王の花嫁探し3
父親が消えた辻馬車の扉をバウム家の女性陣は不安げに見ていた。
軍管轄の臨時乗合馬車を降りたバウム一家は、辻馬車を拾い、王都に出た時にバウム氏が利用する定宿に向かった。
高級住宅地ではないがそれなりに治安の良い地域にあったその宿とその周辺の宿は、実家から独立した子爵以下の下位貴族出身の若者が長期滞在に利用していることが多い。余談だが、彼らは今回の王の花嫁探しでちゃっかりと部屋を又貸しし、一時的に実家に戻って小金を稼いでいる。
バウム氏はいつものように定宿で手続きをしようとしたが、生憎の満室で、周辺の宿にも問い合わせたが同様だった。
本来、貴族やそれに準じる階級の旅は、使用人を先触れとして派遣し、宿の部屋や替え馬の準備をさせるものである。折角、宿に着いても満室だったり、同時に飛び込みで高位貴族が入ってくれば、断られてしまう。部屋を確保し、スムーズに宿に落ち着き、居心地良く過ごす為には必要なものなので、紳士は家族や女性連れの際には宿の手配を行う。
男性のみの場合は、居心地を優先するかしないかの問題なので、先触れを必要としない場合もある。バウム氏は金銭的な理由もあるが後者であった。
バウム家の今回の旅に関しては乗合馬車なので、宿の手配は一切できない。そしてバウム氏は定宿の長期滞在者や知人に滞在の問い合わせをしていなかったので、一家は普段なら出入りしない地域にまで宿を探しに行くこととなった。
しかし、娘たちに見せたいとは思えない地域なので、バウム氏は定宿のある地域を出る時に辻馬車の窓の擦り切れたカーテンを引き、娘たちの目に触れないようにした。
「ねえ。お姉様、見た?」
父親が辻馬車を降りていく際に見えた外の様子を目を丸くして見ていたレモンが言う。
バウム氏の定宿に着き、相次ぐ馬車からようやく解放された姉妹の目の前で宿泊を断られた。母親が宿の従業員と辻馬車の御者に荷物を運ぶよう、指示を出している時だった。
そこで仕方なく荷物を辻馬車に戻し、次の宿に向かう。次からは父親だけが宿との交渉の為に馬車を降りるようになった。
「なあに? レモン」
妹の様子に嫌な予感を感じたメリッサは、できるだけ興味なさ気に言った。
「この辺り、ゴミだらけよ。道や壁は薄汚れて、汚いし、こんな場所に本当に泊まるの? 変な虫にでも刺されないかしら? ホラ、見てよ」
バウム家の下の娘は席から立って、辻馬車の窓に引かれたカーテンに手をかけて開けようとする。
下の娘が仕出かすことに気付いたバウム夫人の顔色が悪くなる。
顔を引き攣らせたメリッサは母の言葉を聞かぬうちに席を立ち、カーテンを掴もうとする妹の手首を掴む。
「レモン、やめなさい! お父様が開けるまでカーテンを開けてはいけません」
父親と違い、子どもの教育を一任されている母親は、夫の影に隠れている大人しいだけの人物ではなく、子供を叱り、罰を与える恐ろしい存在でもあった。
レモンは唇を尖らせ、自分の手首を掴む姉を睨む。
「お姉様だって見れば、頷かれるはずよ。絶対、このあたりの宿だったら、シーツにダニがいるわ。あたし嫌よ、そんなシーツで眠るなんて」
「レモン!」
メリッサは黙るように願いながら妹の名前を呼ぶ。
姉としてはレモンの中で父親は見かけどおりの頼りない人物という印象にならないようにしたい。
「だって、あたしは舞踏会で王様に見初められて、王妃様になるのよ。ダニのいるシーツでは寝られないわ。将来、ダニのいるシーツで眠った王妃様だなんて言われたくないもん」
小さな胸を張って言う妹の演説にメリッサはブフッと吹き出す。バウム夫人も顔を和らげて言う。
「レモン、舞踏会の招待状はどうするの?」
「あたしには招待状なんて必要ないの。舞踏会に行けば、誰が王妃様にふさわしいか一目でわかるもの」
自分で言っていることに笑いを堪えるレモンだが、その顔は家族の目でなくても見惚れるほどの美貌で、金の髪とその青い目は母親似だ。顔立ちも母親似と言っても良いが明らかに数倍は美しい。頼りなく見える父親似のメリッサの顔立ちも、性差を別にしても格段にレベルが違う。
姉妹二人は両親より数段は整った容姿をしていたが、レモンは別格だった。
しかし、レモンには舞踏会の招待状は来ていない。
「それもそうね。レモンが参加できる年齢だったら、絶対に王様の花嫁に選ばれるわ。ねえ、お母様」
「そうね、メリッサ。レモンが参加できないのが残念ね」
バウム夫人は話題が変わったことに安堵して笑顔を見せる。
そして下の娘に招待状が来なかったことが心から少し残念だった。招待状が来ていれば、レモンも王宮の舞踏会という夢の場所に行けたのだから。
「お母様もお姉様もそう思うでしょ。あーあ、なんであたしには舞踏会の招待状が来なかったのかしら?」
「レモン。流石に王様も結婚年齢に達していない娘を花嫁の対象に出来ないわ」
「お母様の言うとおりよ」
「でも、お茶会には参加できるもん」
頬を膨らませて抗議するレモンが母親と姉にとって可愛くて仕方がない。
「それは社交に出るための練習なのよ、レモン。都会は更にしきたりが多いから、結婚相手を探すにしても近場のほうがいいわ」
母親の言葉にレモンは素直に尋ねる。
「どうして都会のほうがしきたりが多いの?」
「参加者がいつもの顔馴染みだけじゃなくて、外国の人や国の有力者が多いからよ。地位がないからといって影響力もないとは限らないし、逆に地位があるからといって皆に好かれているとも限らない。皆に好かれている人の意見は好意的に受け止められるけど、嫌われている人は悪意を持たれるものなの。都会では都会のしきたりがあって、それを知らないと悪意を持って接せられるのよ。その人が影響力のあるなしも気付かずに間違って対応すると、それもまた悪意の対象になるの」
説明の途中から理解することを諦めたレモンは途方に暮れた顔をしている。
「・・・難しいのね」
「一言で言えばね」
苦笑する母親の様子にメリッサは興味を惹かれた。
「お母様も失敗したの?」
「お母様は都会に出なかったから、大丈夫だったけど・・・。従姉妹が失敗したの。彼女そのせいで結婚どころか、引き篭ってしまって、今では立派な売れ残りになって、ご両親の館の離れで暮らしているわ」
都会には都会の人間関係や権力闘争があるのだが、田舎貴族のバウム家には縁がない。バウム夫人も同様の家柄で、偶然、都会の社交界に出入りした従姉妹が、不慣れな都会の社交界で有力者の後見も受けられずに失敗させられたのだ。
もし、とバウム夫人は思う。
もし、あの時、従姉妹が後見を受けられていれば、都会で結婚相手は見つけられなくてもオールドミスにはならなかったに違いない。
しかし、近場で結婚相手を探せぬほど、バウム夫人の従姉妹は心に傷を負わされた。
思い出すだけで、バウム夫人の表情は険しくなる。
「そんな・・・」
「・・・」
姉妹は絶句する。
メリッサは強張った顔で、同じ表情を浮かべる妹と目を合わせる。
「都会って怖い・・・」
ポツリと姉娘の口からこぼれた言葉に、バウム夫人は頷く。
「そうね。でも、・・・」
辻馬車の外で言い争う声に、バウム家の女性陣は眉を顰める。その声はバウム氏のものではないが、激しく言い争っている。片方は怒鳴り声といってもよく、もう一方も取り付く島もない冷淡な声である。




