44.東屋から繋がった真実
「その後の数年は両親にとってまさに地獄だったそうだな…… 君の予知は以来『悪い未来』しか紡ぐことはなく、次から次へと、目が合った者から傷ついていった。父親も母親も、過酷な力を持つ娘への哀れみと、自分達に降りかかり続ける災厄に精神を追い詰められ、酷い有様になっていったらしい」
自らの、心の奥底に閉じ込めていた過去、それを淡々と語る伊達の声を聞きながら二月はうずくまり、がたがたと頭を抑えながら震えていた。
「しかし父親はそれでも君の力に向き合い最後まで抗い続けた。精神を病みつつも必死になって催眠術を勉強し、それを毎日君に施し続けた。『何も怖くない、明るく楽しく、子供らしく』。その内容は退行催眠…… もっと小さな頃のように、無害で無邪気な予知だけを視れるようにと願いを込めて」
伊達は胸ポケットから金の襟のついた箱を取り出し、一本火を点けた。
ゆらゆらと紫煙が、灰色のもやの空間に溶け込んでいく。
一口口に含み、伊達は話を続けた。
「これはおそらく俺の予想だが父親も自覚は無いにしろ、なんらかの超能力者だったんだろうな。その試みは二年の時をかけ、ただの催眠術とは思えない、驚くべき精度で作用した。君は露出していた暗い記憶を記憶の隅に追いやり、精神的な年齢を大きく退行した。自らの認識によって、体の成長すらも止めてしまうほどに」
二、三、と口に含みながら、伊達は二月を見るともなく続ける。
「そして父親の試みが成功した後、両親の精神状態に限界を感じた親せきにしてこの学校の校医、小島の手によって君はこの学園へとやってきたというわけだ」
二月は怯えた目で伊達を見上げた。非難ではなく、ただ怯えていた。
伊達は手に持っていた一本を空間の彼方に放り、しゃがみこんで二月に目を合わせた。
「以上が俺の知る、二月 結花、君の過去だ。教えてくれたのは小島先生だ。君のためを思ってのことだから、恨まないでやってくれよ?」
「おいちゃん…… どうして……?」
「ん……?」
「どうして、そんな話をするの……?」
「ん、そうだな……」
怯えながらも目を背けられない二月から目を逸らし、立ち上がり、伊達は腕を組んで上を見上げた。
「暗い記憶は記憶の隅にやった…… でも君は今、『悪い未来』ばかりを予知する。つまり、隅に行っているだけで、こうして君は鮮明ではなくとも憶えているし、過去に怯えている今を見る限り、この先も良くないことばかり予知するんじゃないか、と思ってね――」
言葉を区切り、もう一本火を点け、伊達は言った。
「残酷な真実を教えるためにおさらいしたんだ」
紫煙とともに吐き出されるその言葉に、二月が身を固まらせた。彼の強い目が、怯える瞳を再び射貫いていた。
「……やっぱりな、気づいていたか」
彼女は、伊達から顔を背けた。
「やだ……」
「やだと言われてもな、知ってもらわんと進められん」
「いやだぁ……!」
耳を塞いだ。
『二月 結花、君の能力は――』
その声が、直接頭に降りかかった。
『――未来予知じゃない』
二月の目が見開かれ、瞳孔が震えた。
恐ろしい現実を口にした伊達に、彼女の顔が向いていく。
伊達は手に一本を構え、真剣な表情で二月を見ていた。
「……未来予知じゃ…… ない……?」
「ああ…… そうだ」
咥え、吸い、煙を吐き出した後、彼は言葉を紡ぐ。
「俺がそれに気づいたのは…… 並木道に雷が落ちた次の日だ。あの日俺は予知が外れる際の、奇妙な共通点を君に教えられた。梢の砲丸投げの前、空き家でメシ食いながら話したろう? 憶えてるか?」
二月は下を向いて、ぽつぽつと言った。
「未沙都ちゃんの…… 千里眼」
「そうだ。俺はそれを一つの可能性として考え、この可能性が失敗することを祈りながら未沙都の千里眼を対策として使った。結果的に、残念ながら君の指摘は正解だったわけだ」
「……残念、だったの?」
「ああ、良くはないな。なぜなら、これで君の能力を疑わざるを得なくなるからな」
「えっ……?」
伊達は横を向いて、額に手を当てて前髪を掻きながら言った。
「未来予知ってのはそのまんま、未来に起こることを知る、それだけの能力だ。ならなんで二月の予知には『他の力に左右されるようなフィールド』が存在するんだってことになる。ついさっき見た、あの灰色のドーム状のフィールドがそれだ」
聞いた彼女は首を傾げていたが、伊達は構わず話を続ける。
「その後で俺は考え、したくもないが確認しようと思った。いつだったかな、未沙都が暴れる前だから…… 金曜日の部活の後だ。あの時俺は君に、俺の未来を視てくれと頼んだろ?」
振り向く伊達に、二月は頷きを返した。
「そこで君は『何か視えた』と言った。それで確信したんだ。君は未来なんか視ていないと」
「……どうして?」
「出会った頃に話したよな…… 未来が視れる人の話を。あの人は俺を視た時、『やはり視れない』と俺に言っていた。基本的に未来や過去を視る力っていうのは『同じ世界の人間』以外を視ることは出来ない仕組みになっているんだ。世界の決まりでな」
「……同じ世界の人間……? おいちゃんは……」
「同じ人間で、日本人だよ。ただ、ここじゃない場所のな」
ふっ、と伊達は微笑んだ。
「で、その後だ。土曜に小島先生に連れられて話を聞いて、全てがはっきりしたよ。君の能力は未来予知なんかじゃない、本当は――」
二月の全身が強張った。知っている、そうじゃないかと思っている。
でも、認められない、認めてしまえば――
――『事象の収束』だ。
「……?」
言われてしまうショックに備えていた二月は、いざ言われた言葉の意味がわからず、呆けた。
「おいちゃん……?」
「ふぅ……」
伊達は仕方無いかな、という体で微笑みながらため息をついていた。
わざと難しく言えば少しは緩和されるかなと、彼なりの優しさだった。
だが、結局は同じことだ。伊達は少し残念に思いながら、改めて嫌な事実を告げる覚悟を決めた。
「まぁなんだ、事象ってのは出来事とか、事柄とか…… そんな感じの意味で、収束ってのはこう、ぎゅっと一箇所に集まるって感じかな? つまりは二月は、人の目を見てその人にまつわるエピソードを創って、視た通りのことを起こす力があるってことだよ」
出来る限りで柔らかい説明を心がける伊達、そんな彼の優しさが功を奏したのか、二月のショックは急激なものにはならなかった。しかし、それを聞かされ、把握し、理解するということはある事実に当たることには変わらない。
「うそ…… 私にそんな力は……」
「嘘じゃない、出鱈目でもない。君は梢の四度の災難のビジョンを、二回に分けて視たと言った。一番最初に視た梢が事故に合う時のビジョン、その時の梢は足を骨折なんてしてなかったんじゃないか?」
「……!?」
「……当たりみたいだな。なのに君は、二回目に見た時には梢の足が折れるビジョンを視た。未来予知なのに、未来との辻褄があわないだろう?」
ある事実―― それは彼女が、自分の能力にうすうすと勘付いていながらも、それを否定しなければならない重大な事実だった。
「だったら私が…… 先生を……」
事故、傷害、自傷―― 彼女の能力で災厄に見舞われた者は数多い。しかし――
「ああ、残念だが…… そうだ」
『殺された』者は、まだ一人だけだった。
「うぁぁ……っ!」
伊達にとって、ここ何日と来る時を怖れていた一番嫌な瞬間だった。
今目の前で泣き出した少女は『殺人者』である。充孝が二月の目に『伊達と同じものが見えた』と言った時から覚悟をしていたことではあるが、伊達は彼女のことを自分よりも悲惨だと哀しんでいた。自分は選んだし、選んできた。だが、彼女はそうではない。
無自覚のまま、人を殺してしまったのだ――
「慰めにもならんかもしれんが…… やった時の君は相当に必死だったんだろうな。父親が刺されて、目の前の女が本当に許せなかったんだろう。殺しちまったには違いないんだが…… 事故みたいなもんだと思うよ?」
自身の優しさだけになく、それをどこかで心に抱えていたからこそ、彼女は必死に充孝を救おうとしたのだろう。もしもう一度、誰かが死ぬようなことになれば自分の心が持たないことを理解出来たから。
そう思いながら、伊達はこれ以上の慰めの言葉を考えるよりも次の行動を選ぶ。
『クモ、外の時間は?』
『後十分っス!』
『わかった――』
『――カタを着けて帰るぞ!』




