43.怨嗟の家庭訪問
四年生の晩夏、夏休みが明けてすぐのことだった。結花は涙目で、犬を抱いて父親の元へとやってきた。結花は犬を祖母の家にあげて欲しいと言った。これまで幼犬だった頃からどんなタイミングで粗相をしようと、自分の大切な物を壊されようと優しく大切に扱ってきた犬を手放したい。彼女の言うことがただ事ではないと思った父親は、しっかりと理由を問い質してみることにした。
「担任の先生が、大怪我した――」
新学期が始まり、提出するはずだった夏休みの宿題を家に忘れてしまった彼女は、担任の女教師に呼び出され詰め寄られた。その際に担任は、彼女が決して自分と目を合わせないことに激昂し、無理矢理に彼女の目線を自分に向けさせたのだという。
結花はその時に見てしまったのだ。担任が、その三日後に自動車事故で重症を負う場面を。そして実際、それは成っていた。昨日、結花が学校から持って帰ってきた『クラス担任交代のお知らせ』がそれを物語っていた。
父親としては心痛を伴う話だった。担任のことは不幸に思うがそれよりも、予知の映像を見るという娘が、そのように恐ろしい場面を見てしまったということが心配でならなかった。
これまでに結花がここまで重大な『悪い予知』を見せたことは無い。
今までで一番悪かったものでも、父親の小指にヒビが入ってしまうという程度のもので、それさえも結花はひどく落ち込み、避けられない怪我に両親からすれば無用の責任を感じてしまっていた。
そして父親の心配通り娘にとって今度のショックは大きく、それが今の『犬を手放したい』という言動に結びついていた。
「この子が酷い目に合うところは見たくない、だから、どこか遠くに――」
父親は娘の必死さに負け、自分の母親に連絡を入れて引き取ってもらうことにした。しばらくは寂しがるだろう。だが、力に怯えて暮らすよりはましだろう。そう思って。
しかし事態はもう後戻りを許すことはなく、この出来事がすべての引き金だった――
それから三ヶ月。犬と別れてから沈んでいた娘も、少しずつ元気な様子を見せるようになっていた。両親はこの期間、新たに理解したことがあった。
『結花の未来予知は結花の気分に左右される』という内容だ。
担任の事故の後犬を失ってからの一週間、彼女は誰とも絶対に目を合わせないように下を向いて過ごしていた。だがそれでも、数秒で『吸い込まれてしまう』その能力を完全に封じることは出来ず、予知は両親を中心に度々発動していた。
その時の予知は全て『悪い予知』であり、怪我こそはしなかったものの、父親としても冷や冷やするような内容が多かった。
だが二週間、三週間と経つに連れ、結花が笑顔を見せるようになってくるとその笑顔の割合に呼応するかのように『良い予知』が現れるようになり、最近では『悪い予知』を含めてそのどれもが今までのように取るに足らないものになっていた。
新たに娘の力の中身を理解した父親は、彼女がこれから大きくなる前に、楽観的に考えるのではなく、もっとその力に向き合って将来に備えるべきではないかと自覚し始めていた。
そんな折だった。
――二月家のインターフォンが鳴った。
家族全員が揃っていた二十時頃、その人物は家にやってきた。
応対に出た父親に対し、玄関先でヒステリックに怒鳴ったその人物は、例の大怪我を負った女教師だった。父親はその時になって、当時大事なことを娘に確認することを忘れていた事実に気づいた。
『その予知は担任に言ってしまったのか?』
絶対に、予知については誰にも言わないように娘には言い含めてあった。もう疑いもなくその力が結花にある以上、誰と言わず他人に知られれば面倒なことになってしまうことは明白だ。
だが、ことがことだ。子供としては大怪我をする人を「助けたい」と思うのも仕方の無いことだったのだろう。
結花は担任に、事故に合う日のことを避けてほしい一心で言ってしまっていた。
「子供を出しなさい! 子供を……!」
重大な怪我を負った女は体のバランスがおかしく、明らかに後遺症が残っていた。興奮してたまにわけのわからない物言いになるが、父親からすれば女の言うことは全て逆恨みだった。
女は予知された事故にあったことを、叱られたことを腹いせに、わざと悪い内容の予言を出した結花のせいだと決め付けていた。事故にあった後、公務員であるため後遺症があったとしても解雇されるようなことはなかったが、担任を外されたままになっているらしく、もう出世が望めないという愚痴までもを結花のせいにして言い張った。
女が踏み込んで来た理由、言い分は、そんな自分に対し『良い未来』を予言して、今回の件を謝罪して保障しろとのことだった。
馬鹿馬鹿しい、『予知』は『予知』だ。この三ヶ月、力に苦しんだ娘に対し罵詈雑言をほざく馬鹿女を父親は何度となく張り倒してやろうと思ったが、それは娘のためにも、家族のためにも出来なかった。
それにもとより、殴ってやる必要すらない。ここは日本だ。このような手合いを封じ込めてくれる法も施設も整っている。
父親は玄関から後ろに下がって怯えていた母親に振り返り、警察を呼べと冷たく言った。
そしてその言動に対し、ギャンギャンと吠え出した女の胸倉を掴んで引き寄せると「あんた漫画の読みすぎなんじゃないか? 別の病院にでも入って反省してこい」とドスの効いた声で脅してやった。
へなへなと脱力し、玄関に座り込む女を見ながら溜飲を下げる父親だったが、力無く座り込んだ女の目が、自分の後方を見てギラついた瞬間を彼は見逃さなかった。
「結花……!」
結花が、リビングから顔を出していた。前方の立ち上がる気配に気づいて女に目を戻すと、女はバッグに手を突っ込んで包丁を取り出し、自分の脇をすり抜けて走り出そうとしていた。
咄嗟に、父親は女の腰に腕を回して取り押さえ、二人でバランスを崩して玄関に倒れこんだ。
「邪魔をするなぁっ!」
父親の腕を逃れ、先に起き上がった女が凶刃を振るい、ざくりと父親の肩を抉った。肩口に熱いものが走り、動きを止めた父親を捨て、女が結花に突撃していく。
させじとばかりに痛みを振り切って追いすがろうとする父親、目の前の惨劇に動けなくなってしまった母親。
二人は娘の前で刃物を落とし、立ち止まったままになった、女を見た。
――結花の目が、女の目と合わさっていた。
「ああああああああぁぁあっ……!」
初めて聞く、娘の絶叫が木霊した。体の底から搾り出したような、赤ん坊の頃のような大音量での叫びがその場にいる者達の耳を打っていた。
結花は地面に倒れ伏し、見たものを振り払うように頭を振りながら泣き続けた。
いち早く、母親が結花を抱きしめ、その動きを見て動けるようになった父親は床に落ちたままになっていた包丁を拾いあげ、キッチンの流しに放り投げた。
「まさか…… まさか……!」
意識が戻ってきたのか、結花の異様な状態を見ながらブツブツと女が言っていた。
結花の様子から、その場にいた全員が何を見たのかを予想出来た。父親としては、母親としては、女の次の言葉を止めるべきだったのかもしれない。
だが、人間の好奇心がそれを許さなかった。
「何を…… 見たの……?」
――明日暗いところでコンクリートに潰されてぺしゃんこになる。
聞いて脱兎の如くその場を後にした彼女はその日のうちに警察に拘束され、次の日に起こった地震によって帰らぬ人となった。
留置所が地震により倒壊。施設としては考えられぬ事故に国内の報道は加熱した。




