34、届ける
気が付くと、見知らぬベッドに寝ていた。深く被った掛け布団を剥ぐと、すぐ横で丸椅子に座り、本を読んでいる隣の娘がいる事に気付く。
「・・・」
少しの間、何も分からなかった。けれども、ボンヤリと、本を眺めてゆっくりとページを捲る隣の娘を見つめているうちに、色んな事が思い出されて来た。
休憩時間に荷物を届けようと、1人で闘技場に向かった事、客の1人が私を待ち伏せいていた事、裏の通りで突然地面に穴が開いて、引き摺り込まれそうになった事。
そこまで思い出すと、その時の恐怖心が蘇って、体が震え出しそうになった。震えを抑える為、掛け布団の端をギュッと強く握る。すると、シュッと衣擦れの音が鳴り、隣の娘が私を見た。
「あ、ユリアちゃん!良かった」
そう言って持っていた本を閉じて棚の上に置き、私の顔を覗き込んでくる。
「どこか、痛い所とかある?」
心配そうな顔で聞いて来る隣の娘。私は首を左右に振って、大丈夫な事をアピールした。そして、周囲を見回して聞く。
「ここ、どこ?」
「お店の2階よ」
そう言ってやんわりと笑って、今までにあった事を教えてくれた。
店の裏で、店内で私に声を掛けていた客が突如地面に開いた穴に引き摺り込まれた事、それを連絡船の中で魔物から私達を助けてくれた3人組のうちの2人が助け、そのすぐそばで気を失っていた私をもう1人が助けてくれた事。
ひと通り説明すると、隣の娘は私にもう少し寝ているように言って、自分は夕食時の忙しい店を手伝ってくると言って、下の階へと降りて行った。
扉が閉まり部屋に1人になると、私はポケットの中に手を入れた。そこにある小箱を確認する。
届けに、行かなくては・・・。
思って私は、ベッドからそっと抜け出した。
階段を降り、踊り場で店内の様子を見る。
流石は夕食時。客の入りは多く、厨房の店主も、イールも隣の娘も忙しそうに動き回っていた。
姿勢を低くして進めば、見つからずに外に出られそうだ。
フロアを移動するイールと隣の娘の位置に注意しながら、私はコッソリと正面の入り口の方へと向かう。
その時、ひと組の客が大声で話し始めた。ギョッとなりそちらを見ると、それはなんと例の3人組で、私はビックリして一瞬固まってしまった。が、彼等に周囲の視線が集まっている事に気付くと、逆にチャンスだと思い急いで移動し始める。
3人組から離れて壁際をぐるりと回り込み、もう少しというところでの事だった。新規の客だろうか、1人の男の人が入店し、あろう事かその3人組に向かって大きな声で呼び掛けたのだ。
「あ、やっと見つけた!もうお前ら足速いよ」
背の高い若い男の人だった。どこかで見た事があるような気がする。
日に焼けた肌に、同じく強い陽射しに焼けたであろう薄い色のパサついた髪。長く伸ばしたその髪を後ろでひとつに結っていて、後れ毛がシャープな顎のラインに掛かって、何だか妙に色っぽい。
その色っぽさで思い出した。彼も船に乗っていた人だった。しかも乗組員ではなかっただろうか。船内を見回り、横付けした例の船に、3人組と一緒に乗り移って行く姿を見た気がする。
「あ、ゴーシュ・・・」
フードの少年がその色っぽい人に向かってそう呟き、船室で私達を助けてくれた少年が「あっ」と言って立ち上がった。
このままじゃ見つかっちゃう!
私は慌てて引き返して、3人組の後ろ側に回り込んだ。
入り口が遠くなってしまったけど、ゴーシュと呼ばれた人が3人組のいる席まで来るだろうから見つからない為には仕方が無い。
姿勢を更に低くして、人の動きが落ち着くまでの間、そこでじっとする事にする。
心臓が痛い位に強く速く動いているのを感じる。
ドキドキドキドキ、無意味だけどもその回数を数えてしまう。
と、頭上から声が聞こえてきた。
「アキラ、ありがとう」
少し顔を上げて見ると、それはフードの少年の声のようだった。
店内の喧騒にかき消されてしまいそうな小さな声。多分、彼の前にいる、私達を助けてくれた少年、アキラさんにしか聞こえてはいないだろう。
「え?何が?」
それに答えるように同じ音量の声で聞き返すアキラさん。
「僕、産まれて来ない方が良かったんじゃないかって思っちゃった。ちょっと、ちょっとだけね。でも、アキラが今言ってくれた言葉でさ、そんな事ないって思えたんだ。だから」
フードの少年の声は、もじもじとして照れた様子が思い浮かぶ可愛らしい声だった。
「なんて言うかさ、自分にとって大きな意味を持つような大事な事って、急に来るんだよな。何の心構えもない状態で。寝耳に水って言うの?とにかく突然。だから、上手く自分の中で消化出来なくて、ちゃんと理解出来なくて、それで間違った方向に考えがち。そういう時はさ、そばに居た全然関係ないヤツの意見を聞くのが良いんだよ。事情を知らないヤツの方が、一般論を言ってくれる」
アキラさんが、フードの少年に向かって丁寧にそう説明をした。
「てか、大きい声出してゴメンな」
最後に謝る姿を見て私は、ドキドキと早鐘を打っていた心臓が静まって行くのを感じた。アキラさんの言葉を自分の中で反芻する。
『自分にとって大きな意味を持つような大事な事って、急に来るんだよな』『上手く自分の中で消化出来なくて、ちゃんと理解出来なくて、それで間違った方向に考えがち』『事情を知らないヤツの方が、一般論を言ってくれる』
その言葉が、ひどく私の心をざわつかせた。
「なになに?誰かの人生相談か何か?」
色っぽい人、ゴーシュさんがやって来て話に混ざる。
「ゴーシュには教えないよー」
フードの少年が、舌を出しながら意地悪にそう言い返す。
ハッと気付くと、店内の人の流れが落ち着きを取り戻していた。
盗み聞き、してる場合じゃない。
私は、そのままそっと正面入り口から店の外へと出た。
店の外へ出てしまえば、闘技場まではあっという間だった。
けれども、建物へと続く前庭に入る為の外門は閉ざされていて、内側では案内板や人員整理の為のロープ等を片付ける従業員が慌ただしく動き回っている。
部外者が中に入るのは難しそうな感じに見える。
・・・どうしよう・・・。
受付で「シェリの使いだ」と言い、紹介された男に小箱を渡す。
たったそれだけの簡単な事の筈なのに、そのやり方が分からない。
明日、闘技場が開いている時間に出直そうか?
一瞬、そう思って来た道を引き返そうかとも思った。が、今日ですらここまで来るのにこんなに苦労したというのに、日を改めてまたここに来ることが出来るのか。まずそこが疑問だった。
今やらなきゃ。
思ってグッと手のひらを握る。
その時、閉じられた門の内側の、すぐ目の前を通り過ぎる人がいた。
あっ、と思い、私は勇気を出して声を掛けてみた。
「あの・・・」
しかし、その声は小さ過ぎて届かなかったのか、門の前を通る人はそのまま行き過ぎてしまう。
ああ・・・聞こえない。どうしよう・・・。
泣きそうな気分になりながらも、私は覚悟を決めてもう一度声を掛けた。さっきよりも大きな声で。
「あの、すいません!シェリ、さんの使いの者なんですが・・・」
緊張のあまり尻すぼみになる声。だが、門の前を通る人が気付いてくれた。立ち止まって左右を見回し、そして振り返る。
ひどく痩せた、黒髪の小さな男の人だった。
その人は、私を見付けると駆け寄って来て、そして門を挟んで向き合った。
「・・・」
疑うような目付きで私を見てくる。無言。とても嫌な感じのする人だった。
その人がそのまま、門の隙間から手を出してくる。手のひらを上に向けて、指先を何度か自分の方に曲げる。
よこせ。
そう言っているように見えた。
「えっと・・・」
私はそう呟いて、その男の人を見る。
この人に渡して良いのだろうか・・・。分からない・・・。
迷っていると、男の人は舌打ちをして、「早く渡せ」と小声で言ってきた。
怖い・・・。
泣きたい気分になった。
と、突然、腕を掴まれて門に引き寄せられた。
ビクッとなって腕を見ると、男の人の反対側の手が別の隙間からこちら側に伸ばされていて、それで私の腕を掴んで引っ張っていたのだ。
「早くしろ」
再び催促するようにそう言われる。
私は、恐怖で震えながらポケットの中に掴まれていない方の手を突っ込み、そこから小箱を取り出して男の人の手に押し付けた。
受け取った男の人は、小箱を持った手を引き抜いて改めて確認し、私を見てフンッと鼻を鳴らしてから背を向けて去って行った。
残された形になって、私はひどく嫌な気分になった。歯を食いしばり、込み上げてくる涙を堪える。
悔しい。悔しい悔しい悔しい悔しい!
大声で叫びたい気分を押し込めて、身を翻して店へと駆け出した。




