っていた。人伝に頼まれるより、横にいるのだから本人から直接頼むのが筋だろうと思ったのだが、その声の様子から、何やらただならない雰囲気を感じてしまう。
私は双眼鏡から一旦目を離し、ライサを見た。
その顔に浮かぶのは、複雑な表情。
ライサの目線の先を追う。アキラにギュッと抱き抱えられているユリア。グッタリとした様子、アキラに縋り付くように力無く服に掴まる手。
ああ、嫉妬だな。
ピンと来た。ライサはアキラに好意を持っている、と。
大好きなアキラが、他でも無い自分の友人を抱き抱えている。その事実を受け入れたく無いのかもしれない。友人なのだから助けたくない訳ないのに。
助けたい。でも許せない。助けたく無い。そんな事出来ない。
相反する感情に板挟みにでもなっているのだろう。
人間の女とは、めんどくさいものだな。
私は、先程自分が生体兵器に対して抱いていた感情を棚に上げて溜め息を吐いた。
そして改めて聞く。
「ライサ、ユリアを助けて欲しいか?お前の口から聞かせて貰おう」
「・・・」
無言のまま、ライサは頷いた。そしてそのまま頭を下げる。
「・・・お願い、します・・・」
葛藤の末に選んだのが、全てが丸く収まる道だった事に、私はライサの強さを見た。
この娘は、広い視野で物事を図る事が出来る。納得出来ないまま流されるのでは無く、自分の感情と現状をきちんと天秤に掛けて我欲を抑えられる。
まだ若いのに大したものだ。
「良いだろう」
ニヤリと笑って、再び双眼鏡に目を戻した。
悪く無い。
だが、その前に・・・。
思って私は、双眼鏡の位置をずらして会場の一角を見る。そこに見える白い影。
聖女の娘でアラベルの姉、シュリだ。
「まずは、アラベルに手を貸す、か」
呟いて、私は手を伸ばした。
『冥府の門』の吸い込む力が増して行く。街中に現れた時よりもその力を強いと感じるのは、俺の気の所為じゃ無い筈だ。
あの時は、落ちていきそうになっていたトッドを、ノワと2人縁に掴まって引っ張り上げる事が出来た。けど、今この状態で同じ事が出来るか?と聞かれたら、出来ない、と答えるだろう。
ジリジリと少しずつ近付いて来る『冥府の門』。俺は、俺達が落ちないように『闇色の鎖』を掴むノワを振り仰いだ。人目を憚らずガッと脚を開き、めいいっぱい踏ん張って4人を支えるノワ。
顔を隠すフードも外れて丸見えの顔は真っ赤で、余程力んでいるのだろう、両頬にめいいっぱい空気を溜め込んでリスみたいになっている。喋る余裕も無いのだろう。いつも無駄口ばかりなのに静かだった。
「ノワ!」
そんな余裕の無いノワに俺は呼び掛けた。別にいじめているつもりは無い。いや、ちょっとはある。かも知れない。
いっぱいいっぱいのノワに無理をさせたくなってしまうのは何故だろうか、と聞かれたらこうだ。
面白いと思ってしまうからだ。
まぁそれはさておき、このままだと全員『冥府の門』に引き摺り込まれてしまうので、何とかしようと思っての事だ。別に意味無く呼び掛けている訳では無い。
目を閉じていたノワが、何だ?と言わんばかりの感じで目を開けて俺を見た。
目が合う。
目と目が合った瞬間、俺はノワの視線を掴み取った。そして、ノワの時を進める。
俺の中に溜まりに溜まった『過去』。その代償としての『未来』をノワに付加する。
ノワの瞳の中に長針と短針が現れる。それがタイミングをずらして右回りに回り出した。長針が1周すると短針が少し進む。繰り返し繰り返し回るに連れて、そのスピードが上がっていく。
ノワの髪が伸びた。伸びて伸びて、その都度『冥府の門』に流れ込むようにこちらに向かって来る。手足も伸びる。長く、太く。力強く。それに合わせて『闇色の鎖』も太くなった。本数も増える。1本だったのが2本になり、そして4本になって、1人1人をしっかりと捕まえる。
「先に・・・」
ノワが、今までよりも低い声でそう言う。
「何だ?」
聞き返す俺。
ノワはそれに、キレ気味で答えた。
「先に何をするのか説明してよね!」
言って、そして力一杯『闇色の鎖』を引く。俺達の体が『冥府の門』から遠ざかる。
良いぞ。成長した未来のノワならば、俺達4人を引っ張り上げる事が出来そうだ。
と、思ったのだが、そう上手くは行かなかった。
『冥府の門』が、大きくなり始める。面積が増えて、それに比例して引き込む力も強くなる。
そして、驚くべき事が起こった。
ポッカリと開いた黒い空間から、にゅっと白い手が出て来たのだ。
ほっそりとした綺麗な手だった。それが、水面から伸び上がるみたいにそっと現れて、おいでおいで、と手招きをする。
ホラーだ。
ゾッとして顔が青ざめるようなその動きに合わせて、引き込む力が強くなる。それに慌てたのか、活性化したトールがセシル王に掴み掛かった。そんなトールに怒りが沸いたのか、セシル王がトールを強く掴み上げる。トールが吠えてセシル王を振り落とそうとし、それに抵抗してセシル王が吠えながら更に強く掴み上げる。
悪循環だ。
鎖が揺れて、ひとりひとりがバラバラになって、ノワを起点にして振り子のように揺れた。揺れる度に全員がズル、ズル、と下がって行き、特にトールとセシル王に繋がる2本に限っては、2人が交差するように近づく度にそこで掴み合いの乱闘が起こり、俺とユリアの鎖よりも大幅にグッと下がって行った。
「ちょっ、もう。これじゃ引き上げるどころじゃ無いんだけど。アキラ何とかして!」
ノワが泣きそうな声でそう言った。
今俺に何が出来るだろうか?
とりあえず俺は、トールの活性化を解いてノワの負担を減らす事にした。
今は棘云々よりも『冥府』に落ちない事の方が優先だ。何しろあそこは一方通行。落ちたら最後、2度と戻って来れないのだから。
「レニアⅩⅤ、トールに刺した棘を抜いて活性化を解いてくれ!」
俺は『魔鈴』を鳴らしながら、トールに向かってそう叫んだ。
言われた通りに棘を抜くトール。その活性化が解けてトールの姿が普通に戻った。
「こ、これは・・・」
現状を掴みかねて、呆然とするトール。でもまだレニアⅩⅤの支配下にあるので体は動かない。
トールの声が弱々しく響いたその時だった。
『・・・お前、私に説教垂れたあの勇者か・・・?』
アラベルの声が頭に響いて来た。
声の出所を探って横を見ると、まだユリアは気を失っている。ユリアの体を使っていたのは『冥府の門』を出現させるその時迄だったらしい。
その声の出所はあの白い手の方向。『冥府の門』からだった。
俺は、自分に向けて言われたと思うその声に「ああ」と答えた。
『やっぱり!聞き覚えのある声だと思った。お前とはいずれゆっくり話したいと思っていた。お前、あの時は・・・』
と、アラベルの声が徐々に小さくなっていく。それと共に白い手も少しずつ『冥府の門』に沈んで行く。
『ちょっとセーライ!しっかりしてよ!』
白い手が床の縁をバンッと叩いてそう言った。と、低い男の声が響く。
『アラベル、長く、保たない。急いで』
多分それは、セーライの声。
詳しくは分からないが、『冥府』に落ちたアラベルを、同じく落ちたセーライが支える事によって今の状態を保っているらしい。こちらもギリギリだが、あちらもギリギリみたいで、お互いに今の状態を長く保持する事が困難なようだ。
『くっ、では手短に済まそう。勇者!その娘を渡せ。私の力を勝手に使うのは許さない』
アラベルがそう言う。俺は横を見て、気を失ったユリアの顔を確認する。
ユリアを渡すなんて出来ない。
「ユリアは望んでお前の力を使った訳じゃ無いんだ。恐らく、上手く言いくるめられて無理矢理やらされたんだと思う」
俺がそう言うと、アラベルは考え込むように少し間を開けて呟いた。
『・・・姉様か・・・』
と。
確証は無いが、多分それは正解。
アラベルの姉と言うのが、あの白い女なのだろう。そして、その白い女が暗躍して、セーライ神殿での事件を起こさせ、そして今度はエデンの闘技場でも事件を起こしている。
だから、ユリアは被害者に過ぎない。しかも、セーライ神殿の時のニルや神官達とは違い、まだ大きな罪は犯していない。
「ユリアは何も悪く無いんだ。だからアラベル、お前に彼女は渡せない。欲しいんなら『力』だけ取ってけよ」
そう言った俺に、アラベルは言った。
『力を奪う技を私は持たない。それが出来るのは姉様だけ。かつては私も出来たが、今は姉様に奪われてしまった。『時空の力』と共に』
そうか。でも、だったら・・・、
「お前の姉貴、そこに居る白い女だろ?だったら姉貴に力を取り戻させれば良いじゃないか。そもそもユリアだけ連れてったって、お前じゃ力を取り戻せないんだろう?」
俺がそう言った時、誰かの悲鳴が聞こえた。
その声の方を見ると、そこには白い女が居た。
明かりの当たらない会場の物影、その影から誰かに押し出されてスポットライトを浴びるみたいに光に照らされる。押し出した手は女の物。あのガッシリとした大きな手は、恐らく1枠のレーナ。
白い女が会場の光の中に踏み出した途端に、彼女の気配を感じるようになった。結界とか何か、そういうものの中に隠れていたのだろう。
とにかく、彼女の存在が文字通り明るみに出た。
そこに居る全員が(セシル王までも、だ)白い女を見た。勿論、アラベルも気付いた。
『姉様・・・!』
アラベルの声が低く響く。
「ひっ、ひぃ!」
白い女の悲鳴が上がる。
刹那、白い女が凄い勢いで『冥府の門』に引き摺り寄せられた。一気に白い手に迫り、その手に掴み取られてしまう。
『返せ、返せ返せ返せ返せ返せ!』
「や、やめて!分かったわよ、返す、返すわよ!だから、離して!」
もがきながらそう言う白い女。
ブワッと、白い女から『力』が抜け出て、アラベルの白い手に掴み取られるのが見えた。そして、白い手がユリアに向かって開かれると、ユリアの中から『時空の力』が抜け出て行くのが見えた。
一瞬、『冥府の門』に浮かぶ白い手から、安堵のような満足のような、そんな感情が流れて来た。
それが消えると、白い手がパッと消えた。
途端に、引き摺り込む力が強くなった。その場の全てを飲み込もうとするブラックホールみたいに。ゴーッと大きな音を立てて、空気からゴミから、何から何まで吸い込んで行く『冥府の門』。
『はぁ!?ちょ、ちょっと待ちなさいよ・・・!』
白い女が慌てた様子でそう言った。そして、周囲を見回して舌打ちをしてシュッと小さくなる。豆粒みたいな光の点になった白い女は、そのまま虫みたいにピュッと飛んで空へと消えて行った。
後には、縮み掛けた『冥府の門』ともの凄い吸引力と、吸い込まれ掛けている4人とそれを食い止めるノワが残された。
危機は変わらず、ただ、意識の無いユリアが普通の少女に戻っている筈だ。
「ねぇ、状況変わんないんだけど」
ノワが苦しそうにそう言う。
その時、俺の横を人影が通って行った。その人影にはしっかりとしたロープが繋がれていて、その先端は頑丈そうな会場のメインの柱に結び付けられている。
人影が、セシル王の元に届いてガクッと止まる。見ればそれはグレイクで、活性化したままのセシル王を背後からしっかりと抱き込んで捕まえた。
「ノワ、兄上は私が助ける。それから、その娘ともう1人を、あの戦利品の女が助けるそうだ。だからお前は、アキラかトールのどちらか1人だけを助けろ。そうすれば全員助かる」
戦利品の女と言うのはエリスの事だろうか。
どうやらグレイクは、俺達がここでテンパっている間に色々動いてくれていたらしい。何と言うか、流石出来る男だ。
「えっ!それ、本当なの?本当にあの女がそんな事言ったの?」
疑いを拭えないノワがそう聞く。
けど、この状態で何かを選んでいる余裕は無い。下手したら全員冥府に落ちてしまう。
そう思って俺はノワに言った。
「ノワ、トールを助けてくれ。俺はユリアと一瞬にエリスに助けて貰う」
「・・・」
俺のその言葉を聞いて、ノワは無言だった。
周囲のガラクタや観客達の忘れ物、細々した備品やらが大方吸い込まれ切って、『冥府の門』には今、空気だけが吸い込まれている。
穴は徐々に小さくなって行き、それでも弱まらない吸引力に、俺とトールとユリアの3人が接近して行く。セシル王はグレイクと共に同じ位置で動かない。
「ノワ!早く!」
俺は叫んだ。
そして、ノワが動いた。
2本の『闇色の鎖』が消えて、1本だけが残る。その残った鎖が引き上げられて行く。
俺の、鎖だけが、ノワに引き寄せられた。
「えっ!何でっ・・・!」
叫ぶ俺。それに答えるようにノワが叫び返して来る。
「あんな女、信用出来る訳無いだろ!この中で誰か1人だけを助けるとしたら、アキラ、お前一択だよ!」
その声を聞きながら、俺はユリアとトールを見た。
鎖という支えを失って、『冥府の門』へと加速して落ちて行く。
その途中、透き通った柔らかい光が見えた。
その光は、もの凄い勢いで流れる空気の層を全く無視した優雅な動きでユリアとトールに近付いて、そして2人を巻き取るように包み込んで『冥府の門』から離れて行く。
ノワの鎖に引き上げられながら、俺は安堵の溜め息を吐いたのだった。




