11話 期待値:最高
隠し部屋を出る前に、俺はもう一度だけ部屋の中を見回した。
負傷者は壁際で休んでいる。
男の子は母親の腕の中で目を閉じていた。
高齢の男性も、ようやく呼吸を整えられている。
ここを見つけられたことには意味があった。
けれど、ここにいるだけでは外へ出られない。
出口を探すためには、もう一度通路へ出る必要がある。
俺は白球を肩の横へ浮かせた。
黒球は手元で静かに回転している。
魔力を流し続ける感覚にも、少しずつ慣れてきた。
三崎さんが鞄を持ち直す。
芹沢さんはスマホのライトを切り、画面を胸元に伏せた。
余計な光で何かを呼び寄せないためだ。
視界に表示が浮かぶ。
先行偵察開始
リスク:中
リターン:高
期待値:推奨
隠し部屋待機
リスク:中
リターン:低
期待値:有効
俺は小さく息を吸った。
怖さは消えていない。
それでも、進むしかなかった。
「行きます。無理はしません。危険だと思ったら、すぐ戻ります」
三崎さんが頷いた。
「分かりました」
芹沢さんも、少し緊張した顔で頷く。
「はい」
俺たちは隠し部屋を出た。
開いた壁の向こうには、青白い通路が続いている。
さっきまでより、光が冷たく見えた。
通路は静かだった。
静かすぎる。
小型モンスターの足音も、大型モンスターの息遣いも聞こえない。
それがかえって落ち着かなかった。
ダンジョンで音がしない時は、安全とは限らない。
何かが近くで息を潜めている可能性もある。
俺は白球を少し前に出し、壁と床を照らしながら進む。
ノワールは右側。
何かが飛び出した時に、すぐ進路を遮れる位置へ置いた。
三崎さんが低い声で言う。
「出口が近いといいんですけどね」
「そうですね」
俺もそう思う。
一刻も早く出たい。
負傷者も、子供も、長くはもたない。
だが、急いで判断を間違えれば終わる。
左通路がそうだった。
見た目の安全さは、信用できない。
芹沢さんが前方を指さした。
「久遠さん、あそこ。部屋みたいになってませんか」
通路の先に、小さな開けた空間があった。
扉はない。
ただ、壁が半円状にくぼみ、部屋のような形になっている。
俺は足を止めた。
普通なら通り過ぎる。
出口につながる道には見えない。
床には、古い魔法陣が刻まれていた。
線はかすれていて、ところどころ欠けている。
壁際には、崩れかけた石碑が一つ立っていた。
明らかに怪しい。
罠にしか見えない。
俺なら、能力がなければ絶対に近づかなかった。
視界に文字が浮かぶ。
素通り
リスク:低
リターン:低
期待値:有効
魔法陣調査
リスク:低
リターン:高
期待値:最高
俺は息を止めた。
最高。
今まで見たことのない表示だった。
有効でも、推奨でもない。
期待値、最高。
三崎さんが俺の横で眉を寄せる。
「どうしました」
俺はすぐには答えられなかった。
表示から目を離せない。
この怪しすぎる魔法陣を調べることが、最高。
意味が分からない。
だが、見間違いではなかった。
「ここを調べます」
三崎さんの表情が強張った。
「ここですか? どう見ても危なそうですけど」
「分かっています。でも、ここは確認した方がいい」
芹沢さんが魔法陣を見て、少し後ずさった。
「罠だったら、すぐ戻りましょう」
「はい。近づくのは俺だけにします。二人は入口側で待っていてください」
俺は白球を魔法陣の上へ滑らせた。
床に触れない高さで光を当てる。
線が浮かび上がる。
古い。
でも完全には死んでいない。
かすかな魔力が、円の外周をゆっくり流れている。
攻撃用の陣ではない。
少なくとも、見た範囲では爆発や拘束の術式ではなかった。
むしろ、何かを示すための記録装置に近い。
俺はノワールの先端で、床の欠けた部分を軽くなぞった。
その瞬間、魔法陣の線が一度だけ淡く光る。
三崎さんが息を呑んだ。
「光ったぞ」
「動いてはいます。でも、すぐ発動する罠ではなさそうです」
俺は壁際の石碑へ視線を移した。
表面はひび割れ、文字の半分以上が読めなくなっている。
それでも、残っている部分があった。
俺は白球の光を近づける。
刻まれた文字を目で追う。
発生直後。
構造不安定。
出口経路。
魔力流。
断片的な言葉しか拾えない。
だが、それだけでも十分だった。
このダンジョンは、まだ完全に固定されていない。
発生したばかりだから、内部構造が揺れている。
そして、出口へ向かうための魔力の流れが存在する。
俺は魔法陣へ視線を戻した。
床の円から、細い光が一方向へ伸びている。
肉眼ではほとんど見えない。
だが白球の光を重ねると、淡い線が通路の奥へ続いているのが分かった。
出口への方向。
少なくとも、その可能性がある。
視界に表示が出る。
魔力流の記録確認
リスク:低
リターン:高
期待値:推奨
俺は胸の奥が熱くなるのを感じた。
初めて、出口の方向らしきものを掴んだ。
闇雲に歩いていたわけではない。
三崎さんが一歩近づく。
「何か分かったんですか」
「出口に向かう魔力の流れがあるみたいです。この魔法陣は、その方向を示しています」
芹沢さんの顔が明るくなる。
「じゃあ、出口が近いんですか?」
「近いかどうかは分かりません。でも、方向は分かるかもしれません」
希望を持たせすぎてはいけない。
そう思って言葉を抑えた。
出口が見えたわけではない。
それでも、前進だった。
はっきりとした手がかりだった。
その時、魔法陣の光がまた揺れた。
今度は別方向へ、赤黒い光が細く伸びる。
左の奥。
俺は嫌な予感がして、その光の先を見た。
青白い通路の向こう。
俺たちが進もうとしていた通常ルートの先だ。
視界に新しい表示が浮かぶ。
通常ルート直進
リスク:高
リターン:中
期待値:非推奨
別経路探索
リスク:中
リターン:高
期待値:推奨
俺は奥歯を噛んだ。
出口の方向は分かった。
だが、正面から向かうのは危険。
石碑の欠けた文字をもう一度見る。
魔力の滞留。
群れ。
誘引。
断片的だが、意味はつながった。
通常ルート側に、モンスターが集まり始めている。
出口へ続く気配に引き寄せられているのかもしれない。
三崎さんが俺の顔を見て察したらしい。
「悪い情報もあったみたいですね」
「通常ルートは危険です。出口の方向は分かりました。でも、正面から行くとモンスターに当たる可能性が高い」
芹沢さんの表情が曇る。
「じゃあ、別の道を探すんですか」
俺は頷いた。
「はい。このまま直進はしません」
言いながら、初めて能力への感覚が少し変わった。
これは未来を見せているわけではない。
確実な答えを保証しているわけでもない。
けれど、選んだ先の危険と価値を、見た目より正確に示している。
だからこそ、ここで「最高」と出た。
魔法陣を調べなければ、出口の方向も、通常ルートの危険も分からなかった。
素通りしていたら、俺たちは正面から危険な道へ向かっていた。
俺は石碑に刻まれた残りの線を、スマホで撮影した。
電波はない。
だが記録は残せる。
魔法陣の光は、少しずつ弱くなっていく。
長く使えるものではないらしい。
今、見つけられたこと自体が幸運だった。
視界に表示が浮かぶ。
周辺調査
リスク:低
リターン:高
期待値:推奨
隠し部屋へ即時帰還
リスク:低
リターン:中
期待値:有効
俺は深く息を吐いた。
今は、別の道を探す必要があると分かったところまでだ。
三崎さんが通路の壁を見回す。
「この辺りに、他の道があるってことですか」
「あるかもしれません。少なくとも、探す価値はあります」
芹沢さんが小さく頷いた。
「みんなに伝えないと」
「はい。ただ、戻る前に周辺だけ確認します。危険がない範囲で」
俺は白球を前へ出した。
青白い通路の壁が、淡く照らされる。
出口はまだ見えない。
だが、進むべき方向と、避けるべき道は分かった。
それだけで、足元の見え方が少し変わる。
俺は魔法陣を一度振り返った。
視界の奥には、まだ「期待値:最高」の文字が残っているような気がした。
この能力を、信じるしかない。
ただ従うのではなく、考えて使う。
それができれば、全員を外へ近づけられるかもしれない。
俺はノワールを手元へ戻し、通路の壁へ視線を向けた。
別の道を探す。
出口へ向かうために、正面ではない道を。
その判断だけを胸に、俺は一歩進んだ。




