6話 失敗作と揶揄された武器
出口を探す。
そう口にした瞬間、車内の空気が変わった。
誰もが不安そうに俺を見ていた。
信じているわけではない。
ただ、他に判断できる人間がいなかった。
乗務員も、乗客も、負傷者も、泣いている子供も。
全員が次の言葉を待っている。
俺は喉の奥が乾くのを感じながら、座席の下へ手を伸ばした。
そこに置いていたスポーツバッグを引き寄せる。
会社帰りに持つには、少し大きすぎる黒いバッグだ。
三崎さんが眉を寄せた。
「それ、何ですか」
俺はファスナーに指をかけた。
十年間、何度も開けてきたバッグ。
それでも、今ほど重く感じたことはなかった。
「武器です」
周囲がざわついた。
当然だ。
会社員が通勤電車で武器を持っているなど、普通ならおかしい。
けれど探索者免許を持つ人間が、登録済みの携行武装を持ち歩くこと自体は違法ではない。
俺はそう自分に言い聞かせながら、バッグを開いた。
中に収まっていたのは、二つの球体だった。
白い球。
黒い球。
どちらも手のひらより少し大きい。
表面には細い魔力回路が刻まれていて、非常灯の赤い光を受けて鈍く光っている。
芹沢さんが目を丸くした。
「球……ですか?」
三崎さんも困惑していた。
だが、車内の奥にいた中年の男性が、小さく声を漏らした。
「それ、まさかオルタナか? 昔、失敗作って言われてたやつだろ」
その言葉で、周囲の視線がさらに集まった。
失敗作。
聞き慣れた評価だった。
双球武装。
白球は遠距離から魔法を放つ。
黒球は近距離で武器の形を取る。
遠距離と近距離を一人で補える、理屈の上では優秀な武装。
けれど、使いこなせる人間はほとんどいなかった。
二つの球へ均等に魔力を流し、同時に別々の軌道を管理し続けなければならない。
集中が崩れれば、どちらもまともに動かない。
発売当初は少しだけ話題になった。
すぐに市場から消えた。
普通の剣や杖の方が安定すると、誰もが言った。
俺は白球と黒球を両手に乗せた。
指先が震えている。
寒さのせいではない。
十六歳の時、俺はこれを買った。
いつかダンジョンに潜るつもりだった。
そのいつかは、十年間来なかった。
それでも捨てられなかった。
毎日触った。
毎日シミュレーターで動かした。
白球の射線。
黒球の間合い。
魔力配分。
画面の中では、何千回も繰り返した。
累計訓練時間は一万時間を超えている。
ただし、本物のダンジョンで使うのは今日が初めてだ。
俺は小さく息を吸った。
今さら怖くないわけがない。
むしろ怖い。
視界に文字が浮かぶ。
素手で行動
リスク:高
リターン:低
期待値:非推奨
オルタナ使用
リスク:中
リターン:高
期待値:推奨
表示は、迷う余地をくれなかった。
素手で進むのは危険。
オルタナを使え。
俺は白球と黒球へ、ゆっくり魔力を流した。
十年間、画面越しに練習した感覚。
呼吸に合わせ、左右へ同じ量を通す。
白球が、ふわりと浮いた。
続いて黒球も浮かぶ。
車内で誰かが息を呑んだ。
黒球の表面がほどけるように変形する。
影が伸び、薄い刃の形を取った。
短剣。
白球の周囲には、小さな光が集まる。
魔弾の準備。
訓練通りなら、撃てる。
三崎さんが唖然とした顔で俺を見る。
「本当に使えるんですか、それ」
「分かりません。でも、使わないよりはましです」
そう答えた直後だった。
電車の外、右通路の奥で、小さな足音がした。
大型のものではない。
もっと軽く、速い。
石畳を爪で叩くような音。
芹沢さんが振り返る。
三崎さんがバッグを握りしめた。
青白い光の中から、小さな影が飛び出した。
犬ほどの大きさ。
痩せた体に、長い腕。
顔は獣に近い。
口元から、細い牙がのぞいている。
小型モンスター。
俺の身体が固まった。
画面では何度も見た。
知識としては分かっている。
でも、本物は速かった。
空気を裂く音が、耳に刺さる。
小型モンスターが床を蹴り、俺たちへ向かってくる。
視界に文字が走った。
後退
リスク:中
リターン:低
期待値:有効
白球で牽制
リスク:中
リターン:中
期待値:推奨
黒球で迎撃
リスク:高
リターン:中
期待値:保留
白球。
先に止める。
考えるより早く、指先が動いた。
白球が俺の肩越しに前へ出る。
小さな光弾が一発、通路の床へ撃ち込まれた。
直撃ではない。
足元を狙った牽制。
小型モンスターの動きが一瞬乱れる。
その隙に、黒球を右側へ滑り込ませる。
短剣の刃が、低い位置で構えを作った。
相手の跳び込みに合わせる。
シミュレーターと同じだ。
いや、同じではない。
本物は速い。
息が詰まる。
でも、手順は身体に残っていた。
小型モンスターが横へ跳んだ。
白球を避け、壁を蹴る。
次の瞬間、三崎さんの方へ飛ぶ。
視界に表示が出る。
三崎さんを庇う
リスク:高
リターン:中
期待値:保留
黒球で軌道を遮断
リスク:中
リターン:高
期待値:推奨
俺は黒球を動かした。
短剣の刃が、小型モンスターの進路へ滑り込む。
刃と爪がぶつかり、甲高い音が響いた。
腕が痺れる。
黒球を通して衝撃が返ってきた。
シミュレーターにはなかった感覚だ。
それでも、止めた。
三崎さんの前で、モンスターの体勢が崩れる。
俺は白球を左上へ回した。
魔弾を撃つ。
今度は外さない。
白球から放たれた光が、小型モンスターの胴を撃ち抜いた。
短い悲鳴。
体が石畳に叩きつけられる。
まだ動く。
俺は黒球をもう一度動かした。
短剣の刃が、床を滑るように走る。
黒球が小型モンスターの首元を押さえた。
刃が通った瞬間、抵抗が消える。
小型モンスターの体が、淡い光の粒になって崩れ始めた。
血は流れない。
死体も残らない。
ダンジョンのモンスターは、討伐されると素材だけを残して消える。
分かっていた。
知識としては知っていた。
それでも、ノワールを通して伝わった感触だけは、はっきり手に残っていた。
小型モンスターの体が完全に消える。
その直後、俺の探索者ライセンスが小さく震えた。
端末に通知が表示される。
魔石片を取得しました。
小型魔獣の爪を取得しました。
車内も、通路も、数秒だけ完全に静まり返った。
自分の呼吸だけが聞こえる。
白球と黒球が、俺の前で小さく震えていた。
勝った。
本当に、勝った。
実戦経験はない。
一度もダンジョンに入ったことはなかった。
それでも、身体は動いた。
十年間、画面の中で積み重ねた動きが、現実で間に合った。
三崎さんが、消えたモンスターの跡と俺を交互に見た。
「……今の、本当に初めての実戦なんですか」
俺は答えられなかった。
初めてだ。
実戦では、間違いなく初めてだった。
でも今、それを口にすれば、また全員が不安になる。
俺は黒球を手元へ戻し、白球を肩の横に浮かせたまま息を整えた。
「進みましょう。音を聞きつけて、他のものが来るかもしれません」
視界に文字が浮かぶ。
出口探索継続
リスク:中
リターン:高
期待値:推奨
俺はオルタナを見た。
十年間、一度もダンジョンで使えなかった白と黒の球。
それが今、俺の前で静かに浮いている。
怖さは消えていない。
手の震えも止まらない。
それでも、俺は初めてダンジョンの中で戦った。
そして、生き残った。




